第18話 狂気のような怒り
「実はよ、今日、たまたまいい
「ミカ、あの人と……知り合って長いの?」
「は?」
「さっきのザファルっていう人」
気勢を挫かれてミカは眉をひそめた。少女めいた繊細な容貌には、なぜそんなことを聞かれるかわからないと言いたげな表情を浮かんでいる。
「あいつに会ったのは、俺が部屋をもらってすぐだから……まあ長いっちゃあ長いな」
気のない様子で答えたあと、ミカは表情を引き締めてトビィの手を引き、口を開こうとした。
それより早くトビィが言った。
「あの人、武官なの? 私が士族だってすぐにわかったみたい」
「ああ、エリュアに自分の軍も持っているからな」
答えてから、ミカは拗ねたように言った。
「あんな奴のこと、どうだっていいだろ? 向こうに行ったし。関係ねえじゃん」
あるよ。
と、トビィは心の中で呟く。
人の目のある場所で、男が平然とミカを嬲りものにした先ほどの光景が頭から離れない。
あの男は、この先もミカを卑しめて、心身を汚していく。
男がそのことに暗い愉悦を感じていることは、文字で書かれたように明らかだ。
今すぐあの男の後を追いかけ、決闘を申し込み、撃ち殺してしまいたい。
そんな狂気のような怒りに自分が駆られていることに気づいて、トビィはしばし呆然とした。
「お前……ああいう奴がいいのか?」
不意に言われて、トビィは現実に立ち返る。
ミカが固い表情を浮かべていた。
本人は不機嫌そうな顔つきをしているつもりだろうが、トビィの目にはひどく不安そうに見えた。
ミカは目をそらして呟く。
「まっ、この街で一番偉い奴だしな。金も持っているし」
精巧な人形のようにミカの横顔は、憂いで翳っていた。見ているだけで胸が締めつけられるような心地がする。
(ミカ……もしかして、あの人のことが……)
そう思うと胸の痛みがさらに強くなる。
トビィはその痛みに耐えながら、ひどく寂しげな表情をしているミカに言った。
「私は……あの人のことなんて、何とも思わないよ」
トビィの真意を伺うように、ミカは少しだけ目線を上げる。
「……本当か?」
「うん」
頷いた瞬間に。
ミカは顔を上げて、パッと顔を輝かせる。
トビィはその顔にしばし見とれ、次いで眩し気に目を細めた。
「ほんとかよ。お前、変わっているな。あいつ、滅茶苦茶女にモテんのに」
言葉とは裏腹に、ミカはひどく浮かれた様子だった。
「そうかな?」
小さな声で答えるトビィの顔を、ミカはチラリと見て言った。
「じゃあお前は、ああいういかにも偉いお貴族さまって感じじゃねえほうがいいってことか? な、なんつうかな、そこまで身分とか気にしねえ、っていうか……」
「私は別に……」
トビィは口の中でボソボソと答えながら、ザファルの姿を思い出す。
あの男は、洗練された物腰の檻の中に、冷酷で残忍な黒い獣を飼っている。そいつはミカの体を辱しめて引き裂き、誇り高い魂を食らいたがっている。
(そんなこと、させない)
トビィはギリッと唇を噛む。
今度、あの男がミカを呼び寄せた時、何がなんでもついていかなければ。
そう決意した瞬間、不意に手を引かれる。
まるで貴族の姫君に付き添う騎士のように、ミカはトビィの手を取り腰に手を添える。
顔を上げると、自分のことを見つめる金褐色の瞳が目の前にあった。
そこには普段のミカからは想像もつかない、真摯な深い光があった。
ミカは静かな声で囁く。
「行こうぜ、トビィ」
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