ダイアボローグ その8 上
相変わらず
クーラーで冷やされた汗に、体温も体力も吸い取られているような、
トウマは今日も、
7月5日は特に何事もなく過ぎて、雨もちょこちょこと降り始めた。
結局今日も、人は難しいことを知らんぷり出来て、だから明日も変わらない。
思った通り、期待外れが来た。
夏色が濃さを増し、
結局トウマは、よく分からない遺体の第一発見者となっただけで、事件はあっさり終わってしまった。
いや、終わりも始まりも、そんなスッキリしたものは、実際の事象に存在しない。
区切りなんてなくて、日が経つごとに薄れた体感が、いつしかゼロに近似して、それを後から思い出した時、「そう言えば終わってたな」と思うだけ。
今はその
日常と非日常の区別は、人間の勝手な感想で、だから「非日常」が一度も来ないことより、残酷に彼らの神経を引き裂く。
トウマは黒板へと顔を上げず、空気の膜で
掌の下でそっと、
口角を押さえる為に苦闘していた。
達成感が、麻薬のように脳を跳ねさせ、頭の力で胴を浮かせる。
許されるなら、小躍りでもしたい気分だった。
彼は現実に勝った。
まやかしだと頭で分かった上で、それでも心底、あの出来事に
青い春への劣等感を、今だけは克服していた。
7月1日、火曜日。
放課後、彼は泉の前にまで来ていた。
そしてあの、左手が握っていた紙が、誘う通りに、
そこを右に曲がり、
その先の斜面を登り、
廃坑の入り口を見つけた。
「ここだ」、とすぐに分かった。
あの手が持っていた黄鉄鉱は、この鉱山跡を示唆しているのだと。
半分削れて消えかかっている警告を
動いたのは虫か、
びくりびくりと、
ライトが靴を照らす。
投射を持ち上げると、脚が、裾が、腕が、肩があって、
「やっぱり、来たね」
白いワンピースと素肌が、反射光で輝くお月様のようだった。
「なんとなく、トウマなら分かってくれるかなって、思ってたんだ」
あの手は、試験のようなものだった。
自分が生きている世界の常識より、ナツが住む「向こう側」へ歩み寄ってくれるか。
彼女の理屈に寄り添い、考えを読み取れるくらい、理解してくれるか。
彼女の側にもリスクのある方法だったが、けれど賭けた
彼女が望んだ通り、彼はメッセージを理解し、誰も連れずにここに来た。
「トウマになら、話していいよ。私の、私達のヒミツ」
そして彼女は、自分達の世界について、語り始める。
彼女の世界は、酷くこじんまりしたものだった。
彼女にとって、トウマが居る側が、「異界」であり、「外側」だった。
それもその筈だ。
話を聞くうちに、彼はどういう構造なのか、分かり始めた。
山間部に、把握されていない集落があるのだ。
木々の下で、衛星写真にも写らないのだろうか。
それとも、公的には廃墟であり、建物が見えても、人はいない扱いなのだろうか。
どうも山が隠した一画に、昔から共同体が住んでいたらしい。
それは
けれど、鉱山に関連する公害の問題が可視化され始め、隆盛は早くも下火になっていく。
そんな
当時の果町には、救出や調査に割くような、余力が残っていなかったのだろう。
そのまま外からは、全員死んだものとして扱われ、忘れられていった。
内から外に行くのも、最近ルートが開拓されるまで、遭難の可能性が高く危険だった。
それに、豊富な雨水を溜めることで、彼らだけでの自給自足だって、なんとかなっていた。
そもそも最初から、彼らは山の中で生きてきたのだから。
互いが互いのことを、昔話の住人として捉え始める。
そのまま別々の世界観、価値観を
という流れなのだろうと、ナツの話と自分の持つ情報を照らし合わせ、トウマはそう整理した。
さて、彼らを束ねる信仰、それを守る役として、巫女の一族のようなものが存在する。
ナツは、その家から生まれた、「巫女」の一人なのだと言う。
彼女の妙な
「僕達、外の世界のことは、話としては残ってるんだ?」
「うん。でも、カミサマには見つかっちゃいけない、干渉しちゃいけないって、そう教えられた」
「神様?」
「外の人は、触れちゃいけない、自分達とは違うナニカだって」
来訪神信仰。
鉱山の利益を持ち込んで来た者達への尊敬と、余所者への畏れ、見捨てられたという現実との折り合い。それらが果町から流れてきた信仰と結び付いて、外界の民を神格化するに至ったのだろうか。
時に利益を持ち込み、時に
なるほど、確かに神道の「神」だ。
彼らは山と、その分身である外界人を、信仰の対象としていた。
それらと程よく付き合い、程よく距離を置くことが、生きる知恵とされてきた。
小さな世界が細々暮らして、という平穏が崩れ始めたのが、ナツの2世代前。
段々と、山が
「話を聞かなきゃって、なったんだって」
「『カミサマ』に?」
「うん」
それは外で地球温暖化と呼ばれていた現象だが、彼らには神々の荒ぶりとしか思えなかった。
