第30話 小さな証

微かに軋む床下の奥から、まるでこちらの動きを息を潜めて窺っているかのように、黒ずんだ小さな木箱がひっそりと顔を出していた。

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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア


30 -小さな証


扉が静かに開き、セピアが無言のまま出てくる。

その顔には一切の感情がなく、張りつめた弦のような静けさが彼の周囲に満ちている。

ジュナは口を開いたまま、その圧に喉を塞がれ結局何も言えなかった。


続いてフリージアが戸惑いを滲ませながらも、こちらを見て小さく微笑んでくれた。

その手には見慣れぬ黒い小箱が抱えられている。

フリージアの姿を確認できて、ようやく息を吐いた。龍造人形の恩寵を解きつつも、確かめるように口を開く。


「部屋から出てくるのが早かったということは……やはり、カリオン先生は黒ということですか」


フリージアは小さく息を吸い、頷いた。

「……残念ながら」


「フリージアさんが持っている、それが証拠なのですか?」


「いえ……その、私にもよくわからないのです。出所の怪しい帳簿はセピアが持っていますが、この箱の中身を見てから彼の様子が……」


フリージアはおそるおそる黒い小箱の蓋を開け、ジュナに中を見せた。


中には、小さな鉄の腕輪がいくつも放り込まれていた。

どれも識別用の刻印があり、一本一本、力任せに断ち切られている。


「……これは?」

ジュナは眉を寄せた。見覚えはない。


「私にも、よくは……ただ、これを見てからセピアが……」


フリージアの視線を追った先で、セピアは中腰のまま、龍造人形が命を与えられていない時のように微動だにしない。

ただ見開かれた瞳孔だけが、焦点を失ったまま一点に貼りついている。


冷たいものがジュナの背筋を撫でた。

セピアは、自分にはまだ届かない何かを見ている。

その視線の先は、闇の奥へと続く扉のようで、ジュナは開けてはいけない気がした。それでも、抑えようとすればするほど胸の奥で黒い波のようなものがゆっくりともたげてくる。


「……セピア、説明してくれないか」


彼はしばらく無言だった。

中腰のまま、赤銅色に照らされた顔に冷たい影を落とし、じっと動かない。

その沈黙に耐えきれず、ジュナはふと視線を逸らした。

窓の向こうで、外の空が夕陽に赤く染まりきっている。


やがて、唇だけがゆっくりと動く。

「これは——証だ。」


目線は一点に貼りついたままだが、声はいつもの明るさを保っている。

しかし言葉の合間に妙な間がある。息を整えるためについた間ではなく、言葉そのものを拒むような、硬質な間だった。


「自分がこの世に生を受けたことを証明する——たったひとつのものだ」


長い沈黙を置き、セピアは続けた。


「孤児院に入れられた子どもは、この番号が刻まれた腕輪をつける。

それが、そいつの”存在”したことを示す唯一の印になる」


ジュナの中で、いやな点と点が線になっていく。

個人を示す印。識別のための刻印。

それが外され、カリオンの部屋で保管されている。

その意味は一つ。

導かれる合理的な結論はこれしかない。


目の前のセピアは、淡々と語る。

だがその無言の間から、隠しきれないほど膨れ上がった殺意が、ジュナにも感じ取れるほどに滲み出ていた。


「その腕輪が切り落とされたということは……そいつには、もはや必要なくなったということだ」


そう言い終えるや否や、セピアは外套を乱暴に掴んで廊下を歩き出した。


「待て、どこへ行くんだ!」

慌てて声を張り、思わずセピアの腕に手をかける。


すると、真っ黄色の瞳がこちらを向き、鈍い光を放った。

目の奥から殺気が滲み、口元に不穏な笑みが浮かぶ。


「決まってるだろ。あの野郎を同じ目に合わせてやるんだ」


「セピア!君自身が言ったことだぞ。

カリオンは聖都セントラルの承認を受けて就任した神官だ。たとえ父上でも君を庇いきれない。頼む、落ち着いて僕の話を聞いてくれ」


「その汚ねえ手で俺に触れるな!」

怒号とともにセピアは手を振りほどいた。

足早に廊下を進みながら、抑えの利かない声で言葉を切り捨てていく。


「俺が“おまえたち”と同じ、陽の光が差し込むようなぬるい温室でのうのうと過ごしていた少しの間に、あのクソ野郎は七人のガキを使い捨てのマッチみてえに燃やして捨てやがった。なら、同じようにされるのは道理ってもんだろが!」


そう言うとセピアは廊下へ駆け出した。

ジュナも後を追い、肩越しに必死で声を張る。


「そのあとはどうするんだ?僕にはその先の未来が見えてる。

君は聖都の異端審問官に連行され、偏った裁判を受けるだろう。そうなれば君は火炙りだ。

ヤツと一緒に自滅するなんて馬鹿げてる」


セピアは聞く耳を持たずいくつも曲がり角を抜け、階段を降りようとした。

ここで彼を止めなければ見殺しにすることになる。

ジュナは良心を押し殺し、理性に基づく機転を効かせた。


「セピア、半小刻(10分)!半小刻だけ僕に時間をくれないか。

もし半小刻聞いて僕の提案を飲めなかったら、君一人で行って構わない。だが、そのまま階段を降りたら龍造梟ヘルメスで即座に父上へ報告する。そうなったら君は困るんじゃないか」


