第23話 ミカの怒り

「……んだよ」


 吐き捨てられたミカの声に怒りがこもっていることに気付き、トビィは慌てて言った。


「ご、ごめん、何か……びっくりしちゃって。急にミカじゃない人になっちゃったみたいだったから……」

「俺みたいな下賎の者は、お貴族さまの真似事をしたって茶番にすぎないってことか……」


 低い声で言われて、トビィは瞳を見開く。

 どんな時も誇りを失わない、むしろ親から受け継いだ血筋や財産だけが自慢であるような自堕落で無能な貴族を見下してさえいるミカが、自らを卑下するような言葉を言うのは初めてだった。

 ミカは薄暗い顔つきのまま、トビィを横目で見た。


「お前……公爵さまに惚れてんだろ?」

「え?」

「見てりゃあ分かるさ」


 ミカの顔に、無理やり歪められて作られたかのような、悪意と嘲笑が浮かぶ。


「れっきとした銃剣士さまが娼館にもぐりこんで、俺みたいな男に抱かれて金を稼ぐ男の面倒を見ているのも、公爵さまのためだろ? 忠誠を尽くしてめかけにでもしてもらうつもりか? 健気だねえ」


 ミカはトビィの顔から視線をそらし言葉を続けた。


「何かわりいな。お前がそんなに慕っている公爵さまは、俺にご執心みたいで。俺が愛人になったら、お前のこともたまには構ってやれって言ってやるよ」


 そう言ったミカの顔は恐ろしく蒼ざめ、まるで体のどこかに焼きゴテでも当てられているかのような苦痛が浮かんでいた。

 ミカは自暴自棄になって、目の前にある何もかもを壊そうとしている。そのために放った刃によって自分自身を深く傷つけ、致命的に損ねようとしていた。

 トビィはミカの言葉を押しとどめようと口を開いた。


「ミカ、ルグヴィアに行こうよ」


 トビィの言葉に、ミカは一瞬虚を突かれた表情になる。

 眉をひそめて視線をそらそうとするミカに追いすがるように、トビィは身を乗り出す。

 

「ルウェル様は、ミカをそ、その、あ、愛人……にしようとしているわけじゃないんだよ。きっと、何か事情があって……。だから!」


 トビィは前のめりになって、ミカの顔を覗き込む。


「ルグヴィアに行けば、もう男の人を相手にしなくても良くなるよ。エリュアみたいな贅沢とか楽しいことはないけど……ルウェル様がミカの面倒を見てくれるから」


 言った瞬間に、トビィの脳裏にひとつの未来が広がった。

 トビィはミカのそばに常に付き添い見守っている。  

 ザファルのようなふるまいをする男たちがミカにちょっかいを出そうとしたら、すぐに前に立ちふさがって「無礼なことをするな」と追い払うことができる。

 トビィの家の領地は、ルグヴィアの中でも片田舎と言われている場所だ。だが土と気候に恵まれていて、作物がよく実る。

 ミカも自然が多い田舎も悪くないと気に入るかもしれない。

 もしそうなったら。

 トビィの胸は大きく高鳴る。

 ルウェルの許しさえあれば、ミカにそこに住んでもらえる。そうしたら、ミカを守るために自分も公務を退いてそこで……。


「ルウェル様ルウェル様ルウェル様、うるせえよ」


 吐き捨てるような言葉によって、トビィはにわかに現実に立ち返る。

 目の前では、ミカが怒りに燃える眼差しで自分を睨みつけていた。


「そんなに言うなら、ルグヴィアにでもどこにでも行ってやるよ。お前の大好きな公爵さまに抱かれにな。俺を差し出せば、お前は公爵さまに誉めてもらえるんだろ」

「え? ちっ、違う! 違うよ!」


 余りに自分の心中と違うことを言われて、トビィは仰天する。

 ミカは噛みしめられた唇から圧し殺された声をもらした。


「俺が公爵のモノになったら、お前なんか追い出してやる……」


 唇から震える声が零れ落ちる。


「トビィはうすのろで無能で、俺が呼んでも……ちっとも来なかった……何の役にも立たなかった……そう言ってやる。銃剣士も辞めさせてお払い箱にしてやる……!」


 不意に言葉が出てこなくなったかのように、ミカはそこで言葉をとぎらせる。

 トビィはその細い体を支えようと反射的に手を差し伸べた。

 そうしなければミカはその場に崩れ落ちて、消えてしまいそうだった。

 だがミカは差し出された手を見て、カッとしたように乱暴に振り払った。トビィの手には、先ほどミカが嵌めた銀の腕輪があり、ミカは手を払った瞬間、鎖が揺れて澄んだ音を立てた。

 ミカの金色の瞳は、暗く激しい炎によって燃え上がっていた。

 だがそのさらに奥底には、ごくわずかに光るものがにじんでいた。


「トビィの……大馬鹿野郎……っ」


 小さく呟くと、ミカは身をひるがえして店内に向かって駆け出した。

  

「ミカ!」


 トビィはミカの後を追おうと反射的に立ち上がった。

 足を踏み出したその瞬間、長衣の裾がからまりその場に転倒する。


「いっ……たあ」


 ミカを追わなければ。

 そう思い足を地面につくと、重く響くような痛みが走った。

 トビィは今日一日履いていた踵の高い、洒落た作りの靴をためらいなく脱ぎ捨てた。腰に巻かれた細い飾り帯をひとつ取ると、手早く足首に巻きつけ固定する。

 地面に立つと、何とか走ることも出来そうだった。


「トビィ様」

 

 駆け出そうとした瞬間、少し離れた場所から声をかけられる。

 顔を上げると、テラスの入り口で店の支配人が頭を下げていた。


「表に馬車を待たせております。お帰りの際はお申し付け下さい」

「ミカは?」


 支配人の言葉が終わるのを待たずに、トビィは言葉尻に噛みつくように尋ねる。

 職業的な礼儀正しさと品位に覆われた壮年の支配人の顔に、わずかな戸惑いが浮かんだ。


「トビィ様を館まで送り届けるようお申し付けになり、帰られました」

「え?」


 トビィは驚いて言った。


「一人で? 歩いて?」

「館までは治安が余り良くない地域もあるので……おとめしたのですが」


 支配人は困惑をにじませて、微かに首をかしげる。

 ここから月晶宮までかなり距離がある。

 いかにも上流階級の人間といった身なりで一人でいれば、厄介事に巻き込まれる可能性が高い。

 支配人に礼を言うと、トビィは急いで馬車のほうへ向かった。


「ゆっくり走らせて、途中でミカがいないか探してください」


 トビィの頼みに御者は頷くと、月晶宮に向けてゆっくりと馬車を走らせ始めた。

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