第8話「魔王、ついに“名乗り”が通る日」

 ――魔王城・朝。

 奇跡が起きた。


「……勇者、まだ来てませんね」


「おかしいな……予定ではとっくに壁を蹴破ってくる時間なんだが……」


 ラズヴァルドは玉座に座ったまま、そわそわと足を組み替える。


 ここ数日、彼の心は浮き足立っていた。

 前回の戦い――いや、“会話未遂事件”の余韻が、いまだに残っていたのだ。


「リリア……なんか、こう……胸の奥がふわっとしてるんだけど、これって風邪かな?」


「それ、“対話できそう”という希望ですね。発熱ではなく」


「……あいつ、今度はちゃんと話を聞いてくれると思う?」


「可能性は……1割ほど上がってます。過去比で」


「低くない!?」


「でも、魔王様が一言目を“丁寧に名乗る”だけでも、突破口になるかもしれません」


「よし、じゃあ今日こそ――俺の名前、伝えてみせる!」


 ラズヴァルドは立ち上がった。


 カッと晴れた空。微風。温かな光。

 なんだろう、このイベント発生前の朝アニメ感。


 そう思ったとき――


 バァァァァァァン!!


「我、来たり!!! 今日こそ成敗してくれるッ!!」


「来たああああああああああああああ!!!!」


 勇者フェリクス、華麗に(爆破気味に)登場。


 ラズヴァルドは息を整え、姿勢を正す。


「待て、フェリクス」


「なんだ!? その隙を突いてくるのか!?」


「違う違う違う違う、だからそういう思考やめろや!!」


 ラズヴァルドは拳を握りしめ、深呼吸した。


 今日こそ。

 この瞬間こそ。

 初めて、名乗りが最後まで通る――


「我が名は――」


「ぐぅ……!」


「ラズヴァル――」


「くっ……!」


「――ド・ネヴァン!!」


 ……沈黙が訪れた。


 勇者フェリクスの剣が、抜かれることはなかった。


「……ラズヴァルド?」


「っ……!」


 名を呼ばれた。


 正確に。

 最後まで。

 遮られることなく――“初めて”。


「はぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!!!!」


 魔王はその場に崩れ落ち、両手を天に突き上げた。


「聞いたああああああああああ!!!!ついに聞いたああああああああ!!!!」


「お、おい、大丈夫か魔王!?」


「“大丈夫か”って、いままでの全部返してくれ!!この喜びをどこにぶつければいいんだあああああ!!!」


「過呼吸起こしそうなんだけど!?」


 リリアが後ろからそっと紙袋を差し出す。


「どうぞ魔王様、呼吸袋です」


「やさしいな、うちの参謀……!」


 その間に、フェリクスは神妙な顔をしていた。


「……ラズヴァルド、か」


「うん!! そう!! ラズヴァルド!!! ようやく覚えてくれた!!」


「なんだか……名前を呼ぶと、“敵”って感じがしないな」


「そうだよ!! それが“会話”ってやつなんだよ!!!」


「でもやっぱり倒す!」


「戻るな!!! 一歩進んで二歩下がるな!!!」


「いや! でも! 名前知ってる敵を斬るの、ちょっと気が引ける!」


「その気持ちを大事にしてぇぇぇぇぇぇ!!!」


 バタバタと混乱する中で、

 エルノアがこっそり城の壁際に現れ、リリアと視線を交わした。


「……名乗り、通りましたね」


「はい。“戦争”から“関係性”へ、一歩進んだ日です」


「それでも、剣を振るうあたりが勇者らしいというか……」


「だとしても、“名前を呼んだ”という事実は、彼の心に確実に変化をもたらしてます」


 その瞬間、フェリクスの手が止まった。


「……よし。今日はこれで帰る!」


「えっ、また!? えっ!?」


「お前の名前、覚えたからな! 次は“名前呼んでから斬る”!」


「そうじゃない!! そうじゃない方向の成長やめて!!!!」


「またな、ラズヴァルド!」


 ――勇者、再び去る。


「…………」


「……魔王様、どうされました?」


「今の……なんか……ちょっと、うれしい……!」


 ラズヴァルドは泣き笑いで空を見上げた。


「ついに、“勇者に名前を覚えられた魔王”になった……!」


「もうそれ肩書きでいいんじゃないですかね」



(つづく)

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