33話

「ここの家です。この家に住んでいた夫婦が最初の犠牲者です」


 青年の案内のもと、猛禽の鳴き声響く森の道を進み一軒の大きな民家の前まで辿り着いた。家は獣や魔物に襲われぬようにするためか、巨木を支柱として活用し高所に建てられ備え付けられた梯子でしか出入りが出来ない構造になっている。

 梯子を上り中に入ると、家の豪華さに驚かされた。十分な広さを持つ居間と3つの寝室があり、その全ての部屋に窓硝子が嵌め込まれた窓がある。居間には自作と思われる椅子と燭台の置かれた机が配置され、寝室の床には巨大な熊の敷物が、寝具には狩猟で得た獲物から作ったのであろう羽毛布団が敷かれている。立っている場所が悪い事と、所々に黒い烏の物のような羽と乾いた血痕さえなければ田舎貴族の家よりも立派な住宅であると言えるだろう。

 部屋の1つには折り畳まれた布地が収められた揺り籠があり、その周囲には赤ん坊をなだめる玩具や糞尿を受け止めるおむつが置かれたままにされている。どれも新品で完全に未使用であるそれらはまるで、これから生まれ出でる者のために用意されたかのようだ。


「かなり立派な家ですね。どんな人が住んでいたんですか?」

「森番のエルフが2人、どちらも弩の大会で実績を残しています」

「戦えない奴等だったわけじゃないと……だがそれだというに抵抗した形跡は無いのは不自然だな。2つもある弩は立てかけたままで、鉈も斧も仕舞われたままだ」

「抵抗する暇すらなかったとかでしょうか? 瞬く間に即死させられたとか?」

「違う、抵抗してない。この部屋、とても濃い匂いがする」


 部屋の臭いを嗅いだランジェはこちらの感じることの出来ない何かを感じ取ってその感想を述べた。そして犬の様に鼻を鳴らしながら部屋を歩き始めた彼女は部屋の端に積もった羽の山の中から1冊の手帳を見つけ出した。


「その手帳は?」

「一番強い匂いする。持ってたものかも? 読んで」

「だいぶ癖が強い共通語だな。こいつは……日記だな」


 手帳を開いたランジェは眉を顰めて手帳を俺に投げ渡した。受け取ったそれを開いてみると、全てのページの左上に日付と天気がその日に起こった事と共に記載されていた。これは重要な手がかりになる。そう思い、俺は記載されている日付が最も新しい頁を開いてみた。

 開いた頁には日付と天気といった日常を連想させる情報は書き込まれておらず、細く擦れ気味な線で「子供」と「帰って来て」という言葉が乱雑な文字で一面に書きなぐられていた。執拗に、何かを探し求めている心境を最後の理性で書き留めているような、目下に深淵が広がる崖の一歩手前に立って下を覗き込んでいるかのように不安定さを感じられる。

 気色の悪さを感じながら頁を前に戻すとそこには「私は……」や「辛い」といった短い文章と黒い塊の柄以外は何も書かれていなかった。更に頁を捲ると同じような状態の数頁続き、やがて天気と日付だけが書かれた頁へと行きついた。相当追い込まれて何も書けなくなり、それでいては駄目だと思い何かを書かなければと意味のない文や絵を描いたのだろうか。

 更に1週間、頁を戻すとようやくまともな文章が顔を見せてくれた。そこには「あの不気味な旅人に貰った蝋人形を使えば失ったものを取り戻せるかもしれない。愛しい我が子、どうか私の胎に帰ってきておくれ」と記載され、その下に「帰っては来なかった。願いを叶える蝋人形なんて胡散臭い物に期待した私達が馬鹿だった」ている。どうやらここに住んでいた夫婦は何者かの手で"消された"わけではないらしい。


「手が止まってますよお師匠様。何が書かれていたんですか?」

「続きが読みたくなくなる内容だ。憐れみを感じざるを得ない」

「うわ……これってそういう事ですよね……?」


 手帳を見せられたナールは手を胸に置いて気分の悪そうな顔をした。日記の内容とこの場の状態から、夫婦が何者かから貰った"蝋人形"とやらを使って魔物か魔族に変化し子供を攫うに至ったことが何となく想像出来てしまった。


「説明して。字が汚過ぎて読めないから」

「犯人はここの住民だった可能性が高いと考えられるような内容が書いてある。行動原理はわからないが、共存は不可能な魔物になっちまったらしい」

「そんな……2人は死産の後もいつも通りいい人だったのに……」

「明るく振舞っていたとしても内面まで明るいとは限らんさ。家の外では仮面をつけて役に興じるように、別人のように振舞うってのはよくあることだ」


 信じられない様子の青年にそういう物だと教えながら頁を捲り続ける。頁を捲る度に死産が起こったことが書かれた日に、妊娠が判明し期待と希望に満ちた幸せな日々に、なかなか子供を授かることが出来ず他の村人の家庭を羨ましがる記述を目撃することになっていった。

 その中で俺は死産より前の日付に書かれていた1つの言葉に目が留まった。その単語とは"大火"、最愛の"振り香炉の勇者"ケイを殺害した犯人の名前であった。彼女は旅人としてこの家を訪れており、夫婦に"願いの叶う蝋人形"とやらを渡していたらしい。


「"大火"!? "大火"ってあの!?」

「他にこの名前が使われている奴も居ないし、奴で間違いないだろうな。あの野郎、密かに悪事を働いてやがったのか。……ランジェ、どうかしたのか?」

「それ、嘘吐きの扇動者。過激な信徒を焚きつけて勇士を沢山連れて行った。私が全部捧げて"深淵"から寵愛を貰うはずだったのにそれを台無しにした」


 "大火"の名前を聞いたランジェは槍斧を握る手を震わせた。仲間を殺されたから怒っているのではなく、彼女の信仰において重要になる強者達を関係の無い場所で失わされたことに憤慨しているらしい。やはりというべきか、彼女はナールとは別の方向で血生臭い少女だ。


「捧っ!? 今の、僕の聞き間違いじゃないですよね?」

「ここに居るお前以外の手は血で濡れている。お前が思っている以上にな」

「まだ成人すらしてなさそうなのに……」

「大人だろうが子供だろうが、怪物だろうが外見で判断しない方が良いぞ。見た目が可愛らしいかったり綺麗だったりする生き物が安全だとは限らん」


 手帳を閉じて腰布に下げた袋に入れ、置かれたままにされた弩と矢をナールに手渡す。所有者が居なくなっているなら貰っていっても文句を言う奴は居まい。


「変容してしまったこの家の夫婦が犯人なら子供を食べたり殺すことが目的じゃないし、何処かに閉じ込めているはずだ。子供の声や鳴き声が漏れずそこそこ広い空間で犯行現場から近い場所、森の中に洞窟とかがあればそこで間違いない」

「森の中……僕の知る限り、森の中にそんな場所は無いですね。でもあそこなら、人が立ち入ることを禁じられた未開の部分、"禁じられた森"にならあるかも」


 村や里には往々にして入ってはいけない場所が存在する。宗教的な要因で合ったり、事故が起こりやすい地形や地質のために侵入を禁止していたりと理由は様々ではあるが、地元の住民が内側を詳しく知らない事だけは共通している。悪さをした者が隠れ潜む場所としては最適だろう。

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