だから当時の巫女が、単独で外界に調査に向かうことになった。
山にお伺いを立て、危難を鎮める為に。
世界の終わりを、食い止める為に。
その遠征を重ねるうちに、巫女は「神の子」を
「その時に生まれたのが、私のお母さん」
「……ん?ちょっと待って?」
地球温暖化が肌感覚で気付かれるくらいの時期に、ナツの母が生まれたと言うなら——
「じゃあ君、えっと……、お母さんが、何歳の頃に生まれたの?」
「カミサマの血なんて、中々手に入らないから、すぐにでも残そうとしたみたい」
ナツの母は、子どもが作れるようになってすぐ、次代を生まされたらしい。
妹も、既に二人いるのだとか。
母体が若い方が、出産の危険は低まる、という説もある。
衛生に関して、トウマが知る病院ほど徹底されていない環境下であれば、出産や乳幼児期の死亡リスクが、決して珍しいと言えないほどに大きくなる。
出来る安全策は全て取ろうとするのも、頭でなら分かる話ではある。
実際に死産と病死が1件ずつ起こっており、その懸念や対策はある意味で正しかったと言える。
当人がどう思っているかは、ナツもよく分からないらしいが。
「でも、カミサマと
「次の年は、もっと暑くなった?」
「夏になって、雨が全然降らなくなっちゃったんだって。今みたいに」
事態は悪化した。
彼らは巫女に、神との再交渉を命じた。
婚姻で駄目なら、その身の全てを捧げて来い、と。
「そのまま、おばあちゃんは帰って来なくて、雨がまた、何事もなかったみたいに、降ってきた」
救われた、延命されたと、彼らは一旦は胸を撫で下ろし、それから次に同じことが起きた時、すぐに
「ナツも、その……、すぐに産まなきゃいけないの?」
「そうなる前に、このお役目が回って来ちゃったから」
また、雨が降らなくなった。
「それで、」
それで彼女は、ここまで来た。
食べ物を求め、人里に降りる熊みたいに。
トウマと出逢った時、彼女は待っていたのだ。
彼女を殺しに来る、
その引き
彼女達の「カミサマ」を。
「トウマがそうだと、思ったんだけどな」
彼女が最初に出会った、言葉が通じる相手が、彼だった。
「でもすぐに、違うって分かった」
「どうして?」
「転んで泥んこになってるんだもん。カミサマがあんなに、おっちょこちょいなわけないよ」
ロマンティックな返しを期待していたら、マジレスで
しかも妥当な判断基準を出されて、ぐうの音も出ないと来た。
「そ、そんなこと言うなら、ナツも巫女さんって感じじゃないけどねっ」
「えー?そーかなー?こう見えて結構、人望あるんだけどなー」
「そういうの自分で言っちゃうところが特に」
意地になって言い返すと、「むう」と膨らんだ頬でシャットアウトされる。
「……そう言えばあの時、青い火が見えたんだけど………」
「ああ、たぶん、私」
山の中に湧く危険物質。
そのうちで最も脅威なのは、目に見えない気体。
それを検知するのに手っ取り早いのが、火を近付けること。
二酸化炭素溜りのような、火がすぐに消える場所には、降りていっていはいけないと分かるから。
引火した時は、炎の色で、物質の種類が分かるから。
「青い火が点いた場所には、あんまり近付かないようにって、そう言われてて」
あの泉付近には、そういう有害な気体が漂っていた、ということらしい。
「それで、ナツは、カミサマと話せる方法を、探してるってこと?」
「………うん。どうすればいいのか、全然分からなくってさ」
待てど暮らせど、交渉相手が出てこない。
外界の奥深く、トウマの町まで来ても、向こうから接触して来ない。
彼女の世界の者達だけで考えるには限界があり、「こちら側」の人間の意見を聞きたくもあり、けれどそれは禁忌を破ることにも繋がり………、
それで彼女は、彼が相談相手として適しているか、テストをしたというわけだ。
「………ところで、あの左手は何?」
「え?いや、そこらへんにあったもので、使えそうなもの使っただけだよ。物が無くなったら、自然とそれを探そうって流れになるから、見つかりやすくなるでしょ?」
………………
「えっ、あれ僕の家にあったの?」
「え?うん」
「えっ!?どっ、どこにっ?!」
「寝室の、押し入れの奥に、色んな物でぐるぐる巻きにされてたよ。何か分からないかなって、トウマにナイショで家をあちこち調べてた時に、見つけたんだけど………」
「………?……?????」
何故そんなものが家の中にあるのか。
寝室ということは、両親のどちらかがあれを隠し持っていたと言うのか。
ナツはよく、あんな狭い家の中を、見つからずに物色できたものだ、だとか。
突っ込みたい場所が沢山あったが、話が複雑化するので、トウマはそれらを横に置いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます