25話
「おいおい……また魔族が来たぞ。魚面だ……」
「海月面までいるじゃないか。犬面ならまだしも、誰があんな奴らを呼んだんだ?」
「それもそうだが、隣に居るあの方は……レベッカ様じゃないのか!?」
最後の一杯を味わっていると夜会の参加者達が騒ぎ始めた。何事があったのかと思って彼等が向いている方向に顔を向けると、入口からやって来る司祭風の衣服を身に纏った魚面達といかにも姫様といった風貌の茶髪の少女が目に入った。レベッカと言えば魔神教徒に攫われた王族の娘であったはずだが、誘拐犯と同じ種族を恐れている様子はない。彼女はただ、微笑みながら一点を見つめているだけだ。
少女の表情に不自然さと不気味さを感じて視線の先を確認すると、以前酒場で俺に仕事を頼んだ男が居た。俺と同様のものを少女から感じて怯えているのか、彼は震えて立ちつくすことしか出来なくなってしまっている。
「"海月面"……お師匠様!」
「わかってる。だが、冤罪だった場合まずい」
"海月面"という言葉を聞いて教祖が海月と名乗っていたことを思い出し、何かしでかそうとしているのでは疑い武器になりそうなものを目で探してしまった。しかしこれは誤判断であり、冤罪を覚悟で取り押さえに向かっていくべきであった。
「あァ……神ヨ、この"海月"めラの魂と贄の像ヲ捧ゲマす……」
「なっ、貴様等何のつもりだ! おい誰か、衛兵を呼んでこい!」
「今宵コソ目覚め、君臨シテくださレ!」
魚面達は懐から禍々しい形状の短刀を取り出すと、それを自らの胸に突き立てた。彼等魔神教徒が倒れ伏すと同時に夜会に居た多くの者が全身から血を吹き出し倒れ、先程まで香っていた匂いを上書きする強烈な磯の臭いが立ち込み始めた。臭いの中心はレベッカであり、彼女は何処からともなく湧き出た黒い煙に包まれていっている。
招待されていた冒険者や傭兵は倒れた者を助けようと試みて、突然の出来事に混乱した者達は倒れているまだ息のある者達を踏みつけてでも我先にと逃げ出していく。
「お、お師匠様! あれは一体何なのですか!?」
「多分、いや間違いなく魔神復活の儀だ。小賢しい魔神教徒共め、魔神の脅威になりそうな相手を儀式に巻き込んで始末しやがった!」
「そんな……そんな大それた儀式は場を整えなければ出来ないのでは!?」
「勿論昨日今日の準備で出来ることじゃない。随分前、この屋敷が作られた時くらいには細工を仕込んでいたんだろうさ。まったく、抜け目がない連中だ!」
長机の1つを引っ繰り返して遮蔽物にし、駆け寄ってきた弟子と共に裏側に隠れる。弟子の最低限の装備しか無いこの状況で復活した魔神と戦っても勝てるかどうかはわからない。戦うにしても逃げるにしても、虚を突かねばならない。
そっと顔を出してレベッカの様子を見ると、そこには下半身が海牛となった少女の姿があった。肌は青白くなり頭に触角が生えたそれは、発火する黒い粘液を身に纏いながら腰を抜かした婚約者へとゆったりと這っていく。その行動から感じられるのは敵意ではなく愛情に近い何かだ。
「記憶が残っている……? どうやら儀式は失敗して別の何かが生まれみたいだな」
「そうみたいですね。でもどうして……あっ! もしかしてナール達が像を壊したからじゃないですか? 最初に見つけた物や村で破壊した物、あれらが儀式に必要な物だったから儀式が失敗したのではないですか?」
「それかもしくは愛情、"業"が強過ぎて儀式に何かの影響を与えたのか……。おっと、騎士団のお出ましだ」
魔神教徒の言葉からしたのであろうナールの考察を聞いていると、逃げ出した者達からの通報を受けたであろう騎士団の団員達が到着してレベッカを取り囲んだ。たとえ王族であったとしても、異形の姿となってしまうと扱いは変わってしまう。
「レベッカ様、ご同行願いま――」
「邪魔、私の前から退いて」
連行しようとした騎士団の団員が伸ばした手をレベッカは払い除けた。殴打された腕の骨が床に落とされた硝子瓶のように砕け散ったようで、小さな破砕音と共にぴんと伸びていた腕が垂れ下がる。
「腕っ! 腕が!」
「嗚呼ケヴィン、私の愛しい人……。世界中の邪魔なもの全てを壊して、私達2人だけの世界を作ってあげますからね……」
婚約者の前に辿り着いたレベッカは随分と物騒な発言をしながら周囲に火炎と斬撃の魔術を放ち、取り囲んでいる騎士団やこの場に留まり負傷者の手当てをしていた者達を亡き者にし始めた。熱い胸の内を曝け出すようなその攻撃は、俺に"大火"の姿を思い出させる。
