第一話 暗殺剣 三
翌日、町奉行所に出仕した暮坂外記は、上司の筆頭同心である
「それでお前を襲ったが、返り討ちになったという浪人はどうした?」
家弓は四十歳で、四角い顔に
「はっ、自身番に医者を呼んで診せましたが、あいにく血を流しすぎて亡くなりました」
「そうか……」
本来、町方同心は罪人を殺さずに捕まえるのが基本である。だが、真剣で襲ってきた者、しかもふたりの刺客にそれは難しいであろうと不問にされた。
「その浪人がどこのどいつだか分からないのか?」
「初めてみる顔の男でした。着物や持ち物を調べましたが、身許が判明するようなものはございませんでした」
「そうか……」
「
そういって、外記は懐から折り畳んだ人相書を取り出して、家弓にわたした。
人相書きには月代を伸ばし、髭面の浪人が描かれていた。家弓は眉を凝らして見ていたが、
「わしにも覚えのない男だな……もっとも、町方同心というものは、わしもお前も罪人や町の悪党どもから嫌われておる。過去に関わった事件の関係者かもしれんな」
「はい……この人相書を刷り増しさせて、仲間の同心や岡っ引き連中や自身番に配布しようと思います」
「うむ……そうしてくれ」
暮坂外記は同心詰所へ行き、同僚たちに人相書を見せた。
外記と同い年の
「ふうむ、こいつが外記を襲った無頼浪人か……だが、俺に思い当たる節はないなあ」
尾形は猪首で小太り、
あいにく、ここにいる同心たちに、誰も心当たりのある者はいなかった。
定町廻りでも新米の同心である
「暮坂さん、災難でしたね」
「ああ、昨夜はとんだ剣難だったぜ。お前のように女難なら良かったのにな」
「暮坂さん……からかわないでくださいよ」
西戸は顔を赤らめた。彼は
「すまんすまん。みなも何か思い出すことがあったら教えてくれ」
「おう、わかった」
同心部屋の者たちにも緊張が走る。次に謎の刺客に狙われるのは自分かもしれないのだ。
昨日、刺客に闇討ちを仕掛けられたばかりだが、暮坂外記はふだん通りに市中に見廻りに出た。
御番所を出ると、そこへ、外記が十手と岡っ引きの手札を渡している弥陀の頼蔵が下っ引きたちを連れてやってきた。
「暮坂の旦那、人相書が刷り終わりました」
「そうか、ご苦労だった」
同心たちに配った他に、岡っ引きや木戸番などに配る人相書の刷り増しを、日本橋
「さっそく手分けして自身番や木戸番に配布させます」
頼蔵の指図で、甲吉、耳助、与太八らが東西に散り、あちこちの自身番や木戸番に人相書を配布しながら、番太や町役人に男を知らないか訪ね回ったが、刺客の正体は杳として知れなかった。
暮坂外記は頼蔵を引き連れ、担当区域の見廻りをしていた。浅草広小路の北側にある花川戸町の自身番を訪ねた。
江戸の町人地に自身番が設置されていた。これは江戸町奉行の出張所と、町年寄が詰める江戸町会所の連絡所を兼ね、裁判所と派出所を一緒にしたような役目があった。
自身番小屋の広さは九尺二間の決まりで、土間と奥に畳に敷いた部屋があった。
自身番の番人は、五人番の場合、町内の主だった家主が一名、店番が二名、雇入が一名の五人番で構成された。三人番の場合は家主、店番、雇入が一名ずつであった。
ただし、この家主は、家の持ち主ではなく、借家の管理人のことであり、大家さんとも呼ばれていた。
お江戸の町家は、ほとんどが地主から土地や家をかりた借地借家である。これを管理するのが、家主あるいは大家と呼ばれる者であった。ただ家を管理するだけでなく、そこに住んでいる借家人の管理も委任されていた。
だから家主は自身番につめ、奉行所からのお触れの伝達、人別帳の記入から、町内のもめ事の仲裁、犯罪者の逮捕・拘留といったことまでやっていた。
外記が「番人」と声をかけると、中にいる家主が「はぁー」と返事をした。
障子が開いて、四角い顔をした店番の親爺が顔をだす。
「町内に何ごともないか?」
「へえーえ」
頼蔵は懐から折り畳んだ人相書きを取り出して自身番屋の家主、店番、雇入らに見せた。
「とっつあん、この浪人者に見覚えはねえかい?」
「はあ、手前には見覚えのない方ですねえ……お前達はどうだい?」
雇入は首を振ったが、店番の親爺は難しい顔をして
「おい、もしかして見覚えがあるのかい?」
「頼蔵親分、この御浪人さんが何かしたので?」
「ああ、容疑があって捜している」
「もしかしたら、道場に出入りしている浪人に似ているんじゃないかと……」
「なに!?」
頼蔵と外記の眼が鋭くひかった。
「いってえ、そいつはどこにいるんだい!!」
「はい、根津神社の近くにある剣術道場に出入りしている奴に似ているような……」
「なんていう道場だ!!」
頼蔵の剣幕に店番の親爺は驚いたように、
「い、
「頼蔵、落ち着きな……家主、その井馬道場ってのは、どんな所なんだい?」
外記が冷静な表情で家主に尋ねた。
「はい……以前は活気のあった道場でしたが、先代の道場主が亡くなり、今の当主になってから変わっちまいました。食い詰め浪人たちが集まるようになり、その中にこんな顔の男がいたと思います」
「井馬道場か……」
暮坂外記の双眸が獲物を追い詰めた猟犬のように光った。
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