20話

 馬車に揺られて四半日、真昼になった頃合いに馬車が止まる振動で目が覚めた。

 目的地に着くまで随分時間がかかったのだなと馬車から首を出すとそこに見えたのは見慣れた城壁と家財を背負って逃げる居住者達、壁の内から聞こえるは怒号に金切声に金属音、生暖かい風に乗って臭うは爪や髪の燃える悪臭。眠っている間に辿り着いたのは、変わり果てた"花の都"であった。


「狼の、御主らはこれを背負い街で暴れる魔神教徒を討滅してまいれ」


 フーリは神殿騎士を顎で使い、弟子と共に馬車を下りた俺に紋章が入った盾を渡させた。彼が俺に与えた役割は彼の広告用の看板として走り回る事、何処で何をしていても目立つ俺が民衆を救い彼等からの支持をフーリの為に獲得してくる事だ。


「ソニア、余達は城へ急ぐぞ。魔神教徒共から御祖父様を守らねばならん」

「畏まりました。因みにどの様に城まで進むので?」

「堂々と中央通りを通って行く! 誰しもの目に留まるように突き進めい!」


 フーリの指示の下、聖女と騎士団は進んでいく。道中に居る魚面達は衛兵との戦いを終えて消耗しきっていたようで、ソニアによって容姿だけで神殿騎士に任命された実戦経験の希薄な修道士達でも蹴散らすことが出来ている。


「あの坊主共、散々な戦いぶりだな」

「えぇ酷いですね。あれじゃ武器を振るってるんじゃなくて、武器に引っ張られてるみたいです。見ているとなんだかむず痒くなってきますよ」

「あいつらはソニアに任じれて神殿騎士をやってるだけで、元はただの修道士か寄せ集めの孤児だからな。あぁなるのは仕方がないだろうさ」


 盾を背負い棍棒を担いで貧民街へと歩き出す。貴族街や王宮の付近には、既に衛兵や傭兵や冒険者が集まっているはずだから行っても大した手柄は立てられない。行くなら助けの手の届き辛い場所が良いのだ。


 煤と埃が舞う仄暗い貧民街を襲った魔神教徒は比較的少数であった。しかしながらここ守るはずの者の殆どが名声や金を求めて別の地区へと行ってしまうか逃げ出した為に、魚面達が好き勝手に暴れ回り、それによって起こった混乱の中で火事場泥棒が横行してしまっている。

 治安を守るはずの衛兵は貴族や大商人に自分を売り込もうと、腕利きの傭兵達は金払いの良い客を求めて、何でも屋と傭兵を混ぜ合わせたような存在である冒険者達は名声を求めて、それぞれが欲する物のために此処へ来ないことを選んだのだろう。俺も彼らとそう違わない。来る場所と来た理由が違うだけに過ぎないのだ。

 争う声がする方へと歩きづけていると、ふと焼け焦げた乳母車の中に八つ裂きにされた人形と空になった酒瓶が残されているのが目に入った。死屍累々たるこの道の何処かに横たわる者が捨て置いて逃げたのだろうか、それ程までに大事なものではなかったのだろうか。


「お師匠様、そんなに悲しい顔をしてどうしたのですか?」

「……小事に過ぎないから気にするな。さぁ急ぐぞ! 目撃者が居なくなっちまったら、依頼主の要望を満たせなくなっちまう!」


 汗ばんだ手の平で顔を拭い、娼婦の骸を漁って宝飾品を集めていたナールを急かす。名声も金銭も求めず貧民街で戦っている愛すべき阿呆達の下へと一秒でも早く馳せ参じ、大暴れをしてやらなければ。



「セオ様、これ以上は無理ですよ! 私達は数で負けている上に皆疲労の極みにあり、矢も魔力も尽きかけていて……今逃げなければ、貴方様の御命が――」

「ならん! これ以上私達が退けば避難している者に被害が及ぶ。決して退くな!」


 戦闘の続く場所へと辿り着くと、そこには村で遭遇した青年が手勢や冒険者達と共に数十人の魔神教徒達と死闘を繰り広げていた。口振りと様子から察するに、随分と苦戦しておいでのようだ。もしも今増援が現れたならば、彼等や彼等に守られている者達はその人物のことを忘れられなくなるはずだ。

 砂を拾い上げ手に馴染ませ、目配せと手振りで最初に仕留めるべき標的である弩を持った魚面達を狙えとナールに指示を出す。俺達は敵の背後を取れているので、今から仕掛けるこの攻撃は完全な奇襲となるだろう。


