第11話「人間国、勇者に“聖印の耳飾り”を支給する」
――人間国・中央政庁、第三魔族対策部 会議室。
長机の上に、紙。紙。さらに紙。
天板がたわむほどの資料の山の上を、巨大な伝書フクロウがドスンと着地した。
「クルルゥ(着便)」
「おお、ツバサ丸殿。ご苦労」
白いローブの神官が封蝋を割り、朱肉の匂いが立ちのぼる。
壁際の印箱はすでに朱でべたべただ。会議用の楕円卓の中央には、**“回覧済”**と押された赤い四角が幾重にも重なっている。
「では、案件第一。“勇者ブランドの一貫性保持について”」
担当官マルク=ベロナが、ゆったりと椅子に腰掛け、資料を――逆さに開いた。
「マルク様、それ上下逆でございます」
「うむ、わかっている。逆さに読むと本質が見える……らしい」
「らしい、で政策を決めないでください」
乾いたツッコミを入れたのは巫女エルノアだ。
彼女の隣席では、勇者フェリクスが顎に手を当て、真剣(に見える顔で)窓の外を見ている。
「さて本題だ。魔王ラズヴァルドなる者の“話術”が世論に与える影響は増大傾向にある。#便所で剣はやめて2025なる不穏な標語も流行中だ」
「標語、言い方」
「そこで教会より、**“聖印の耳飾り”**の支給が提案されておる」
机上に置かれた黒いビロードの箱。
開けば、銀の輪に小さな聖印がはめ込まれた、簡素で軽い耳飾りが二つ。
「説明しよう」
神官が棒で図を指し示す。
黒板には、耳と波線と“祝福”の図解(雑)。
「祝福により、魔族由来の音声を微弱に減衰・散乱させる。平たく言えば――」
「――魔族の声だけ、AMラジオ化、だな」
フェリクスの理解が最速だった。
「言い方のチョイス!」
「実演しよう」
神官が小さな魔導器を取り出し、録音された魔族の挨拶音声を流す。
スピーカーからは柔らかな女の声――
『本日はお越しいただきあり――』
フェリクスが片耳に耳飾りを装着した瞬間、音は**ザザ……ピ……**と砂嵐に化けた。
「うわ、深夜二時の電波だ」
「具体的だな」
「人間由来の音声は?」
質問に答えるように、神官が別のボタンを押す。
別の男声が流れる。
『本会議を始めます。議長――』
これはクリアに聞こえる。
「魔族由来だけ、ノイズ化。対話の危険性を排すというわけだ」
マルク=ベロナが満足げに頷く。
エルノアは眉を寄せた。
「……それは、“聞かない勇者”を作る道具です。対話の危険性、という言葉が既におかしい」
「巫女殿、誤解なきよう。危険なのは対話ではない。魔王の詭弁だ」
「詭弁なら、耳で判断すればいい」
「判断の負荷を減らすのも政策だ。勇者は戦うのが仕事だからな」
エルノアは口をつぐんだが、視線は冷たい。
フェリクスは耳飾りをつけたり外したりしながら、素直に感想を述べた。
「便利っちゃ便利だな。魔王の長話、たまに眠くなるし」
「眠くなるほど聞いてくれてたの!? じゃあ外して!!」
エルノアの小声の悲鳴は、会議のざわめきに溶けた。
――そのとき、窓の外をツバサ丸が再び横切る。
片翼で器用に回り、通信筒を神官に渡す。
「続いて広報から。“読んで押して回覧する運動”の進捗」
「タイトル地味!」
「広報は地味さが命だ。さて――」
マルクは通信筒から滑り出た紙束に、さらに回覧印を重ね始める。
「“聖印の耳飾り”支給に関する説明資料、回覧印が八段重ねです。美しい」
「美しくはない」
「ではフェリクス殿。適合テストを。痛みはない」
「おう」
神官が祝詞を唱え、耳飾りが淡く輝く。
フェリクスの右耳たぶで、聖印がきゅっと収まった。
「感度良好。軽い。――エルノア?」
呼ばれ、エルノアは一歩前に出た。
掌を差し出し、神官から**“予備の片耳”**を受け取る。
「祝福の調整、私に。祭具のメンテは私の役目だから」
「うむ、助かる」
エルノアは軽く会釈し、袖の内にそっとそれを滑り込ませた。
その指の震えを、誰も見ていない――ツバサ丸以外は。
フクロウは片目でぱちりとウィンクした。
※※※
――同時刻、魔王城・参謀室。
「“二分会話”の議題、詰め直しました。棒読み防止カンペも改訂」
リリアが机に紙束を広げる。
表紙にはでかでかと「二分で伝える三つのこと」とある。
「よし。最初の三十秒で“名乗り+今日の要件”、次の三十秒で“黒角旅団の実情”、残りで“剣以外の助け方”を――」
「語尾、伸ばすと尺が溶けます」
「おお、気を付ける。あと息継ぎ位置にふりがながある……親切」
「魔王様が緊張で漢字を噛むので」
「事実だが傷つく!」
そこへ扉がノックされ、伝令が走り込む。
「魔王様、人間国から声明。“勇者と魔王の接触について、適切な祝福的配慮を実施”との由」
「うわ、嫌な言い回し!」
ラズヴァルドは眉間を押さえた。
リリアは瞬時に読み替える。
「対話阻害措置の可能性。最悪、“聖具”で音声を加工されます」
「耳、塞がれるのか。……話が、届かなくなる」
ラズヴァルドは、机上の“二分会話”カンペを見下ろした。
紙の端が、わずかに震える。
「――それでも、やる。
届くまで、やる。たとえ砂嵐越しの声でもな」
「はい。砂嵐対策で“視覚スライド(木版)”も準備済みです」
「優秀だな、うちの参謀!」
「事実です」
※※※
――政庁・会議室に戻る。
「以上、“聖印の耳飾り”の支給は本日付で承認。名目は**“勇者の精神衛生向上”**」
「名目の付け方!」
「政策は言い方が半分だ」
マルク=ベロナは、承認印を最後にどん、と捺す。
回覧印九段重ねが完成した。
「フェリクス殿。世は穏やかではない。話の巧妙化に備え、耳を守るのだ」
「うむ。……なあ、これ、外してもいい?」
「基本は常時装着で」
「そっか」
フェリクスは素直に頷いた――が、横でエルノアが小さくため息をつく。
彼女は袖の中の予備の片耳にそっと触れ、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「……“耳”は、あなた自身のものだよ」
ツバサ丸がクルルと鳴いた。
まるで「見ているぞ」と言うように。
※※※
会議の締め、広報担当が控えめに手を挙げる。
「“聖印の耳飾り”の呼称、一般向けにはソフトに。“やさしい耳”キャンペーンなど如何でしょう」
「絶対やだ」
エルノアの即答に、室内の空気がわずかに揺れ、笑いが洩れた。
けれど、彼女の瞳だけは笑っていない。
――こうして。
勇者は**“聞かないための耳”を授かり、魔王は“届かない声を準備する”**。
次の会見に向け、ふたりはそれぞれの場所で、同じ空の下に立っていた。
空は澄み、風はやさしく、砂嵐の気配は、まだ遠い。
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