第24話 調子に乗りすぎたんだよ。
14.
走っているうちに息が切れて、ミカは途中で立ち止まった。
歓楽街から離れると、途端に喧噪が途切れ静かになる。
辺りは夜の闇に覆われており、
ミカは足を引きずるようにして、のろのろと歩き出す。
先ほどまで感じていた怒りが嘘のように、今は心が虚ろで体がシンと冷えていた。
一体、自分は何のために、どこに向かっているのだろう?
心に
歩いているだけで息が苦しくなる。
振り返ると、いま走ってきた道の遥か先に、月の光を反射して光を帯びる白く細長い尖塔が見える。
涙玉宮。
海の精霊が流した涙のような美しさを持つと讃えられる白亜の宮殿は、エリュアの支配者が住まう場所だ。
涙玉宮で開かれる私的な宴や集まりでは、身分の高い貴族ですらザファルの横にいるミカに世辞を述べ、機嫌を取り結んだ。
たが、そんな一時の称賛や栄華が何になると言うのだろう。
どれほど持てはやされても。
崇められかしづかれても。
贅沢に遊んで暮らせるほど金を稼げても。
公爵の命令ひとつで、トビィは明日にでもルグヴィアに帰ってしまう。
ルグヴィア公国に忠誠を捧げた銃剣士であるトビィが、これまでの人生を棒に振るはずがない。
男を相手にする生業の男に乞われたという理由で。
そんなことはわかっていたはずなのに、目の前に突きつけられると全身を針で突かれるような痛みを感じた。
(お前が言うなら、どんな願いだってかなえてやるのに……)
(俺、お前のためならすっげえ頑張れるのに……)
何だって、どんなことだってするのに。
「何で……」
心の中に浮かんだ少女の笑顔に向かって、ミカは呟いた。
「何で……駄目なんだよ」
ミカは、幼い頃から自分のみを頼りに生きてきた。生きるために自分の体を使い、社会の上層に生まれた、という幸運に恵まれただけで安穏として生きている人間を手玉に取ってきた。
彼らが、自分を忌まわしい者と思いながらもその魅力に抗えず、
ミカにとって、汚れた泥水をすすって社会の暗がりで美しく咲くことが自分を悲惨な境遇に産み落とした世界に対する復讐であり、それ以上に自分を自分たらしめる誇りだった。
だが、いま。
生まれて初めて、地位や身分を持つ人間に焼けつくような羨望を覚えていた。
どんなに末端でも構わない。
身分さえあれば……。
そう思う自分がひどく惨めだった。
不意に強い力で押され、ミカは大きくよろめいて地面に手をついた。
「道の真ん中でボサッと突っ立ってんじゃねえ」
嘲笑を含んだ罵声を浴びせられ、ミカは怒りで瞳を燃え上がらせる。
射すような眼差しを向けられて、ぶつかってきた男はわずかに身を引いた。
だが。
目の前で自分を見上げているのは、少女とも見まがうような華奢な少年であることが男の気を大きくした。
「何だあ? その顔は。何か文句があるのか?」
男の後ろには、同じように柄が悪くいかにも腕っぷしが強そうな仲間が二人、余裕のある笑いを浮かべている。
ミカは立ち上がる。
普段ならば相手にもしないが、今日は自分の体内に沸き立つ怒りを押さえることが出来なかった。
「おうおう、気がつええな」
「俺は跳ね返りは好きだぜ。鳴かせがいあるからな」
「お嬢ちゃん、暇ならちょっと付き合えよ」
「触るな」
ミカは低い声で呟き、伸びてきた男の手を振り払う。
「売女のくせしやがって。随分、お高く止まっていやがる」
男はニヤニヤと笑いながら、振り払われた手を大袈裟に振る。
「こいつは
「はあん、信じらんねえな。男のナリはしているが、女にしか見えねえ。これで下にナニがついているのか」
「確認してみりゃあいいだろ」
三人の男たちは、薄笑いを浮かべてミカを取り囲む。
ミカは男たちの顔を眺めて呟いた。
「俺を知っているのか」
男たちが品のない笑い声を立てたのを見て、ミカは舌打ちする。
男たちが自分に絡んできたのは偶然ではない。
そう気付いたのだ。
「なあに、ちょっと俺たちと一緒に来て、ゆっくりしていってくれりゃあいいんだよ」
「しばらく淫売稼業は休んでな」
「誰に頼まれた?」
鋭い声で発せられたミカの問いに、リーダー格の男は笑った。
「お前は調子に乗りすぎたんだよ」
「なに?」
伸びてきた男の手が、ミカの体を抱え込む。
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