24話

 入り口に立つ衛兵の横を通り別館の中に入ると、そこに広がっていたのは番号が記された多数の扉と廊下だけで構成された異様な屋内の光景であった。廊下を歩く者は見受けられず、軋む寝具の音と金銭が積まれる金属音だけが聞こえ、誰が通ったのかわからなくするめなのか焚かれた香の甘い香りが漂っている。

 恐らくだが、夜会で気を引かれた者との不貞や贈賄の現場などの表沙汰には出来ぬ秘め事を行うための場所なのだろう。感じる雰囲気は心地の良いものではないので、招待状の送り主との話が終わったらここからは足早に去りたいものだ。


「"赤狐"の野郎が好きそうな場所だこと……っと、ここがそうか」


 鍵に彫り込まれた番号を基に扉を見つけだし、扉を軽く叩く。相手が秘密裏に会いたいと願っていたとしても、ここでは礼儀を軽んじるわけにはいかない。

 こちらが来るのを随分と待っていたのか、扉を叩いてすぐに「入ってきてくれ」と男の声が帰って来た。その声に従って鍵を使って扉を開ける。扉は杖を突いた腰の悪い老人であっても軽々と開けられそうな程に重みが無く、誰が何処の部屋に入ったかわからぬようにする工夫がされているのか鍵穴を指してから開くまでの間に軋むことはなかった。

 屈んで部屋に入ると、室内には2人の人物が居た。1人は入室を許可した声の主である厳格な顔付の髭面の男、もう1人はナールの母親である白狼の獣人シャアラであった。ルテアに戻ってきたばかりで着替える時間も無かったのだろうか、2人が身に纏っている衣服は夜会で着られるような豪華な物ではなく普段使いの物だ。


「さぁどうぞ、畏まらずに腰掛けてください」


 ソファに座っているシャアラは、俺が座っても問題なさそうな大きな椅子に座るように促した。堅苦しい挨拶をする必要が無いのならとこちらが椅子に座ると、彼女は俺の目をしっかりと見ながら口を開いた。


「クルツさん、ナルシラ……いえ、ナールは無事ですか?」

「少なくとも外傷はありません。開口一番に聞くくらいに心配なら、彼女を直接見に行けばいいのではないのですか? 夜会の場に待たせてありますから、今行けば元気に食事する姿が見られますよ」

「無理ですよ。だって私は酷いことをしたと思われていますから……」


 シャアラは俯いて悲しそうにそう言った。彼女の口ぶりから察するに、弟子がゴミ捨て場に置き去りになったのはただ捨てられたからそうなったのではなく、何か理由があったからそうなってしまっていたようだ。


「夫人、貴方は何故あの子をゴミ捨て場に放置して去ってしまったのですか? 失礼を承知で言いますがね、私やナールからすれば貴方は貴族と結婚するために邪魔な子供を捨てたようにしか見えませんよ」


 師弟が思っているありのままをシャアラに告げ、否定の言葉と真実を引きだそうと試みる。彼女の後ろに立つ男は少し棘を含んだ俺の言葉があまり好ましく感じていないようで、眉間に皺を寄せた鬼のような形相になった。


「違います! あの時の私達は悪漢に後を付けられていて……母子ともに助かるため、連れていては振り切れないと思ってあの子を隠しただけなのです!」

「なら何故迎えに行かなかったんだ?」

「それは……それは殴られて記憶を失っていたからです。気が付いた時には全てを失い彷徨い歩き、通りがかったこの人に助けられて彼の妻に……。あの子の事を思い出したのはつい先日、声と彼女が私に向けた瞳を見た時なのです……」


 迎えに行けなかった事を、忘れてしまっていた事を悔やんでいるのだろう。シャアラは俯き泣き出した。そんな彼女を心配してか、強面の髭面は彼女の肩にそっと手を置いた。どうやら彼がリッセル卿であるらしい。


「理解してくれなくてもいい。ただシャアラが決して生粋の悪人ではないことと、罪悪感から直接会うことが出来ない弱さを持っていることだけは知っておいてくれ。そしてこれは随分我儘な話ではあるが、注げなかった愛情を君が代わりに注いでやってはくれないか」

「……理解は出来るし同情もしましょう。ですがね、最後の我儘だけは絶対に叶えられませんよ。私は彼女に親でなく師でなって欲しいと願われたのですから」


 リッセル卿の頼みを断り席を立つ。俺がナールに与えてきたのは師が弟子に注ぐ親心で、今更それを義親からの愛情に変えろと言われても無理だ。


「嫌々この場所に来て散々気分を害していましたが、貴方の真意を聞けただけで来て良かったと思えるようになりましたよ。住所を書いておきますので、ナールと話が出来るようになったら手紙を送ってください。2人で話せる場は作りますので……」


 室内に据え置かれている羊皮紙とインクを使い、爪で住所を書き残して部屋を去る。家族ではない俺から彼等に話すことはもう無い。あとは当人同士で解決するべき問題だ。少なくともナールの方には対談する準備が出来ているはずだ。



 別館から夜会の場へと戻ると、ナールは貴族や豪商の子弟に囲まれ話しかけられていた。会話の内容は魔神教徒との戦いが如何様なものであったのかであり、質問されたことに弟子が答えるといった形式だ。しかしながら彼等の目的は話を聞くことではないようで、下卑た視線をスリットから垣間見える脚や首筋へと向けている。露骨に欲望を曝け出す恥知らずで破廉恥な連中め。


「丁度良い所に、こちらのお嬢さんに"青珊瑚"を──ひっ!?」


 足音を聞き給仕が近くに居ると思ってこちらに顔を向けた男達はわざと口を開けて牙を剝き出しにし、荒い呼吸をする俺を見て驚き弟子の周囲から一歩遠退いた。"青珊瑚"という名の強い酒で、まだ子供である弟子を酔わせて無体を働こうと考えた下衆な彼等に殺意が沸いたのが隠せなかった。


「お師匠様! お話はもう終わったのですか?」

「あぁ終わった。思っていたよりも有意義な時間だったぞ」

「それは良かったですね! そうだ、お師匠様もナール達の活躍を語ってくださいよ! こちら方々はナール達の活躍を聞きたいそうですよ!」

「い、いえもう十分聞いたから結構ですよ。さぁ皆様、行きましょう」


 人間を丸呑みにしてしまいそうな魔族の近くに居たくないのだろう。男達はナールの言葉の後に俺が一歩前に出ると、蜘蛛の子を散らすように退散していった。


「まったく、これだから放って行きたくなかったんだ……15の成人を迎えていないガキに手を出そうとするなんて、下劣な奴等め」


 新たな標的として定めた給仕を取り囲む先程の男達を睨みつける。これから先、弟子が活躍すればああいった手合いが近寄ってくるのは間違いない。彼女には悪人を見分ける方法を改めて教えなければならないだろう。


「兎も角用事は済んだ。帰るぞ!」

「はい、お師匠様! あっ、その前にあそこの料理だけまだ食べていないので、帰る前に食べてきても良いですか?」

「……味わってこい」


 師の心配を他所に食い意地を見せたナールを見送り、こちらは最後の一杯を給仕の盆からを受け取って喉に流し込む。淡い青色の酒"青珊瑚"。叶わぬ恋と知りながらも貴族の娘と愛し合い、実らぬ愛というものを経験した酒造家が悲しみを表現するために作った芸術作品があんな使われ方をしているとは皮肉なものだ。

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