第14話「リリア、人間国の地下書庫に潜入する」

 ――夕刻。魔王城・参謀室。


「持ち物、最終確認を」


 リリアは机上に並べた小道具を淡々と指でなぞる。


「偽造身分証“政庁付帯修繕課・臨時”、回覧印スタンプ三種(“回覧”“既読”“至急”)、砂写鏡(紙面を砂に転写→木版に起こす携帯器)、削膠(しゅうこう/改ざんインク浮かし薬)、梯子用滑り止め、非常用チョコミント」


「最後のはお菓子だろ」


 ラズヴァルドが苦笑した。

 リリアは首だけで否と振る。


「合図です。人間側の協力者が“正しい相手”か見極める鍵。ミントは裏切らない」


「深いなミント……」


「事実です」


 窓辺で羽繕いしていたツバサ丸が、くるりと一度旋回し、柱にとまった。


「送達の段取りは?」


「写しを取れたら、すぐツバサ丸に託送。合図は三回短く“クル”」


「了解。くれぐれも無理はするな」


「無理はしません。やるだけです」


 リリアは黒い外套のフードを目深にかぶり、静かな足取りで部屋を出た。


 ――今夜、潜るのは人間国・中央政庁の地下書庫。

 十年前の“黒角旅団”の真実に触れるために。


 ※※※


 ――人間国・城下の祈祷堂脇路地。


 薄闇が降り、祈りの鐘が三度、細く鳴った。


 路地の通風孔に寄りかかっていたリリアの前に、小柄な影が立つ。

 白い外套のフードを外すと、巫女エルノアの顔が現れた。


「待たせました。人目があります。どうぞ」


 エルノアは紙袋を差し出す。

 中身は――チョコミントマカロン。


「……合図、受領」


「こちらも、受領」


 エルノアはリリアの掌に、小さな金属板を滑り込ませた。

 銘は《修繕課臨時・書庫立入許》――“祭具点検”の名目で夜間入室できる通行片だ。


「十分ごとに警邏が通ります。眠気除けに香を焚くので、香気が強くなったら“来る合図”。それと、これ」


 彼女がもうひとつ渡したのは、耳飾りの片耳。


「“聖印の耳飾り”の予備です。祝福は弱くしてあります。必要なら“逆向き”に使って、人間側の囁きをノイズ化できます」


「助かります」


「……気をつけて。私は、できるだけ“中”から音を小さくします」


 言葉少なにうなずき合うと、ふたりは別れた。

 それぞれ――同じ敵に向けて、違う扉から入っていく。


 ※※※


 ――中央政庁・地下書庫 夜。


 石階段は深く、冷気は乾いた羊皮紙の匂いに混ざる。

 リリアは通行片で扉の留め金を押し、**“修繕課です”**と事務的に囁いた。


「ん? 修繕? 夜に?」


 詰所の司書が顔を出す。

 目の下に濃いクマ、手には朱肉。回覧印で真っ赤な指。


「“日中は回覧で手が離せない”と伺いました。回覧、たいへんですね」


「……わかっているなら許す。梯子は滑るから気をつけろ」


「助言、感謝します」


 通された先は、天井の低い長廊。

 棚と棚の間に番号札がぶら下がり、奥の区画には**“閉架”**の札。

 壁の燭台の火は低く、見張りの兵がひとり――睡魔避けの香を焚いて、舟を漕いでいた。


「(香が強くなったら巡回……)」


 エルノアの忠告を胸の端に留め、リリアは最奥の“魔族・外交・治安”の連結棚へ。

 目当ては――黒角旅団の記録簿。


 棚差しの“7—14”を引く。

 厚い革表紙。捲る指先は迷わない。


「第七一四号・殲滅指令……前魔王期。ここから先」


 数冊目――紙質が変わる。

 インクの黒が二種類、行間の罫線が一段浅い。

 そして、決定的に――年号の上に薄い削り跡。


 リリアは小瓶から削膠を極小筆に取り、年号の上をそっと撫でた。

 見えない膜がふわりと浮き、褪めた文字が滲み出る。


「“壊滅報告”……十年前。改ざん前は――“十一年前”」


 指で確かめ、目で刻む。

 さらにページを送ると、別の書式で**“勇者制度継続の必要性(暫定報)”**。

 脅威項の参照番号には、先ほどの“壊滅報告”が――参照元にされている。


「壊滅後の“脅威”を、壊滅報で支える……二重の支柱ね」


 リリアは砂写鏡の蓋を外し、薄砂の面をページにかざす。

 短い呪を唱えると、砂がさざめき、行と印章が陰刻として浮かび上がった。


 カサ……


 梯子の金具が鳴る。

 巡回の足音が近づく。香の匂いが一段強く――


「(来る)」


 リリアは砂写鏡の蓋を閉じ、棚の影に身を溶かし――足を滑らせた。


「……っ」


 次の瞬間、背中にぶ厚い帳簿がどさり、と落ちてきて――彼女の落下を絶妙にソフト着地させた。


「“帳簿、クッション理論”……想定外の勝利」


 巡回兵の影が、梯子の手前で止まる。

 兵士は大きなあくびをひとつ。香の煙をひとふき。

