第一話 暗殺剣 四

 外記と頼蔵は根津神社を訪れた。根津神社の境内には千本鳥居や徳川綱吉公が造営した社殿などあり、つつじの名所としても知られた。

 また門前に出来た岡場所は根津遊郭と呼ばれるほど栄えていた。

 その門前町の外れに井馬道場はあった。

 剣術道場は田地の中にある百姓屋を改築した建物であった。元は近くにある旗本の居宅街から子弟や町人が通っていたが、現在の当主になってから門人が減ったという。

 門前の辻番所は町奉行所の管轄外なので聞き込みができない。頼蔵は甲吉たちと門前町の居酒屋や飯屋へ聞き込みに回った。

 根津で外記を襲った刺客の片割れいるであろうから、外記は黒羽織を脱ぎ、深編笠をかぶって面体を隠した。

 人相書を見た蕎麦屋の主がその男を知っているというので、茶屋で待っていた外記をお多福たふくという蕎麦屋に呼んだ。

「とっつあん、あられを五人前たのむぜ」

「あいよ」

 やがて湯気をたててあられ蕎麦が届いた。あられ蕎麦は温かい掛け蕎麦の上に、あられに見立てた青柳ばかがいの貝柱と海苔を散らした種物だ。

「それでとっつあん、この男を知っているっていうんだよな」

「ああ、こいつは瀬木孫六郎せきまごたろうって浪人だよ」

「瀬木孫太郎か……」

 暮坂外記に心当たりのある名前ではなかった。

「ちかくの剣術道場の門人で、この店にもときどき来るよ」

 外記を襲って返り討ちにあった浪人の名前が知れた。

「その瀬木さんとつるんでいる浪人を知らないかい?」

「ああ、数人ばかりいるね。みな井馬道場の門下生だよ」

「名前はわかるかい?」

「ああ、飯塚磯之介いいづかいそのすけさんと乾太兵衛いぬいたへえさんだ」

 そのうちの一人が昨夕、暮坂外記を襲った刺客のひとりだろう。その一人が外記に個人的な恨みを抱いているのか、それとも金で雇われているのか、この時点では分からない。

「井馬道場の評判はどうだい?」

「ああ、前の道場主の井馬塙斎いまかくさいって人はひとかどの人物で、近くの旗本の次男三男が通っていたものだが、今の当主、井馬隆玄いまりゅうげんてのに代ってから、寄り付かなくなったねえ」

「じゃあ、今はどんな門下生がいるんだい」 

「それが浪人者や得体のしれねえ野郎ばかりが出入りするようになったねえ」

「得体の知れぬ者……」

「ええ、以前、この辺りの地回りが三人ほど、盛り場をひとりで歩く井馬隆玄先生に食ってかかったことがありましてね」

「ほう。それでどうなった」

「隆玄先生が突然、刀を抜き、三人の無頼どもをあっというまに叩き斬ってしまったんですよ。それ以来、井馬道場の者が岡場所に繰り出すと、根津権現に巣食う地回りやヤクザ者は青くなって身を隠します」

「いまどき、中々の腕をもつ剣客のようだな……」

 外記たちは奥の席に移らせてもらい、飯塚か乾が店に来るのを待った。

 慈雲山瑞輪寺じうんざんずいりんじから申刻半ななつはん(午後五時)を報せる鐘が鳴った。井馬道場に見張らせていた与太八が店に駆け込んできた。耳助はまだ道場に張りついている。

「道場の練習が終わったようで、門下生たちのうち二人だけがこちらにやってきます」

「そうか、ご苦労」

「男のひとりが酒瓶を持っていました」

「親父、この店では持ち帰りの酒も売っているのか」

「へい、そうですよ。あんた達も土産にどうだい?」

 そのとき縄暖簾をかきわけ、店の中に浪人がふたりきて、酒を注文した。猪首の背の低い男と、中肉中背の猫背ぎみの男だ。いずれも剣術で鍛えた身体つきをしている。

 外記はこの猫背の男に見覚えがあった。

 ――昨晩の逃げた刺客に体つきが似ている。

「親父、酒瓶を頼む」

「へい……」

 浪人のうち猪首のほうが親父に話しかけ、店内にある酒樽の下部に差しこんである呑み口の栓を抜き、トックトックと音を立てて酒瓶に酒が入っていった。

 ふたりの浪人が酒瓶を持ち去ってから、甲吉が親父に聞いた。

「今の男たちはもしかして……」

「へい、猪首の人が飯塚磯之介さんで、猫背の人が乾太兵衛さんですよ」

 外記は猫背の男の体形に見覚えがあるような気がした。夜中に襲撃した刺客浪人のうち、逃げた男に姿形が似ている気がするのだ。

「また道場へ向かったようだが……」

「ああ、練習が終わったんで、酒盛りをするんですよ。時々、岡場所から女郎を呼んでくることもあるようですね」

「ほう……」

 外記はじわじわと刺客の本拠地へと近づいていく手応えを感じていた。


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