愛された魔王は暗殺された〜最愛の魔王様へ〜
@Shibaraku_shiba
【第一話】「魔王暗殺の朝」
――その日、空はやけに青かった。
まるで世界が「今日は祝うべき日だ」と言わんばかりに、雲ひとつない快晴だ。
魔界の
石畳の大通りには人間界の商人たちが店を構え、香ばしいパンの匂いと甘い菓子の香りが風に乗って混じり合っている。
黒曜石のように輝く尖塔の屋根の上では、魔族の子どもたちが人間の凧あげを真似して笑い声をあげていた。
「……随分と賑やかになったもんだな」
俺――ゼファードは、城のバルコニーからその光景を見下ろしながら、ため息をついた。
ため息といっても、嫌悪ではない。
ただ、あまりにも平和すぎる光景に、昔を知る身としては少しばかりの戸惑いがあったのだ。
魔王ガルドヴェイン。
魔界史上、もっとも強く、もっとも賢く、そしてもっとも優しかった男。
俺が仕える主君であり、友であり……かつて5000年続いた戦争を、ただ一人で終わらせた英雄。
そのガルドヴェインが――今日、暗殺されることになるなんて、この時の俺は知る由もなかった。
---
◆
「ゼファード、また朝からぼんやりしてるの?」
背後から聞き慣れた声。
振り向くと、長い銀髪を揺らした女性が立っていた。
セリア・フェルミナ。魔王軍四天王のひとりで、今は城の警備責任者だ。
「……ぼんやりじゃない、見回りだ。平和すぎて仕事を忘れそうになるがな」 「平和で何が悪いのよ。あなたももう少し笑ったら?」 「俺は笑う顔が似合わない」
そう返すと、セリアはくすっと笑った。
昔なら、人間と魔族が同じ城の中で笑い合うなんて夢物語だった。
今は、それが当たり前になっている。
……あまりにも、当たり前に。
---
◆
午前十時。
今日は人魔平和同盟締結100周年記念式典。
ガルドヴェインは魔界代表として演説を行い、人間界の新国王エルバートも来訪する予定だった。
控室の扉をノックすると、中から低く朗らかな声が返ってきた。
「入れ、ゼファード」
中に入ると、そこには見慣れた背中があった。
広く、堂々として、それでいて威圧感より安心感を与える背中。
白銀のマントを肩にかけたガルドヴェインは、窓から差し込む陽光を浴びながら、演説の原稿に目を通していた。
「原稿なんて読む必要はないだろう、あんたは」 「そういうわけにもいかんさ。私が言葉を間違えれば、笑う者もいれば不安になる者もいる。平和は、細心の注意で守らねばならん」 「……相変わらず真面目だな」
俺が肩をすくめると、ガルドヴェインは目尻に笑い皺を寄せて、こちらを見た。
「ゼファード、お前が私の右腕でいてくれてよかった。お前がいたから、ここまでやってこられた」 「……それはこっちの台詞だ」
そんなやり取りをしていると、外からファンファーレが聞こえてきた。
式典開始の合図だ。
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◆
その時、確かに俺は――嫌な予感を覚えていた。
式典は順調に始まり、魔族も人間も入り混じった群衆が歓声をあげている。
だが、場の空気の中に、わずかな「濁り」があった。
それは警備兵たちの配置、観客の視線、そして……一瞬だけ感じた殺気。
俺が群衆の中の一点を凝視したその瞬間――
乾いた破裂音が響いた。
ガルドヴェインの胸に、黒く焦げた穴が開く。
鮮血が、陽光の中で赤く飛び散った。
「……な、に……?」
時間が止まったようだった。
ガルドヴェインは俺を見た。
驚きと、そして――安堵の笑みを浮かべて。
「ゼファード……あとは、頼む」
その言葉を最後に、彼は崩れ落ちた。
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時間が動き出した瞬間、会場は地獄に変わった。
悲鳴、怒号、泣き声、そして警備兵たちの金属鎧が擦れる音が、耳をつんざく。
人間も魔族も、皆が我先にと逃げ惑う。
「ガルドヴェイン様――ッ!!」
俺は舞台へ駆け寄り、魔王の身体を抱き上げた。
胸元は深く抉られ、焦げた匂いがする……魔法でも、剣でもない。
これは――遠距離からの狙撃だ。しかも、人間界の最新兵器の弾丸。
「医療班を呼べ!! 今すぐだ!!」
俺の叫びに、周囲が慌ただしく動く。だが――俺はもう分かっていた。
ガルドヴェインの心臓は、完全に沈黙している。
……助からない。
それでも、俺は彼の手を握り続けた。
血に濡れた指が、わずかに動く。
「……ゼファード……泣くな」
「黙れ……そんなこと言ってる場合か」
「私は……満足している。……お前が、いるから……」
その声は次第にかすれ、最後の息が、俺の手の中で静かに消えた。
「……ガルドヴェイン……?」
返事は、もうなかった。
---
◆
次の瞬間、俺の中で何かが弾けた。
怒りでも、悲しみでもない。
もっと冷たい、鋭い感情――「必ず殺した奴を見つける」という決意だ。
「全員、周囲を封鎖しろ!! 逃げる影を見つけ次第、捕らえろ! 生死は問わん!!」
俺の怒号に、警備兵たちが動き出す。
観客の中に紛れた影を追って、城下へ駆けていった。
その時――俺の視界に、一瞬だけ黒いフードの人物が映った。
群衆の波の中、誰とも目を合わせず、異様な速度で離れていく。
その背中には……古びた鉄製の紋章が揺れていた。
「……見つけたぞ」
俺は群衆をかき分け、その影を追った。
だが路地裏で視界から消える寸前、奴はわざとらしく振り返った。
口元だけが見える――薄ら笑い。
そして足元に、紙切れを落としていった。
---
◆
そこに書かれていたのは――
《100年の平和は長すぎた。次は千年の戦争を始めよう》という文。
血で書かれているのか、赤黒く滲んでいた。
「ふざけやがって……」
俺はその紙を握りつぶした。
敵の目的は、明らかに人間と魔族の対立を再燃させること。
このまま放置すれば、ガルドヴェインが命を懸けて築いた平和は一瞬で崩れ去る。
……俺が動くしかない。
---
◆
その夜、魔王城の一室。
セリアが黙って立っていた。
彼女の銀髪は乱れ、目は赤く腫れている。
「ゼファード……行くつもりなんでしょ」
「ああ」
「一人で?」
「俺一人で動いたほうが、目立たずに済む」
セリアは唇を噛んだ。
何か言いかけたが、結局、そっと小さな包みを差し出してきた。
「……これ、持っていって。あなたが昔、魔王様から貰った短剣。磨き直しておいたわ」
「……感謝する」
短剣の柄には、ガルドヴェインの紋章が刻まれている。
まるで彼が「まだそばにいる」と言ってくれているようだった。
「絶対に……帰ってきなさいよ」
「必ずだ。犯人をこの手で討って、平和を守ってみせる」
こうして俺は、愛された魔王を殺した者を追う旅に出ることになった。
――そして、これは世界を揺るがす真実へと繋がる旅の、第一歩にすぎなかった。
【第一話・完】
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