其十七

「積み木の城」、環世はその絵を思い出していた。万代恒太郎の他の作品の中でも一際、人の足を止めず、皆通り過ぎていった作品だ。中には彼女のように、熱心に見る者もあったが、そういう人は大抵どの作品も熱心に見入っていて、絵を味わうのに慣れた者たちのようだった。彼女は、公子と暮らしていた時、公子に連れられて美術館に行ったことはあった。だが、その時に見たのは海外で有名な古典的な宗教画群で、鑑賞の仕方もよくわからず、公子が好きならという気持ちだけだった。だから、自らの意思で絵画鑑賞をしたのはそれがほとんど初めてのことだった。

​新聞で何か惹かれた思いを裏切られたような気持ちがした「渦」。見る者を圧倒する大きさと激しさは確かにあの展示の目玉だった。だが、彼女の目には共感しうる何かが感じられず、心の底に響くような、そこから自然と言葉や単語が湧き出る味わいよりも、あったのは、起承転結を意識した大衆向け娯楽小説を読んだような物足りない読後感だけだった。

​自分の見方が正しいとは思わなかったが、他の人が驚嘆するほどの何かであるとは到底思えなかった。感じ方に優劣はないのだから、わざわざ、世の中に音として空気中を振動させ、「感動した」と言っている誰かにこれを伝え、摩擦させることに意味はない。だから、彼女は、自分のような感性に向けて描かれた作品でないことだけを咀嚼するにとどめた。

​その後、出口付近に展示され、彼女の足を止めた「積み木の城」。キャプションにはタイトルだけが記され、制作時期や意図は書かれていなかった。他の作品には、ところどころキャプションに制作時期や意図、画法が書かれていたが、それだけ、特に何も書かれていなかった。通り過ぎる人の多くは、それに気づいていなかったのか、気づいたとしても万代にとって、意味をなす作品じゃないからと感じていたのかもしれない。

​「積み木の城」は、他の肉々しい激しい色彩と筆遣いの抽象記号的な作品とは違い、薄く何度も塗り重ねられ、積み上げては崩れる積み木の残像、拾っては積み上げているようにも見える少女たち(もしかしたらこの少女たちは、一人の少女の活動を一つの空間に表現しているのかもしれない)そして、最後の頂点のピースを埋めようと手を掲げているが、その下の積み木は薄く表現され、もうそこにないようにも見えた。

​霧をつかむようなどこか虚しい言葉、人生への肯定的な言葉ではなく、積み上げたものが実際は空虚なものであり、もろくも崩れ去る。何度も何度も積み上げては崩れ、手の中に最後は何も残らないのかもしれないという気持ちを伝えているような、正直さがそこには感じられた。そう、作品の意図が人生への肯定か否定かという二極的な意味だけで感じたのではなく、彼女は、その作品から確かな万代の言葉を聞いたのだ。他の作品では語りかけてこなかったように感じられた絵画の言語が、彼女の心に深く聞こえたのだった。

​環世は、旅館の関係者通路で煙草をふかしながら、そんなことを考えていた。もう少ししたら万代の元へ行き、布団と膳を下げてこなければならない。旅館で過ごしている万代の横柄な態度と「積み木の城」で見たガラス細工のような人生への機微を捉える感性が彼女の中では一致しない。やはり、あの作品だけが特殊で、「渦」のようにわかりやすいわかりづらさが本質なのか、それとも環世とは違うやり方で、彼も本音で生きていないだけなのか、人間は表面に見えているものだけが、その人ではないのかもしれないと感じ始めていた。

​煙草の先から登る蜘蛛の糸、天井に巣をはり、そこには蜘蛛も獲物もいない。そこにはただ、形もなさない煙が虚しく換気扇に吸い込まれて行くのだった。

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