 そして、去る。


 リリアは無音で起き上がり、再び棚へ。


「……“混成隊派遣記録”」


 そのページには、討伐隊の編成――人間の志願兵の名。

 “黒角旅団”に村を焼かれた者たちが、魔族と共に“黒角”を討った記録。


「……フェリクス」


 指が、ごくわずかに震えた。

 彼が背負わされた“単純な構図”が、ここでは静かに崩されている。


 砂写鏡にもう一枚。

 “予算書・勇者広報”――勇者による儀礼行脚、奉仕映像制作、**“神像前清掃”**まで項目に。

 すべての根拠欄に、同じ参照番号。


「数字の列は嘘をつかない。見たい者だけが、嘘を読む」


 そのとき――クシュン!


 上空の梁で、羽根がばさりと鳴った。

 ツバサ丸が、埃で小さなくしゃみ。


「……今じゃない」


 書庫全体に、微細な粉塵がふわりと舞い、燭台の火が一瞬揺れる。

 詰所の司書が顔を上げた。


「誰か、いるか?」


 足音。近い。

 リリアは瞬時に、片耳の聖印を逆向きに装着した。

 廊に満ちる人間の囁きが、ザザ……と遠のく。

 代わりに、紙の擦れる音とインクの湿りだけがクリアに立ち上がる。


「(紙は真実、声は風)」


 司書が棚を覗きこむ。

 リリアは革表紙をさっと閉じ、“修繕課”の顔で微笑んだ。


「梯子の留め具が摩耗していました。回覧印、借ります」


「ああ、そこに」


 司書の机に置かれた**“回覧”をリリアはぱん、ぱん、ぱん**と三つ、無言で押す。

 音とリズムだけが廊に響き、司書は安心したように頷いた。


「ご苦労」


「事実です」


 司書が戻るや否や、リリアは砂写鏡と削膠をまとめ、写し板を革袋に収める。

 梁のツバサ丸へ、視線だけで合図――右手で三回短く。


「クル、クル、クル」


 フクロウが無音で降下し、袋を足に装着。

 天窓へ向けて小さく羽ばたき、夜気へと消えた。


 ――証拠は、もう外だ。


 ※※※


 戻りの階で、リリアは壁の掲示に目を留めた。

 《ガレ村 交流祭 “ノーウェポン・デー”》――明日。

 屋台と舞台と、**奉納相撲(軽量級)**のイラスト。


「(……明日、フェリクスが来る。耳飾り、“片耳”でも外す機会がある)」


 掲示を控え、通行片を返却し、再び路地へ。

 夜風が冷たく、香の匂いはもう薄い。


 角を曲がると、エルノアが待っていた。

 外套の陰で、彼女の手が小さく震えている。


「……取れた?」


「取れました。“壊滅報告・年号改ざん”“勇者広報予算・参照番号の齟齬”。写しは飛びました」


「よかった……! あの、これ」


 エルノアは紙包みを押しつける。

 チョコミント。

 今度は、二人で半分こ。


「冷たい」


「熱い夜でしたから」


「事実です」


 ふたりは淡く笑い、すぐ真顔に戻る。

 エルノアの瞳には、迷いと――決意。


「明日、祭で**『ノーウェポン・デー』**。人の目が多い。耳飾りに触れられるなら、そこで」


「了解。屋台の“綿あめ”は粘着力が高い。物理策で行けます」


「物理なんだ……」


「物理は裏切らない。ミントと同じです」


「深いなミント(二回目)」


 ふっと息が漏れ、またすぐ引き締まる。

 エルノアは祈るように両手を組んだ。


「……リリア。ありがとう」


「礼は、彼が“耳で聞いたあと”で」


 夜の梢が揺れ、どこか遠くでフクロウがひとつ鳴く。

 それは、砂写の荷が無事に届いたという知らせのように、静かに落ちた。


 ※※※


 ――同時刻、魔王城・参謀室。


 窓を叩く羽音。

 ラズヴァルドが開けると、ツバサ丸が革袋を置いて、足で**“回覧印”**を踏んだ。


「クル(至急)」


「至急ですね。……リリア、やった」


 ラズヴァルドは砂写鏡の陰刻を光に透かす。

 浮かぶ文字――“壊滅報告・十一→十”、そして参照番号の連鎖。


「声を塞がれても、文字で刺せる」


「事実です」


 背後でリリアの椅子がきしむ音が空耳のように響く。

 彼女はいま、帰路の石畳を静かに踏んでいるはずだ。


「明日、祭。門に鳴る音が、きっと背中を押す」


 アランの木彫看板が、夜風に低く鳴った。

 ミント色の短冊がひらりと揺れて、砂時計の影が床に落ちる。


「――耳が塞がれても、目がある。

 明日は、“手”で外す」


 ラズヴァルドは陰刻を丁寧に重ね、ツバサ丸の首をやさしく撫でた。


「次は、見せる番だ」


 闇は深いが、風はやさしい。

 そして、風が鳴るたび――対話の芽は、確かに揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る