「ケケケっ、随分粘ッたがコレで終ワりダ! 斉射用意!」

「くっ、ここまでか……」

「矢毒デ悶え苦シムが良イ、放――」

「戦列を食い破るぞナール、遅れずに付いてこい!」


 指揮官の魚面が斉射の号令を下そうとしたその瞬間に建物の陰からナールと共に飛び出し、弩を持った魚面達に襲い掛かる。背後から襲われた彼等は指で突かれた積み木の玩具の様に体勢を崩し、装填されていた矢は倒れた衝撃で引き金が引かれたために明後日の方向へと発射された。


「街を、人を、己の名誉を守りたくば脚を前に出せ! 古の者がその名で呼ばれる由縁となったように、危険にこそ飛び込んで見せろ!」


 場の有利不利が逆転したこの機を逃がさぬように、崩壊寸前であった冒険者達を鼓舞して戦闘へと誘う。形骸化して便利屋の様なものとなっているが、元来冒険者とは開拓者の先駆けとなり力無き者を危険から守る役目を負った英雄達の称号である。そしてこの場に留まる事を選んだこいつらは、伝説として語り継がれるような冒険者の様になりたいと願う夢追い人に違いない。そんな彼等ならばこの言葉に乗らぬわけがないだろう。


「勝機を逃すな! あの男が崩した一角に突撃せよ!」

「聞いたか野郎共、行くぞ!」


 セオという名の青年の号令を受けた冒険者達は俺達が崩した戦列へと突入してきた。

 思わぬ奇襲に思わぬ反撃を受けた魚面達は恐慌状態に陥り統率を失った。戦い続けようとする者は討ち取られ、戦意を失い逃げ出す者は無防備な背中を射かけられる。こうなってしまっては戦闘ではなく一方的な虐殺だ。


「こりゃあ鹿狩りと変わんねぇな。おらおら、待ちやが──」

「ひぃっ!? な、なんだこいつは!? やめ、やめてくれぇッ!」


 最早この場の趨勢は決した、次は何処に馳せ参じて暴れてやろうかう思案していると、曲がり角の先まで魚面を追撃していた冒険者達の悲痛な叫びが響いてきた。強大な力を持つ何者かに襲われたのだろう、曲がり角の先へ行った者は誰一人として帰ってこなかった。

 彼等を屠った強者は馬に乗り鎧を着込んだ重騎兵であるようで、一定間隔で地面を打つ蹄鉄の音と金属音がこちらにゆっくりと近寄ってくる。この音には聞き覚えがある。恐らくだが、この音の主は一騎当千の力を持つ魔族だ。


「ウヌゥ……冒険者相手ニ苦戦シテイルト思エバ、貴様等デアッタカ……」


 曲がり角から姿を現したのは、やはりあの時の鯱頭であった。彼と彼の乗る馬はここに来るまで戦い続けていたのだろう。全身に刀傷を負い、矢が突き刺さって針鼠の様になった彼等は血を垂れ流しながらこちらへと歩んでくる。

 いつ倒れて息絶えてもおかしくない状態だというのに、近づいてくる彼等の迫力は一切衰えを見せていない。荒い息遣いは獅子の唸り声のように、大地を踏みしめる一歩一歩の歩みは戦象が進んでいるかの様に強くそして重いもののように感じられる。


「成程、我ガ生涯最期ノ相手トシテハ悪クハナイカ……!」

「何が成程だ。人様を勝手にそんな大層なものにしてくれるなよ!」


 突進してくる鯱頭を迎え撃つべく金砕棒を振り被る。久方ぶりに武人肌の者と真っ向から打ち合う緊張で、顔が引き攣り笑っているかの様になってしまう。鼓動は自分の耳に届くほどに速くなり、体は熱された鉄の様に熱くなっていく。

 槍斧と棍棒、鯱頭と俺が振るった凶器は俺の物が先に標的へと叩きつけられた。振るう速度は向こうのほうが上であったが、俺が狙っていたのは鯱頭よりも前に位置する葦毛の馬が走る際に前に出す前脚。先に届かぬわけがなかった。

 馬にとって命と等しい前足を圧し折られてもなお、葦毛は自らに課せられた軍馬としての務めを果たさんと残った3本の脚で飛び、体躯でもって俺を押し潰そうと試みた。思いもよらぬその攻撃を俺はそれを躱すこと出来ず、棍棒を投げ捨てて両手で受け止めざる負えなかった。


