第13話 賢者
13 -賢者
「……これ、すべて飴なんですね」
溶岩の塊だったものがすべてエリュトロンの力によって飴へと姿を変えてしまったのだ。
ジュナは周囲に散らばる破片を見渡し、感嘆の息を漏らした。
体の奥に残る熱がまだ冷めやらない……。
それほどまでにエリュトロンの龍の力は圧倒的だった。
だがその余韻を断ち切るかのように、
突如、重く鈍い音が室内に響きジュナは思わず肩を跳ねさせた。
「エリュトロン大司教様!持って…参りました!」
ぜぇぜぇと息を切らしながら、一階訓練室用の扉(一般生徒用・龍の子以外に設けられた扉)を開いた恰幅のいい男は、木製の台車に載せた”あるもの”を指差した。
大人が両腕を回してぎりぎり手が届くほどの岩石で、それは急いで載せられたのか雑に台車の上へと放り込まれている。
「おっしゃられたとおり、質の良い龍石を探してきました。この龍石どうすればよろしいでしょうか?」
「ありがとう、パーキス。すまんがワシのところまで持ってきてくれんかの?」
エリュトロンの言葉にパーキスは半歩下がり、声には怯えの色が滲んだ。
「えっ?……しかし、私はただの人間ですし、その……危険なのでは?」
「パーキス、そう心配するな、『影』は何もできやせんよ。」
エリュトロンは楽しげな笑みを浮かべながら、ふっと息をつき、何気なしに言葉を継いだ。
「だが、ひとつ問題を挙げるとすれば、『影』を抑え込むにも限度があるということじゃな」
声色は以前と変わらず穏やかであったが、その言い回しには、ほんのりとした警告の響きが込められている。
「少々お待ちを、すぐに持って参ります」
言い終えるより早く、パーキスは尻に火がついたような勢いで龍石を載せた台車を老人のもとへと押していった。
「パーキス、ご苦労じゃった。もう下がってよいぞ」
頭を下げて慌ただしく去っていく男に気を取られることなく、老人の目はすでに『影』をとらえていた。
「これで、ようやく救ってやれる。
テオや、長く、苦しかったろう……待たせてすまなんだ」
エリュトロンは優しく『影』に語りかけると、今まで見せたことがない真剣な目つきで台車に置かれた龍石を見据えた。
「さあ、始めようぞ!」
まるで壊れやすいガラス細工にでもふれるかのように、エリュトロンはそっと左手を龍石に添えた。そのわずかな間、室内は絶対的な静けさに沈んで微かに聞こえる老人の息遣いだけがジュナの耳をとらえていた。
目を閉じた——ほんのひと瞬きの間に、
銀白のまばゆい光が龍石から放たれ、周囲をふたたび光の奔流で覆い尽くした。
その光の筋は、栓を抜かれた水のように一点に向かって収束し、渦を巻きながら『影』へと吸い寄せられていく。
『影』は灼熱の炎に身を投じたかのように、のたうち苦しみながら暴れまわった。
最後の抵抗とばかりに『影』は指と思しきものをエリュトロンに向けたが、老人は顔色ひとつ変えず静かに告げた。
「無駄じゃよ」
その瞬間、指は音もなく折れ曲がり『影』は呻くようにして形を萎ませていった。
やがて、数条の光が『影』の体内を突き破り、
鱗が剥がれていくようにその姿がほどけていった。
エリュトロンはすぐさま駆け寄り、倒れ伏すテオの腕を取り上げるや、異変がないか確かめるように慎重に目と指先を這わせた。
「龍脈は……よかった。完全に焼き切れておらん。どうやら間に合ったようじゃ。
しばらく静養すれば、普段通りの生活もできようて」
エリュトロンは意識のないテオをそっと抱き上げ、皺深い手で青ざめた頬を伝う汗を拭うと安堵を滲ませた目でジュナを振り返った。
「これからテオを治療室に連れて行かねばならん。お主の方は大丈夫かの?」
「はい、先生。多少ふらつきますが、龍の力を消耗した反動のせいです。心配には及びません。それに、」
ジュナは大げさな仕草で両腕を広げ、眉を弧を描くように持ち上げた。
「この”飴”は、僕が責任をもって片付けます。もともとあの火の玉は僕が止めるべきものでした。せめて後始末ぐらいは僕にやらせてください」
ジュナが口元に笑みを浮かべたそのとき、エリュトロンの眉間がわずかに動いたように見えた。
何か言葉を選んでいるかのような、一瞬の間が落ちる。
「うむ……そうか。それでは、お言葉に甘えさせてもらおうかの。テオが目覚めるまで、できればそばにいてやりたいのでな」
ぱっと、ジュナの顔が明るくなった。エリュトロン大司教の役に立てることが何よりも嬉しかったのだ。
「どうぞ、ここは僕に任せください!」
「……ありがとう。しかし、これだけは言うておかねばならんようじゃ」
そう言って、真っ直ぐジュナを見つめるその眼差しは、先ほどまでとはまるで違っていた。
龍石を見据えたときと同じ、剥き出しの魂を覗き込むような鋭さが老人の銀色の瞳に宿っている。
「よいか?ジュナよ。自分を大切にせねばならん。
何よりもまず優先すべきは、自分を愛し、そして——許してやることじゃ」
老人の言葉は穏やかだが胸に深く刺さり、その重みが心の奥でこだまする。
「己を労ることを忘れ、心を置き去りにすれば、魂はあっという間に澱み荒んでゆく。
そうなれば、自分のことなどどうでもよくなり……
終いには、人の痛みすらわからぬ化け物に成り果ててしまう。
お主には、そんな道を進んでほしくはないのじゃ。」
「……っ!」
ジュナは「はい」と返事しようとしたが、喉に何かが引っかかったような感覚にとらわれ、ただ空気だけが漏れた。
(先生に見られていた!?)
理性を失い、自暴自棄になったあの決闘での醜態が走馬灯のように頭を駆け巡る。
顔が熱した鉄板に押しつけられたかのように火照った。
(やばい……たぶん今、耳まで真っ赤だ)
恥ずかしさに耐えきれず、ジュナは顔を上げることができなかった。
「まったくおかしなことに、人は歳を重ねるほど、恥を仇敵のように恐れ、どうにかして逃れようとする。自分が歩んできた道を、誰かに否定されたかのように錯覚してしまうのじゃろう。
かつて……わしも、そうであった。」
エリュトロンの告白に、思わず顔をあげた。
先ほどまで年月を思わせぬ強靭さを湛えていたその人が、いまは冬の梢のように歳月の痕跡を刻み、ひとりの老人としてジュナの前に立っていた。
「その者に立ち向かわねば、そやつは一生、影のようにひっついてくるというのに……まったく愚かしいことじゃ。そう思わんか?
はたから見れば、まるで喜劇じゃよ。己の影から本気で逃げられると信じておるのじゃからな。
……よいか、ジュナ。
恥には、人を人たらしめる力がある。
恥を知る心があるからこそ、人は他者を思いやることができるのだと、ワシは信じておる」
手をパチンと鳴らし、まるで話の幕を引くかのように朗らかに笑った。
「すまんかった。老人の自慢話と説教話ほどつまらんものはないの。だがまあ、それも年寄りの特権だと思うてくれ。片付け、頼んだぞ」
ウインクひとつ残し、テオを抱えたまま、悠々と螺旋階段を上がっていった。
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