第4話 公爵の依頼

 歴とした士族であるトビィに対してへつらうわけまでもなく、かといって軽侮や反発も見せるわけでもない、ごく自然な礼儀正しい態度だ。

 トビィは慌てて背筋を伸ばす。


「い、いえ、ミカを守るのは我があるじルグヴィア公のめいですから」

「うちは風雅な遊び場で通っているので、強面を常時張り付かせておくわけにもいかない。助かりました」

「少し手荒なことをしましたけど、あのあと大丈夫でしたか? 難癖をつけられたりとか」


 おずおずとしたトビィの言葉を聞いて、シギは薄い唇を皮肉な笑いで歪めた。


「花街の暗黙の掟を破って娼妓に肘鉄を喰らわされた、などと自分から騒ぎ立てる人間はいませんよ。そんなことをすれば物笑いの種だ。エリュアの社交界に二度と顔を出せなくなる」


 ただ、とシギは付け加える。

 笑みが消え黒い瞳を細められた瞬間、柔和な優男にしか見えなかった容貌が一変する。


「万が一、そんなことになればこちらにも考えがあります。貴族の方々にとっては羽虫の如きものだろうと、私どもの世界にもそれなりの流儀というものがある。それをわかっていただく良い機会となるでしょう」


 トビィは知らず知らず、ゴクリと唾を呑み込んだ。

 凝視されていることに気付いて、シギは顔つきを元の穏やかなものに戻した。


「あなたがいらして、もう三月みつきほどですか。こちらの暮らしには慣れましたか?」

「は、はい。皆さんに良くしていただいているので」


 しゃちこばったトビィの返事に、シギは笑った。

 視線を落とし、わずかに目元を緩める。


「ミカが困らせていませんか。あいつは我儘だから」

 

 言葉とは裏腹に、シギの口調はどこか甘い。

 トビィがジッと見ていることに気付くと、シギは苦笑を浮かべた。


「娼妓としてはあの奔放ほんぽうさは魅力ですが、そばにいると振り回されて大変でしょう」 

「いえ、別に……」


 トビィはシギの顔から目を逸らし、曖昧な口調で呟いた。

 シギはごく自然な調子で続ける。


「その後、ルグヴィアから何か連絡はありましたか?」


 問われてトビィは困惑する。

 そう、そもそもトビィが三月みつき前に月晶宮にやって来たのは、主君であるルグヴィア公ルウェルの密命を受けたからだ。



4.


 エリュアに単身赴き、ミカという名の娼妓を護衛して欲しい。


 三月前、トビィは、主君であるルグヴィア公ルウェルにそう頼まれた。

 

 ルウェルは騎士の礼を取っているトビィの前で、自らも膝まづいてその手を取った。

 感情が抑制された物静かな瞳の奥には、幼いころからそばにいるトビィだからこそわかる、苦しげな光があった。


 叙任された銃剣士であるお前に、「何も言わず娼館に入り、一介の娼妓を守って欲しい」と頼むことが、どれだけ筋違いかはわかっている。

 だが、お前にしか頼めない。

 トビィ、お前の忠義に甘えて頼む。


 ルウェルはトビィの手を両手で握り、苦悩が揺れる声を絞り出した。

 否も応もない。

 ルウェルに言われれば、例え敵陣の中に単身で突入しろ、生きたまま火の中へ飛び込めと言われてもそうする覚悟がトビィにはある。

 自分は「ルグヴィア公の銃剣士」だ。

「ルグヴィアのために生きよ」と言われ、銃と剣を授けられたあの日から。


 膝まづき、両手を取って苦悩に染まった声を絞り出したルウェルに向かって、トビィは銃と剣を差し出す。


 頼む、など……お止め下さい。ルウェルさま。

 私はルウェルさまを守る盾であり、道を切り開く剣であり、敵を撃ち倒す銃です。

 私はルウェルさまの望みをかなえるためのみ、存在するのです。


 幼いころから父親に言われ続けてきた言葉が、熱い思いとなってトビィの口から放たれる。


 こうしろ、と、ただご命令ください。

 どのようなご命令でも、この命に代えても果します。

 ルウェルさまからいただいた、この剣と銃にかけて。


 ルウェルは作法通り、差し出されたトビィの剣と銃に口づけする。

 差し出されたトビィの手に剣と銃を返すとき、ルウェルは言った。


 トビィ、感謝する。


※※※


 トビィが最初にシギと会ったのは、ルウェルの望みを伝えたときだ。


「お話は伺っております」


 シギは顔から表情を消し、淡々とした口調でそう言った。

 その表情のまま、シギはしばらく口を閉ざす。

 トビィが身じろぎしたくなるほど、長い間だった。

 少し経ってから、シギは風の音かと聞き間違えるような密やかな声で言った。


わたくしどもにとっても、ミカは大切に磨き抜いてきた掌中の玉です。王宮に伺侯させて宮廷の花となることも夢ではない。そう思って育てて参りました」

 

 シギはここではない、どこか遠くを見るような眼差しで呟いた。

 それからふと、瞳を伏せて笑った。


「貴族の方々から見れば、さぞさもしい心根でしょうね」

「そんな……」


 慌てて否定しようとするトビィのことは気に留めず、シギは話を続ける。

 

「ミカがどれほど稀に見る存在だとしても、一介の娼妓が公式に宮廷の一員として招かれるなど夢物語に過ぎない。そう思っていました。まさか本当に公家こうけの当主……ルグヴィア公のような雲の上の御方から身請け話をいただけるとは」


 シギはいったん口を閉ざしてから、誰に言うともなく呟いた。


「待った甲斐がありました」

「み、身……みうっ、身請け?!」


 驚愕の余りトビィは叫ぶ。

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