「ザンザス、御主ノ作ッタ好機……無駄ニハセヌ!」


 馬上で体勢を整えた鯱頭が、重みで動けなくなっている俺の心臓めがけて槍斧を突き出した。棍棒を拾い上げて打ち払うには遅すぎて、すぐに動かす事が出来る片手だけでは止めることは不可能であるこの刺突に対して出来ることは最早一つしか残されていない。左手で押し潰されぬ様に圧し掛かる馬体を支え、右の手の平を槍斧に敢えて貫通させ心臓を破壊されぬ様に逸らすしかなかった。

 激痛を伴う苦肉の策により刺突は右胸へと逸れ、内臓を突き破り体を貫通して石畳へと突き刺さった。鉄の冷ややかな感触と穴や口から零れ落ちる温もり、煮え湯に放り込まれたかの様な発熱を感じた後に声と涙を抑えられぬ痛みが訪れる。


「ナーッ――師しょッ……を殺す気か!!」


 口内に上がってきた血液と共に音を吐き出し、突き刺さった槍斧の柄を引き抜けないように掴む。俺は重傷を負っているので肉を食らうまで動けず、鯱頭は機動力と武器を失って著しく戦闘能力を欠いている。この絶好の機会を赤の他人に取らせてなるものか。

 名前を呼ばれ、俺が一騎打ちをするとは言っていないことに気が付いたナールは剣を抜きながら駆け寄り、俺の背中を踏み台として使って跳躍した。通常であれば高さという武器を持つ馬上の鯱頭に刃を突き立てる事は叶わないが、登り慣れた台座があって相手が動かない今ならそれは叶うはずだ。


「お命頂戴します!」

「――アノ時ノ童カ!?」


 鯱頭は手綱から手を放し、腰のベルトから短刀を抜くと斬りかかってくるナールを迎え撃った。驚くべきことに彼は剣と短刀という極度に不利な攻防を制し、弟子の刃が届く寸前に短刀で彼女の上着の表面を引き裂いた。それ同時に鯱頭の首筋は切り裂かれ、彼は切創から血の飛沫を撒き散らして落馬する。


「フム……鉄板仕込ミデアッタカ。ソレニソノ剣、ソウカ、ソレナラ納得ダ……。双剣ノ騎士トイイ、最期ノ戦イハ良キ敵ニ巡リ会エタ……」

「お前、ベーリンの野郎と戦ったのか……? なら奴は――」

「心配セズトモ討チ漏ラシテオル。モットモソレガ良イ事デアルトハ思エヌガナ……。オォ神ヨ、我等ガ魂モ今其方ニオ送リ致シマス……」


 倒れ伏した彼は傍らに横たわった葦毛の顔を撫でながらそう答えると、満足した表情で天を仰いだ。彼の言葉が本当であるならベーリンは死んでいないようだが、それが良い事ではないとは一体どういうことなのだろうか。


「クソっ、抜けれねぇ……。ナールとそこのお前ら、こっちに来て俺を引っ張れ!」

「えっ、それで引き抜いたら死にますよ!? 術師を待ったほうがいいんじゃ……」

「来るかわからん奴らを当てに出来ん! 手はあるから気にせずやれ!」

「そこまで言うならやりますけど……これで死んでも恨まないでくださいね!」


 槍斧が突き刺さったままで動けないので、ナールと冒険者達に体を引っ張らせる。彼らが槍から俺を抜き内臓が零れ落ちたその瞬間に、近くに倒れていた魚面の肉を喉へと通して砕けた腕と空いた穴を塞ぐ。死なぬ為にはそうする他無いとはいえ、口内も不快な肉で埋め尽くされる感覚はやはり耐え難い。今すぐにでも上質な肉料理を食べてこの感触を打ち消したいものだ。

 それにこれをやると周囲の目が変わってしまう。今の今まで共に戦って親近感が沸き始めたセオや冒険者の視線が、一瞬にして化け物を見る目になっていた。彼等がそう思ってはいけないのだと考え見せないようにしても、感じたことは少なからず表情に現れている。


「……次を探すぞナール。俺達は契約金分の仕事をしなくちゃならん」

「ま、待ってください! 今行きます!」


 棍棒を背に背負い、引き抜いた鯱男の槍斧を手に持ってセオ達に背を向けて去る。俺達は名声や称賛を得る為に戦っているわけではなく、立場上断る事の出来ない相手から与えられた仕事をこなしているだけなのだから敵が居なくなったこの場に居る彼らと関わる必要はない。王家の盾を背負った傭兵一行が強敵を討ち取ったという事実が知れ渡るなら、それで良い筈だ。

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