第12話「魔王、停戦ポスターでさらにバズる」

 ――魔王城・広報室。


 石壁にピンで留められた試作品のポスターが、壁一面に咲いていた。

 「剣は一度、床に」「まずは一分、話そう」「トイレは聖域」……どれも見覚えのあるフレーズが踊っている。


「……フォントが戦ってますね」


 参謀リリアが眉尻をわずかに下げる。

 テーブルの向こうで、広報官たち(全員、仕事に真面目な小鬼と角の小さい魔族)が一斉に固まった。


「“叫びフォント”と“ささやきフォント”を同じ行に入れると、読者の心が割れます。まず“ささやき”で誘導してから、最後に“叫び”で落とす。順序が大事です」


「リリア殿、勉強になります……!」


「あと色。赤は『緊急』、青は『安心』、ミントは『おいしい』。ミント色は空腹時に読まれる確率が上がります」


「“おいしい”ってなんですかデザインの語彙に!」


「チョコミントって書いてあるからです」


 奥では、魔王ラズヴァルドが腕組みでうなずいていた。

 机には“魔界版テンプレ”と書かれた木製の版下セット。パーツを組み替えるだけで、ポスターがほどよく今っぽくなる魔界の叡智だ。


「よし、では最終案を詰める。スローガンは――」


「**『毎朝一分、剣を置いて話そう』**で」


「いい。長い戦争は朝の小さな習慣から終わる、という寓意も入る」


「サブコピー案は『#朝一分話そう』。既存の**#便所で剣はやめて2025**とも相性がよく、並べて拡散できます」


「便所のやつ、残すのか……まあ、民が愛しているなら」


 魔王が苦笑すると、広報官のひとりが恐る恐る手を挙げた。


「あの……“トイレは聖域”ポスター、保存要望が多くて……限定復刻版を」


「出そう。B.T.I.(Bathroom Tactical Invasion)反省週間の啓発に使う」


「略称いらないと前にも言いましたよね!?」


 リリアのツッコミが飛んだちょうどその時、ツバサ丸が天窓から滑空してきて、机の端にドスンと着地する。


「クルル(校了、押印)」


「よし、持っていけ。魔界全域と人間界の若者が集まる市へ回せ。木版刷り三千、簡易写し一万」


「クル!」


 フクロウはポスター束を器用に掴み、再び舞い上がった。

 ラズヴァルドはリリアに向き直る。


「“一分”って、冷静に考えると、本当に短い」


「だからこそ“できる”んです。人は“短い善行”からしか始められない」


「……いい言葉だな」


 魔王は、壁の一枚を見つめた。

 ミント色の帯に、落ち着いた文字で**『話して、から斬る』**とある。


「それ、削りましょう」


「やっぱり?」


「“話したら斬らない”まで言い切ると、怖がる人には届かない。**“話して、今日はやめる”**くらいがいい」


「コピーの刃、こわ……」


 ※※※


 ――人間界・南市、若者街。


「見た? 魔王の新ポスター」


「#朝一分話そう……かわいくない?」


「ミント色ズルい。アイス食べたくなる」


「“話して、今日はやめる”かぁ。会議でも使いたい……」


 昼休み、パン屋の軒先。

 壁に貼られた“魔王広報”の紙モノを、若い店員たちが写真に撮る。

 ショーケースには、最近売れ筋のミントチップ菓子が並んでいた。タグには小さく「魔界風」とある。


「見て見て。#便所で剣はやめて2025からの派生タグ、#朝一分話そうがもう上がってる」


「どれどれ――『朝の満員電車でも一分だけ譲り合おう(剣を置く)』って、解釈広がってんじゃん」


「この“剣を置く”って、気持ちを置くって意味?」


「比喩が勝手に歩き出してる……」


 通りの反対側、石職人アランが巨大な杉板を肩に担いで歩いてくる。

 板の中心には、見事な彫りで――


『ようこそ、会話。

 ――この門は、朝一分、剣を置く』


 と刻まれていた。


「親方、それ門に付けるの?」


「おう。あの勇者様にも読めるよう、大きめにな」


「読んでくれるかな」


「読ませるんだよ。文字は“立ってる”だけじゃ届かねえ。風で鳴るように彫るんだ」


 アランは板面を撫でた。

 指先が木目の谷を辿るように、文字のリズムが手に伝わる。


「さて、魔王城へ納品だ。強風でも鳴るぞ、これは」


 ※※※


 ――人間国・教会広報室。


「……なんですかこの数字は」


 若い修道士がタブレット(人間界最新式)を見て青ざめる。

 広報責任者の神官は、静かに眼鏡を押し上げた。


「“朝一分話そう”タグ、若年層の共感指数が急騰。反魔族の固定層とは別の層が動いている」


「対抗策は? 『朝一分祈ろう』とか?」


「祈りは良い。だが“剣を置く”という行為が、物理の説得力を持ってしまっている。祈りで殴ることはできぬ」


「殴っちゃダメです」


 重苦しい空気が室内に落ちる。

 責任者は机上の資料(もちろん回覧印だらけ)を閉じ、低く呟いた。


