第15話「魔王、勇者の“耳飾り”を外す(物理)」
――翌日。ガレ村・交流祭「ノーウェポン・デー」。
入口の簡易門に、石職人アランの新作看板が掲げられている。
〈ようこそ、会話。――この門は、朝一分、剣を置く〉
風が抜けるたび、木彫の溝が低く澄んだ音を鳴らし、門番が笑顔で告げる。
「本日は“ノーウェポン・デー”です。刃物/杖類は預かり札へ、鈍器はふわふわクッションへどうぞ」
「鈍器用クッションって何……」
ラズヴァルド(魔王)は思わず小声で突っ込んだ。脇で参謀のリリアがうなずく。
「武器預かりのUIは大事です。まず“預けたくなる笑顔”から」
「UIの話なんだ……」
列の少し後ろで、白銀の鎧が目に入った。勇者フェリクスだ。預り所の籠に、渋々と剣を置く。
「……大事に扱ってくれ。高かった」
「値段の話!」
預かり札をもらったフェリクスが振り返ると、ラズヴァルドと目が合った。彼は一拍置いて、顎を引く。
「今日は、斬らない」
「ほんと!?」
「“ノーウェポン・デー”だからな」
「制度の力すごいな!」
ただし、彼の右耳では聖印の耳飾りが淡く光っている。魔族の声だけをAMラジオ化する祝福具だ。今日は――それを片耳だけでも外す。
リリアが小声で段取りを確認する。
「作戦“綿あめ→金魚→タオル”。甘味の粘着で“外す口実”を作り、水で冷やして“痛くない”の印象付け、タオルでするっと」
「なんでそんな冴えわたってるの」
「UIと物理は裏切りません」
※※※
広場は屋台でぎゅうぎゅうだ。焼きとうもろこし、射的、輪投げ、そして――綿あめ。
「らっしゃい! 本日は“剣を置いて綿あめを持とう”フェアだよ!」
「キャッチコピーが強い……」
屋台のおばちゃん(事前に事情説明済)が、もくもくと白い雲を巻き上げていく。ラズヴァルドがにっこり笑って、フェリクスを手招きした。
「勇者、今日はアイスじゃなくて綿あめだ。これもうまいぞ」
「ふむ……では一つ」
棒を受け取った瞬間、もこっと膨れた雲がフェリクスの右側へふわり――耳飾りにふにゃっと接触。
べたっ。
「あっ」
「おおっと、すまん!」
ラズヴァルドが慌てたふりをする。おばちゃんがすかさず叫んだ。
「耳飾りに砂糖がついちゃったね! これは“金魚すくいの水で冷やすと取れやすい”のよ、ほらそこの!」
「綿あめ屋、連携が完璧すぎる」
※※※
金魚すくい。水面に金色の紙灯りが映る。フェリクスは耳たぶを押さえ、眉間を寄せた。
「ねばつく……」
「冷やしてから外すのが一番。少しだけ耳をお貸しください」
リリアが清潔な布を水に浸し、そっと耳飾りの周囲を冷やす。フェリクスはわずかに肩をこわばらせたが、逃げない。
「痛くないだろ?」
「……冷たいだけだ」
「じゃあ、“一分だけ耳を貸して”」
ラズヴァルドが言うと、一分砂時計を台に置く。砂が落ち始める。フェリクスはため息を一つ。
「一分だけ、だぞ」
「約束する」
粘った砂糖がきゅっと硬化する。リリアがタオルに持ち替え、耳飾りの留め具に指先を滑り込ませ――
コトン。
小気味よい音とともに、右耳の聖印が外れた。
……その瞬間、フェリクスの表情がふっと緩んだ。
音が戻る。ざわめきがノイズなしに流れ込む。
屋台の親父の「安くしとくよ」、子どもの「砂時計、もう一回!」、年配の婦人の「魔王さん、門の音、きれいねぇ」――
人の声が、まっすぐ届く。
「…………」
フェリクスが、ゆっくりと顔を上げた。視線の先、看板の文字が風に鳴るたびに“読む”ように響く。
〈ようこそ、会話。――この門は、朝一分、剣を置く〉
金魚すくいのすぐ先で、少年が砂時計を掲げて友だちに言う。
「せーの、一分だけケンカやめ! 落ちたら再開!」
「再開は学ぶな!」
