19話

「ベーリン様、アンナ様とシャアラ様が国外へ向かわれました。馬車での移動ですので何もなければ夕刻には御自宅に、真夜中には帝国に辿り着けるかと」

「それで間に合うといいんだがな……。ところでエリー、お前は何故逃げなかったんだ? 暇は出したんだし、他の使用人みたいに逃げても構わなかったんだぞ?」

「私まで居なくなってしまったら、このお屋敷を守る者も貴方様のお世話をする者も居なくなってしまうではありませんか。湯沸かしで火事を起こしてしまうような貴方様を1人になんて出来ませんよ」


 微笑み背伸びをしたエリーが歪んだ兜に触れる。彼女の体温と震えが、冗談を交えた口調で隠そうとしている不安と恐怖が面頬越しに伝わってくる。


「必ず帰ってくる。その時には――」

「その時の事はその時に教えてください。私は楽しみに待っておりますので」


 エリーは人差し指を面頬に押し付け、想いを伝えようとした主人の発言を止めた。伝えるために帰ってきて欲しい、それを受ける気があるという事なのだろう。

 不意に視界がぼやけ、愛しい人の顔から血濡れた石畳へと変わっていく。どうやら今の今まで見えていた光景は、魔神教徒との戦闘で受けた傷で死に瀕したことで記憶が走馬灯のように思い出されたものであったらしい。


「エリー……俺は……お前を……」


 愛しい人の名前を呼び、曇り空へと手を伸ばす。視界が黒く染まっていく中で、最後に見えたのは手を差し伸べる大きな帽子を被った茶髪の魔女であった。


「さぁ、君の願いを言ってごらんよ!」



 帝国領に続く山道、"山賊道"の入り口に辿り着いた俺達は、金箔で覆った彫刻で彩られたルテア王家の所有物であることを表す紋章が印された壮麗な馬車と月教徒の神殿騎士が乗り込んだ幾台もの馬車に出会った。不穏な情勢でなければ、王族が旅行を兼ねた巡礼へでも向かっているかのようにも見えていただろう。


「ふぁ……おはようございますお師匠様。あー……馬車がいっぱいですねぇ」

「王族と月教徒は何かにつけて難癖を付けてくるから、あまりじろじろ見つめるなよ。こっちは何もしてなくても悪目立ちするんだからな」

「おい貴様ら! そこで何をしている!」


 早朝となり目覚めた弟子に言い聞かせ、首を垂れて足早に立ち去ろうとしたが彼らは俺達を放ってはおかなかった。神殿騎士達は剣を抜き俺達を取り囲むと、いつでも突き殺せるように切っ先を向けてきた。


「おいおいまたかよ……。ナール、向こうが仕掛けてくるまでは絶対に抜くなよ。権力者の護衛とやり合うことになるのは流石にまずい」

「はい! 了解です!」


 弟子が背中から降り、背後に回ってお互いに死角が生まれぬ様に立ち回る。小さな彼女ではあるが、背を守られている安心感は凄まじい。まるで大きな壁を背にしているかの様に目の前の相手に集中できる。

 俺達と周囲の神殿騎士達とが睨み合いを始めて数分間が過ぎた時、彼らの包囲の一角が左右に割れ1つの道が出来上がった。その道の先からは神々しい法衣を纏った薄茶色の髪の、世間からは"月の巫女"と呼ばれている妙齢の女が顔立ちの良い少年達と共にゆったりと歩いてきた。

 彼女の雰囲気や外見は清貧を重んずる月教の宗教画に書かれる成人のそれであるが、本性は他の多くの司祭と同様に決して神聖なものではない。彼女は飲酒や美食を好み、容姿端麗な少年を孤児院で見つけては神殿騎士として自身の護衛にしたり世話役に組み入れて囲わせ、権威を高めるための政争に明け暮れている生臭坊主なのだ。


「あらあら騒がしいから何かと思えば、そこにいるのは"疫病"さんではありませんか。勇者様が居なくなってからは落ちぶれて、酒浸りになっていたはずの貴方が小さな女の子を連れてこのような所で何をしているのですか? 小さな女の子を誘拐なさっているのですか?」


 糸目で柔和な笑顔と穏やかで優しい口調、彼女を知らぬ者を魅力する包容力を放ちながら聖女は俺達に質問を投げかけてきた。一皮剥いたら野望と加虐愛が詰まっているとは思えない、外面だけはその称号に相応しい風格を彼女は纏っている。