「……“耳飾り”を配ったとしても、世論の耳は塞げん。速度で負けるな。今週中に“勇者の日常奉仕映像”を流せ」


「ゴミ拾いとか?」


「うむ。あと、トイレ清掃も入れろ」


「それ逆効果では」


「逆効果でも、逆効果を逆手にとる動画が流行る世ではないか?」


「苦しすぎるスピンです」


 ※※※


 ――魔王城・門前。


「親方! 看板、入りまーす!」


 アランが数名の弟子とともに、巨大な木彫看板を掲げて現れた。

 門のアーチ中央にぴたりとはめ込むと、風が通るたびに低い澄んだ音が鳴った。


「……鳴る」


 ラズヴァルドが目を見張る。


「音も言葉だ。耳を塞いでも、胸で読むやつだ」


「すごい。ありがとう、アラン」


「礼は、勇者が読んだあとでいい。あいつの眉間がちょっとだけ上がるか、下がるか、見てえな」


 弟子が笑った。


「勇者の眉間、毎回ピクピクしてる気がする」


「ピクピクから“しわがほどける”までが職人の仕事よ。門は人の顔だからな」


 ラズヴァルドは看板を見上げたまま、ふっと息を吐いた。

 ミント色のリボンがひらりと揺れる。

 リリアが背後から差し出したのは、今日の広報配布セットだ。


「新ポスター、城下と人間界の交流市へ。“一分砂時計”ノベルティも同梱」


「砂時計?」


「一分で落ち切るやつです。台座に“今日は話して、やめる”と刻印」


「物で押すの、合理的だな」


「意思はすぐ揺れるので、“手に残る時間”を配ります」


 ※※※


 ――人間界・路地裏の壁。


 貼られた新ポスターの前で、勇者フェリクスが立ち止まった。

 エルノアが少し後ろで見守る。


「……ミント色だな」


「おいしそうに見える色らしいですよ」


「色に味覚の意味を持たせるの、ずるくないか」


「あなた、味覚から和解に入るタイプですし」


 ポスターの下部には、ちいさな砂時計のイラスト。

 横には、「一分だけ、剣を置いて、名を呼ぼう」とある。


 フェリクスは鼻を鳴らした。


「名は……呼んだな」


「呼びましたね」


「剣は……置いたことないな」


「置いてみます?」


 そのとき、路地の角から少年たちが走り抜けていった。

 その手には、城下で配られた一分砂時計。


「せーの! 一分だけケンカやめ! 砂落ちるまで黙るルール!」


「お、いいルール」


「落ちたー! はい再開!」


「再開した!?」


 フェリクスが苦笑する。

 エルノアは、彼の横顔にそっと目を細めた。


「ね、使い方は人それぞれです」


「一分の黙るルール、戦場にも持ち込めたらな」


「持ち込めますよ。あなたが持ち込めば」


 フェリクスはポスターの端を、指で軽く弾いた。

 紙がぱたりと揺れ、ミントの帯が朝の光を返す。


「……二分、にしてやる」


「お?」


「次。ラズヴァルドと話す時間。二分。――一分五十九秒で斬る」


「最後の一秒、どうにかならないんですか」


「どうにもならん」


「ならせ!」


 エルノアのツッコミがきれいに決まったその背後で、ツバサ丸が路地の上空を横切った。

 足には小さなポスター束。

 フクロウは一度だけ旋回して、フェリクスの頭上に影を落とす。


「クルル(見てる)」


「……見られてる気がする」


「世界はいつも、誰かに見られてますよ。聞く耳を持つ人を待って」


 ※※※


 ――夜。魔王城・広報室。


 拡散の数字が、木製のカウンターボードに次々現れていく。

 (魔界の表示板は、砂粒が埋め込まれており、砂が光って数字を描く仕様だ。)


「#朝一分話そう、今日中に“便所タグ”と並びました」


「人はトイレも朝も好きだからな」


「まとめ方!」


 ラズヴァルドは麦茶をすすり、椅子の背にもたれた。

 壁の一枚を指差す。


「これ、良いよな。“剣を置いて、名を呼ぶ”」


「コピーの武器は“具体”です」


「頑張って“抽象”で戦ってた俺、いま猛烈に反省してる」


「抽象は最後に効くので無駄ではありません。入口が具体で、出口が抽象。人はそれで広くなる」


「どこの講義だ今の」


 ふたりが笑った、その時。

 門の方角から、低く澄んだ音がわずかに届いた。

 風が鳴らした、アランの彫りの音だ。


「……鳴ってる」


「はい。読まれてます」


 ラズヴァルドは目を閉じ、耳を澄ませる。

 砂の鳴るような音の向こうに、誰かが一分だけ剣を置く気配が、確かにあった。


「明日は、二分いけるかな」


「いけます。最後の一秒は、私が引き伸ばします」


「頼もしすぎる」


 リリアは無表情のまま、親指を小さく立てた。


 ――こうして。

 **“朝一分”**は街のリズムになり、ミント色は遠い心まで届きはじめた。

 対話の芽は、まだ小さいけれど、風が鳴るたびに揺れている。


 そして次に鳴るのは――二分の鐘だ。

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