ラズヴァルドが思わず突っ込むと、周りに笑いが起きた。フェリクスは、笑い声をそのまま聞いた。ラズヴァルドの声も、リリアの声も――ザザの砂嵐なしで。
エルノアがそっと近づき、小さく囁く。
「聞こえますか?」
「……ああ」
「どう聞こえます?」
「――普通に、うるさい」
「それは良かった」
エルノアは笑って、それ以上何も言わなかった。
リリアが外した耳飾りを手のひらで包み、さりげなくラズヴァルドへ渡す。魔王はそれを綿あめの棒袋にするりと収納し、屋台の下へ“忘れ物預かり”の札と一緒に差し込んだ。
※※※
「お、勇者さん! あんたこの前、暴走キメラの時、魔王さん庇ってたろ。助かったよ。うちの屋根、まだ落ちてるけど!」
「直すのは魔王軍の補助金で――」
「補助金って言うな! “ご近所手伝い”で押して!」
屋台をはしごするうち、フェリクスはあちこちで声をかけられた。
「朝の一分、家でもやってる」「夫婦ケンカが短くなった」「門の音が好き」――そんなささやかな効能が、少し照れくさい熱を持って胸に降り積もっていく。
フェリクスはふと、預かり札を指で弾いた。剣がない。耳は、片方が空だ。
――斬らないでいる自分が、確かにここにいる。
その時、金魚すくいの水槽の端で鋼鉄スリッパがずぶんと沈んだ。
「ぎゃっ、俺の外出用!」
「魔王様、なぜ金魚すくいの縁に足をかけるのです。UI違反です」
「UI違反って何……」
フェリクスが思わず笑い、金魚すくいの網を差し出す。
「貸せ。すくい上げる」
「スリッパを金魚網で!? 破れるよ!」
「破れたら、俺が買う」
ぱしゃ。
網は、一瞬で破れた。
「ほらー!!」
「買う」
屋台の親父が爆笑して新しい網を渡す。代わりに、アランがどこからか現れて、片手で鋼鉄スリッパを持ち上げた。
「門と同じ材だからな。水が合う」
「合わないよ!」
笑いの渦の中、フェリクスは気づく。いまのやり取りを、砂嵐なしで聞いている自分に。
と、その背後。教会の徽章を襟に付けた男が、屋台の影で小さく舌打ちした。エルノアの視線が、鋭くそちらへ向く。彼女は一歩も引かなかった。
※※※
夕暮れ。舞台では即興の音楽。木彫看板は風で鳴り、ミント色の短冊がきらりと光る。
ラズヴァルドが、フェリクスの近くに並んで立った。肩の距離は、剣一振りぶんよりも近い。
「勇者」
「なんだ」
「今日は、礼を言わせてくれ。――剣を置いてくれて」
「……“ノーウェポン・デー”だからな」
「制度の力すごいな(二回目)」
ふたりの間に、一分砂時計が置かれる。
ラズヴァルドが砂を落とし、何も言わず、ただ音を聞く。周囲の笑い声、油のはぜる音、子どもの走る足音――それをフェリクスも同じ音量で受け取る。
砂が尽きる。フェリクスはゆっくりと息を吐いた。
「……今日は、自分で剣に手を伸ばさなかった」
「うん」
「次も、できるかは……わからん」
「わからなくていい。次の一分をやればいい」
「…………」
フェリクスは、預かり札を指で弾いた。
どこか未練がましい癖が、今日は音を立てない。
「ラズヴァルド」
「ん?」
「綿あめ、うまかった」
「それは、よかった」
エルノアが遠巻きに親指を立て、リリアは“任務完了”の印を指先で描く。
ツバサ丸が低く一度だけ鳴いた。クル。
――夜の合図のように、祭りの灯りがひとつ、またひとつ点る。
門の音が、ふた鳴り、み鳴り。
その夜、勇者フェリクスは初めて“自分の意志で”剣を取らないという選択をした。
右耳は軽く、風はやさしかった。
ただ、遠く――教会の塔の上で、儀式の鐘の土台が組まれ始めていることを、この場にいる誰もまだ知らない。
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