灌奠

鳥尾巻

一発書きで読み返さないぞ☆

「たまには地球に還っておいでよ」

 彼女の透明な眼差しが僕を通り越し、何処かで彷徨っているらしい僕の魂の居場所を探り当て、連れ戻そうとしていた。

 そういえば、この世に生を享け、肉体という檻に閉じ込められていることに気づいた時、己の全ての五感を呪ったものだ。快不快、歓び苦しみ、感情理性葛藤、成長老化、生はただ煩わしく、この肉体の欲望を通してのみ世界を考察するように強いられている。肉体の感覚は魂を蝕み僕という器を静かに損なう。そも「僕」が「僕」であるという認識も肉体を通さねば不可能である。

 数多の予言者が世の終焉を予言する度、幽世の淵を覗くように危険と向き合う度、生を手放す機会を得たとばかりに欣喜雀躍する魂を、卑小な想像を遥かに超える堅牢な檻が阻む。

「どこへ行こうと僕の自由だろう」

「そうは言ってもこの星に肉体がある以上、自分も周りも困るんじゃない?」

「何も困らない。それもただの肉体の感覚だから」

「まあ、そうなんだけどね」

 そもそも何故こんな不毛な問答を繰り返しているのだろう。彼女は足元の砂に地面から浮遊する棒人間を描いている。曰く、それが彼女から見た僕の形ということだった。

 なんとなく思い出してきた。今日は休日。何の予定もなく、ぼんやりと夢想に耽りながら歩いていた公園で、ベンチに座っていた彼女に呼び止められた。美しく繊細な面立ちと子供のように無邪気な口調のアンバランスさに惹かれ、話を聞くうち、自分は魂の形を見ることが出来ると言い出した。少々おかしな事態になったとは思ったが、夕飯までの暇潰しには丁度いい。隣に座ると、彼女は意識を集中すると言って目を閉じた。その瞼に乗った星の光にも似た艶を見るうちに、束の間檻から離れ浮遊した魂が、僕と彼女の肉体を遥か上空から見下ろしていた。

 僕はベンチに乗った自分の体の重みをようやく思い出した。そろそろ尻が痛い。痛みは厄介だ。僕は足の感覚を思い出すように立ち上がった。

「まあ、考えておくよ」

「そうして」

 彼女は素っ気なく呟き、砂に描いた棒人間を足裏で消した。靴底と地面が擦れ合う音と共に、僕の形は完全にこの星と同化した。

 湿った石の匂いが鼻孔を擽り、雨が降り始めた。この肉体が朽ちる前夜の通過儀礼のように。僕は、濡れる、冷たい、寒い、という感覚を味わいながらゆっくりと歩いて行った。





灌奠かんてん

酒や乳、蜜、水などの液体を、地面や祭壇、犠牲獣や死者の上に注ぎかける行為(儀式)

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