元々そうであるのか魔神教徒によって何かを吹き込まれてそうなったのかはわからないが、邪魔者と見れば殺傷することも流れ弾で誰かが傷付くのも厭わない彼女は放っておけば俺達の脅威となる。まだ力の制御を覚えていない今この場で仕留めてしまわなければ。
「炎を使うアイツを相手にしたくはないが、この国を壊されるわけにはいかん。ナール、奴が油断した時を見計らって仕掛けるぞ! おい、聞いているのか?」
反応が無い弟子の方を向き、言葉を失った。隣に居たナールは右腕の付け根と顔面に流れ弾を受けていた。顔は右目上部から右頬に至るまでの皮膚を火傷し、右腕は筋肉と骨を斬り裂かれて文字通り皮一枚で繋がっている状態で呻いている。それだというのに俺は敵と炎に目を取られてしまい、弟子の様態に気付くことが出来なかったのだ。
「ごめんなさいお師匠様……ナール、ナールは体を晒し過ぎました……」
「出血が酷い……これじゃ魔術師や医者を探す時間は無いな。どうする、どうするんだ傭兵クルツ。このままじゃ弟子を見殺しにすることになるぞ!」
弟子の体を右半分を上になるように転がし、シャツとベルトで傷口を押さえてみるが出血の勢いは止まらない。このままでは出血死してしまう。何か手立てはないのだろうか。
今までに得た知識を総動員して弟子を救う方法を考えていると、ふと近くにある暖炉に刺さった火掻き棒が目に入った。辛うじて繋がっている腕を切り離し、あれで傷口を焼いて塞げば出血は止まるかもしれない。だがしかしそれを行えば更なる苦痛を彼女に与えることになる上に、魔術で腕を治すことも出来なくなってしまう。命を救うためとはいえ、そんなことが許されるのか。
「大丈夫ですよ、ナールは大丈夫ですから……」
こちらの表情と視線の先にある物を見た彼女はやろうとしている行為とそれを躊躇している事を理解したらしく、右腕を自らの手で体から斬り離してそう告げた。
助かろうとする彼女の意思と信頼を俺の躊躇いで無下にするわけにはいかない。俺は暖炉に刺さった火搔き棒を引く抜き、熱された先端部分を傷口へと押し当てた。肉が焼け傷口が塞がると共に水分が弾ける音が鳴り響き、声を出さぬようにと机の脚を咥えて痛みを我慢している弟子の呼吸が荒く強くなっていく。
「死ぬなよ、死んだら絶対に許さんぞ!」
「死にますよ、煩いものは私が殺しますから」
弟子が意識を失わないように呼びかけていると背後から女の声が聞こえ、それと同時に胸部から肉と皮膚を突き破って槍が生えてきた。振り返るとそこには騎士団員が使っていた槍を俺の背中に突き立て磔にしているレベッカが居た。
「ごめんなさいね、私達の世界に他人は必要ないの。でも安心して頂戴、この子も一緒に送ってあげるからきっと寂しくは無いはずよ」
レベッカは手の平に火炎を集め弟子へと向ける。
胸を貫かれ大切にしている者を目の前で焼き払われるこの状況、それは俺に"振り香炉の勇者"ケイを"大火"が屠ったあの時を彷彿とさせた。炎で焼かれることを恐れて動けなければ、またしても俺は失うことになる。
「奪わせん! 決して奪わせんぞ!」
震える両手両足を気力で無理矢理動かし、弟子に魔術を放とうとしているレベッカの腹に喰らい付く。内臓を貫かれた痛みで動けないはずの男に脇腹を噛み付かれた彼女は、俺に魔術を放ち痛みを与える事でこちらを引き剝がそうと試みた。
もう何も失いたくない想いと気力。それだけを頼りに体が炭になっていく感覚と思い出される不快な記憶の波を耐え抜き、首を左右に振るって肉を食い千切る。人間とは違う何かになって体が強靭になっていたとしても、臓腑が溢れるような怪我をすればただでは済まないはずだ。
腹に開いた穴からは臓物と共に魔神の体内で形成される特有の黒い結石が零れ落ち、徐々に治癒していく傷口は人間の皮膚ものではなく弾力のある黒い皮膚によって塞がっていく。海より深く暗い愛情を持つ少女が魔神教徒によって行われた儀式の失敗でなってしまったのは魔神であったようだ。
「お師匠様……! よくも……よくもお師匠様を!」
師の全身を焼かれたことに激昂したナールは、左手で剣を抜くと悶え苦しむ魔神に向かっていき、全体重をかけただけの単調な刺突を彼女の胸部へと放った。
突き出された聖剣は魔神の胸骨を砕き魔力と生命の炉である心臓を刺し貫いたが、それと同時に加えられた負荷に耐えきることが出来ずに根元から折れてしまった。刀身から鳴り響いた金属音は何処か笑っているような、満足しているかのようであった。
「お師匠様! お師匠様! 大丈夫ですか?」
「痛ぇから揺らすな! まったく、ぼうろぼろだ……」
「ごめんなさい……。あぁそうだ、ナールに手がありますから任せてください! お師匠様、ちょっとだけお身体に触りますよ……」
ナールは突き刺さった槍を引き抜き、辛うじて生き永らえている俺の口を抉じ開け魔神の臓物と柑橘類の香りがする肉を放り込んだ。人の目があるので人間の死体を損壊するわけにはいかず、二度と癒着することが無いものであるとはいえ、随分と思い切ったことをしたものだ。
焼け爛れた傷口が癒ると同時に体が熱を持ち頭が酷く痛みだす。骨が軋む音が耳に直接響き、頭部の骨が変形していく不快な感覚が感じられる。
「っ――! まだ人を止めれるってのか……」
痛みが治まった時、近くに落ちていた割れたグラスで自分自身の姿が見えた。鏡に映る俺には新たに一対の瞳と瞬膜が形成されていた。どうやら魔神の肉と弟子の腕に内在していた大量の"業"を取り込んだ肉体が変質してしまったようだ。
「お、お師匠様!? 眼が、琥珀色の眼が増えていますよ!」
「眼が6つから8つに増えただけだからそう慌てるな。それよりも奴に、お前が心臓を貫いた魔神に止めを刺してやらんとな。あのままじゃ……少し可哀想だ」
「ケヴィン……私は貴方を愛――」
「ば、化け物め! 私の側に近寄るな!」
ケヴィンは近くに落ちていた皿を這いずり近寄って来る瀕死のレベッカに投げつけた。顔に当たって割れた皿の破片が額を切り裂き、流れた血が白目を染め上げ目尻から滴り落ちた雫がゆっくりと水溜まりを作り上げていく。
「お前も運が悪かったんだ。恨んでくれるなよ」
衛兵の死体から長剣を取り上げレベッカに振り下ろす。弟子を傷つけた事は決して許さないが、攫われた末に魔神に変貌させられた彼女には同情を禁じ得ない。来世やあの世という物があるならば、そこでは幸福になって欲しいものだ。
息絶えたレベッカを見下ろしていると、こちらに向かってくる多数の足音と騒がしい程の金属音が聞こえてきた。どうやら全てが終わった今になってようやく騎士団の本隊が到着したらしい。今回は目撃者が居て俺達は忌避される魔神を倒した功績を上げているので、間違って捕縛されることは無いだろう。
夜会での一軒の後、数日間続いた聴取から解放された俺達は一度帰宅して着替えてから"行方知れず"に行って朝食を取っていた。献立は正体不明の挽肉を香辛料で味付けして焼き固めた物と酢漬けの葉物をライ麦パンに挟んだ料理と、葡萄の果汁に少しの蜂蜜を加えた甘い飲料といった豪勢なものである。
「おいナール、口元が汚れているぞ。まったく……」
弟子の顔に布を押し当て、付いている肉汁やパン屑を拭き取ってやる。今のナールは利き手を失って食事を上手く口に運ぶことすら満足に出来なくなっている。左腕だけの生活に慣れるか、腕の代わりとなるものを手に入れるまでの間は補助してやらねばならないだろう。
「そういえばなのですがお師匠様。今日のナール達、ずっと見られてませんか?」
満足気に耳と尾を動かしていたナールは周囲を見渡してそう言った。彼女の言う通り、店に居る面々は自らの用事を済ませつつ時折俺達へと視線を向けている。
「あぁそれはな……表向きには『レベッカに取り憑いて復活した魔神をお前が倒した』ことにされている所為だ。身内から魔神が生まれた事実を王族が隠したせいで、今やお前は神代の存在を倒した英雄として見られるようになっちまったんだ」
「そうなのでしたら嘘を嘘だと伝えなくても良いのでしょうか? このままにしておいたら、ナール達も嘘吐きの仲間になってしまうのではないでしょうか?」
「不安に駆られた人間ってのは、聞き心地が良い噂を聞くとそれを信じて疑わない。今のこの国で真実を語っても無駄だから諦めろ。……もし過大な評価に不満があるなら、鍛錬を積んで相応しい人物になればいい。幸いお前には素質はあるし、努力次第じゃ噂に違わないようになれるだろうさ」
作られた英雄として時の人にされたことが不満げな弟子の頭を撫で回す。突出した才能と向上心がある彼女なら立派な英雄にだってなれるはずだ。
「おやおや、随分痛めつけられていたと聞いていたが元気そうじゃないか」
「……今更何しに来たんだ?」
「そう警戒するなよ。お前が知りたいであろうことを教えに来ただけだって!」
甘い香りと共に現れたルナが勝手に同席し、俺の朝食をひょいと掻っ攫う。
いつも通りの調子でこちらを煩わせてくる彼女は、一口を嚥下した後に紅の塗られた唇を開いて話を始めた。彼女が話したその話は俺達を帝国領へと、観光都市トロップへと誘うものであった。
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