セピアの背が階段の前で止まった。

短く息を吐いて舌打ちし、振り返る。

「……半小刻だけだぞ」

腕時計に目を落とすセピアに、ジュナは「もちろんだ」と即答する。



♦︎♢♦︎


「最初にこれだけは分かってほしい。僕は、セピア――君に協力したい。カリオンが華王の売買だけでなく、孤児院の子どもたちにまで手をかけているのは絶対に許せない」


「……セピア、私もジュナ様と同じ思いです」

フリージアが僕の言葉にそっと重ねた。


セピアは二人を交互に眺め、鼻で笑って手を一度払った。

「お前らの被害者ぶった泣き言も、半刻だけなら我慢して聞いてやる」


壁にもたれたセピアを見据え、自分の言葉を反芻する。

『僕は、セピア――君に協力したい』

喉がかすかに震える。

本心か、口先か。声に出した自分自身でも判別がつかない。

胸の奥で心臓が早鐘を打っている。


僕は自分の覚悟を試しているのだろうか——



「セピア、君はよく学院を抜け出しているらしいな。この台地からの脱出ルートは、どう考えている?

僕たちが馬車で上ってきたあの坂道、南に下りる一本だけのはずだ。あそこには護衛人や龍造岩ゴーレムが相当数配置されている。どう抜けるつもりなんだ?」


「問題ねえよ。俺だけならなんとでもなる」

セピアの断言には説得力があった。得策があるのだろう、ジュナは別角度から切りこむことにした。


「それに、カリオンを追い詰めるには作戦が必要だ。具体的な手立てはあるのか?」


「作戦なんて要らねえ。見つけて首を掻っ切れば終わりだ」


「君一人の力では無理だ」

セピアが訝しげにこちらを見返した。まだ仮説にすぎないが、ジュナには確信があった。

「部屋を守らせていたあの龍造犬を刷り替えた僕だからこそわかる。カリオンの防衛意識は相当高い。単独で危険な西区に踏み込むとは考えにくいし、同機種の龍造犬を引き連れている可能性だってある」


「そうです!ジュナ様のおっしゃる通りです」

フリージアが一歩前へ出て言葉を継いだ。

「帳簿の備考欄には、『聖焔教会騎士および龍造犬を護衛として同行』と明記されていました。あの男の周りは、常に護衛で固められています」


思わぬ裏づけを得て、ジュナは自分の言葉に迷いなく力を込めることができた。


「セピア、龍造犬を甘く見るな。

出力制限を外したら、人の力ではもはや太刀打ちできない。

実行に移す前に必ず捕まってしまう」


そこまで言ったジュナは、ぐっと息を呑んだ。

耳の奥で、爆音のような鼓動が鳴り響いている。逃げ出したい衝動を振り払うように、胸に手を当てた。


「……僕も、同行させてほしい。

龍造人形の扱いなら、さっきの通りだ。僕以上の適任者はいない」


言葉を発した瞬間、胸の奥で何かがふっと軽くなった。

恐れの先は、思い描いていたほど暗くも冷たくもない。

一歩踏み出してみると悩んでいたときよりもずっと、世界は静かで、自分の中に確かな覚悟が宿っているのに気がついた。

自分の血にも、確かにバロバロッサ家の誇りが流れている。そう思えると、ほんのわずか自分が誇らしかった。


フリージアも同じく声を上げ、呼応した。

「ジュナ様だけではありません。腕っぷしはセピア、あなた以上の自信があります。ですから私も同行させてください。損はさせません」


セピアは二人を交互に一瞥すると、今度は驚きを滲ませて壁から体を離した。

「どういう風の吹き回しだ?お前らが危険を犯してまで、わざわざ俺に同行することに何の得がある」


「僕にも責任がある。名誉心なんかに拠らずに宵傘衆ばんがさしゅうに任せていれば、事はもっと早く済んでいたかもしれない……」


「ジュナ様、それは違います」


言葉を遮ったフリージアの声は有無を言わせない力強さがあり、言葉を放った後、彼女の視線は滑らかにセピアへと向けられる。


「セピア、私がジュナ様に宵傘衆に頼るべきではないと提言したのです。今もその考えに変わりはありません。彼らは利が少しでもあれば、カリオンの所業を見過ごす方向で、バロバロッサ卿にお伝えしていた可能性すらあるのです」


フリージアは、それ以上口にするのも嫌だとでも言うように、言葉を途切れさせた。

切り替えるように、静かな息が彼女の口から漏れる。


やがて眉をきゅっときつく寄せた。

そのまま、舞踏の一歩のように慎重に前へ詰め、セピアの真正面に立つと見下ろすように視線を落とした。


「さあ、選びなさい、セピア。

私たちを連れて、カリオンを確実に捕らえるか――それとも無謀な単独行動で自滅するか。二つに一つです」



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