第7話「魔王、初めて“引かせた”日」

 ――玉座の間。

 爆風が静まり、瓦礫が落ち、空気にほんのわずかな“気まずさ”が漂っていた。


「……ふぅ……」


 ラズヴァルドは肩で息をしていた。

 三百五十七回目にして、ようやく――ようやく、勇者に一撃入れた。


 いや、正確には“弾いた”だけかもしれない。

 だが、それでも。


 ずっと一方的に倒され続けた魔王が、ついに、“勇者を一歩引かせた”のだ。


「おのれ……やるようになったな、魔王よ」


 剣を納めながら、勇者フェリクスが言う。

 その顔には、いつもの無思考な正義感ではなく、ほんの少しだけ、“警戒”が混じっていた。


「なんでそんなに強いんだ?」


「……お前が斬ってくるからだよ。三百五十六回も」


「なるほど……俺が育てたのか」


「いや、被害者側のセリフそれじゃねぇから!」


 ラズヴァルドは息を整えつつ、剣を抜いたままのフェリクスをにらむ。


「もう俺は、“倒されるだけの魔王”じゃない。言葉も魔法も、時には拳も使う。

 ――それでも、まだ話を聞かずに斬るっていうなら、今度は容赦しないぞ」


「…………」


 フェリクスは、無言でラズヴァルドを見つめ返す。

 その視線の奥に、微かに何かが揺れているように見えた――


 ――が、


「今日はこのへんで引く! 疲れた!」


「お前が言うな!!」


 勇者は突然、あっさりと背を向けた。


「斬るのもエネルギーがいるからな。また来る!」


「ほんとその行動パターンやめてぇぇぇぇぇぇ!!」


 バン、と音を立てて閉じられた扉の先を見送りながら、ラズヴァルドはどっかりと腰を落とした。


「……勝った、わけじゃないけど、退いた……」


「初・勇者撤退ですね」


 リリアが茶を運びながら入ってきた。


「何か“達成感”っていうか、“一段階進んだ感”あるよな……」


「“会話は不成立でしたが、相手が一歩下がる”という進展、ですね」


「……ちょっと嬉しい」


「よかったですね」


 ※※※


 ――その夜。人間国・野営地。


「……ふむ……」


 フェリクスは焚き火の前で、アイスを食べていた。

 ミントグリーンのそれを、ゆっくりと、じっくりと味わう。


「美味いな、これ……」


 彼のそばには、巫女エルノアが座っていた。


「今日は、斬らなかったんですね」


「いや、ちょっとだけ斬った」


「壁は崩れてました」


「でも、あいつ……なんか、前よりちゃんと“話しかけてきた”気がした」


「珍しく、そういうの気づくんですね」


「うるさいぞ」


 フェリクスはスプーンをくわえたまま、しばし黙る。


 焚き火の光に照らされる彼の横顔は、いつもの“正義一辺倒”ではなく、ほんの少しだけ“迷い”が混じっていた。


「……あいつ、魔王だけど、なんか普通にうるさくて、ちょっと面白いし、アイスうまいし……」


「……フェリクス、もしかして」


「え?」


「敵に“親しみ”を持ちはじめてません?」


「持ってない! ぜんっぜん持ってない!」


「即答すぎて逆に怪しいです」


「むしろ嫌い! むしろ倒したい! またアイス贈るけど!」


「ほら贈る気あるじゃん!!」


「でも……なんか今日は、剣を振り上げる前に、ちょっとだけ、“耳”が動いた気がしたんだよな……」


「“耳”が?」


「“話を聞いてみる耳”ってやつ。……ほんの、ちょっとだけな」


 エルノアは目を丸くして、ふっと笑った。


「それが、第一歩かもですね」


「かもな。……次会ったとき、斬られる前に話しかけてくれたら、返事くらいはするかもしれん」


「なんですかその“かもしれん”の保険!」


「保険は大事!」


 焚き火の火が、静かにパチパチとはぜる。

 その夜、フェリクスの剣は鞘から抜かれることなく――代わりに、チョコミントの空カップだけが、そっと地面に置かれた。



(つづく)

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