「あの馬車に御座す方々を亡き者にする様にと雇われて、子供を盾として使ってでもその仕事をやり遂げようとここに現れた……とかなのでしょうか?」

「お師匠様はそんな事をしようとなんて考えてません! お師匠様はナールと一緒に帝国へ行こうとしているだけです!」


 師に投げかけられた反応を窺う挑発的な質問が余程気に食わなかったのだろう。ナールは俺が反論するよりも早く、そして大声で否定した。弟子に尊敬されることは嬉しいが、彼女が噛みついた相手は月教を信仰する地域において強大な権力を有し畏敬される聖女。月教徒だらけのこの場所で突っかかるべきではない相手だ。


「貴様! 聖女様に何という態度を、子供とはいえ許せぬぞ!」

「待ちなさい! そう……そうなのね。ごめんなさいねナールちゃん、最近凄く物騒だからお姉さん神経質になっちゃてるの。許してくれるかしら?」


 "月の巫女"、ソニアという名の少女は予想通りに激昂した神殿騎士を制止し、視線を弟子に合わせ許しを請うた。弟子の言動から欲していた情報を得られたのであろうか、それらの動作をする直前に彼女はひっそりとほくそ笑んでいた。

 それを目撃した弟子は、眼前の女が外面をよく見せているだけの悪人であると気づいたらしい。顔の僅かな動きから聖女の本質の一角を垣間見た彼女は、恐怖で体が固まり全身が泥沼に浸かってしまったかのように動けなくなっている。


「ソニアよ、魔神教徒から民を救う為に移動している途中だというのに御主は何をしておるのだ。今こうしている間にも民草は苦しんでおるのだぞ」


 色白で細身の少年が豪奢な馬車から降り立ち、ソニアに苦言を呈した。王家の紋章が刺繍された外套を纏う中性的なその少年の顔と、彼が被る宝冠には見覚えがあった。間違いない、あれは国王の孫であり王位継承権4位である王族フーリ・ルテアその人だ。

 王位継承権を持つ者が魔神教徒と自ら兵を率いて戦おうとしているのは己の継承権を盤石なものにする意図があり、ソニアや月教徒達はそれに付き従うのは彼を擁立して政において力を持つためだろう。


「不審な者を見つけたので問答を。ですがご安心ください、外見こそ珍妙な者達ではありますが我が国に住むただの傭兵とその弟子でした」

「傭兵だと? ふむ、体躯は悪くないな……」


 ソニアから説明を受けた赤毛の少年は俺達を見て考えこんだ。彼が何を思案しているのかは容易に想像がつくが、それが正解であって欲しくはない。権力争いになど関わりたくはないのに、立場上断れないから合っているなら最悪だ。


「貴様ら、余に雇われぬか? もし余と共に悪逆非道の限りを尽くす魔神教徒の討伐へ赴くというなら、言い値の報酬を用意するぞ」


 フーリは1人の傭兵に対して持ちかけるにしては破格の条件を提示した。何故彼がそうしたのかの真意は全くわからない。青天井の報酬で2人を傭うくらいなら、傭兵団を丸ごと雇った方が効率が良いだろうに。


「……小銀貨30枚で、捨て駒になさらぬ限り師弟共々貴方様の兵となりましょう」

「おぉ受けてくれるか! だが御主らはその条件で良いのか? 折角の青天井なのだから同じ枚数を大銀貨で求めても良いのだぞ?」

「御心遣い感謝致します。ですが私めは私めが提供出来る能力以上の報酬を要求しないと決めているのです。どうか御容赦を」


 金が多く貰えるに越したことはないが、貰い過ぎるのはよろしくない。報酬というものは、それ即ち仕事に対する責任の重さでもあるのだから。


「それで構わぬと御主が言うなら余は何も言わぬが……。まぁ良い、契約を書面にしてやるから連れ付いてまいれ」


 そう言うとフーリは自分の馬車へと乗り込んだ。

 彼の後ろを歩き馬車の前まで辿り着くと、豪華絢爛な内装が見えた。座席は寝台として使っても体を痛めぬように柔らかい素材で覆われ、高めに作られた天井には煌びやかな絵画が描かれている。帝国の皇帝が乗る立派な馬車の内装を遠目で見たことがあるが、この馬車はそれ以上に豪奢かもしれない。


「よく読み問題無くば血判を押せ」

「……確認致しました。これで師弟共々貴方の手勢で御座います」


 差し出された契約書に相違が無い事を確認し、牙で指に傷を付けて血判を押す。ナールには申し訳ないが、暫くの間ご褒美はお預けになってしまう。この一件が片付いた時に改めて褒美を与える時は、何か付け加えてやらなきゃならんな。

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