一 私のバイブル

 タイムスリップ、なんて不思議な能力を持っていても、それ以外は普通の中学二年生。

 未来なんて恐ろしい場所に行く理由もなければ勇気もない。

 タイムスリップしたところで、未来の道具は一目見ただけでは使い方がわからないし、助けを求められる知り合いもいない。無力な私が路頭に迷うだけ。物静かで臆病な中学生、神沢美蕾は今日もぬくぬくと2025年に引きこもっていた。

 読書が友達。恋人も読書。今日も図書室に通っては、本を借り漁っている。

 読書は良い。ドキドキもハラハラも、色々な気持ちを体験できるのに、危険なことは何一つない。私は文字を目で追っているだけ。

 図書室を利用すればお金もかからないし、何より普通だ。

タイムスリップなんて不思議な能力を持っているけれど、本を読んでいる間は、そんなこと関係なく私は普通の中学生でいられる。

 だからずっと、この生活を続けたいと思っていたし、続けていられると思っていた。だって普通のことなんだもん。

 しかし、今日ついに、そうは言っていられなくなった。


 私は出会ってしまったのだ。バイブルとも呼べる最高の小説に。


 出会いの場所は、相変わらず学校の図書室だった。大量の文庫本が詰め込まれている児童書コーナーにある、見落としても仕方ないくらいの薄い本。

見たことのない表紙をしていて、最後のページで出版社を確認しても、知らない会社の名前が書かれていた。初版はちょうど私が生まれた一週間後くらいだ。

 タイトルは『タイムスリップ☆創造神』。読むまでもなく、ファンタジー小説だろう。

 当事者としてタイムスリップという言葉に惹かれたのか、私が元々ファンタジー小説マニアだからか。なぜその本を読みたいと思ったのか、自分でもわからない。まあ、本との出会いなんて、そういうものだろう。

 『タイムスリップ☆創造神』なんてポップな響きのタイトルとは裏腹に、読んでみると小難しい物語だった。

 主人公の「私」が過去へタイムスリップをする物語。主人公の名前は最後までわからなかった。

「これはファンタジー小説ではない。私のエッセイである。」なんて斬新な始まり方をする。まるで過去にタイムスリップできる人が、本当にいたみたいだ。

 それから、タイトルの語感も好きだ。『タイムスリップ☆創造神』。ダジャレや言葉遊びが含まれているわけではないが、口に出したらなんだか楽しい気持ちになる。タイムスリップなんて、私にとってはむしろ嫌いな言葉なのに。このタイトルに入った文字列だけはワクワクするのだ。星マークがいい仕事をしているのか、三字熟語が格好いいのか。原因は定かではないが、なんだっていい。


 表紙をめくるのが待ちきれず、つい口角が上がる。初めて知った本の表紙を見てニヤニヤと笑うのは、気味が悪いかもしれないが、私の口元には最強バリア・紙マスクがあるのだから問題ない。

 私は笑い上戸というやつらしく、ことあるたびに口元が緩む。一般的につまらないと言われる言葉遊びや、予期せぬ挙動に出会った時、つい口の端を上げて笑ってしまうのだ。

赤ちゃんみたいだとからかわれるものだから、私は常にマスクで口元を隠すようになった。

 私としては、笑っていると楽しい気持ちになるので、この特性が嫌いなわけではない。マスクの下でニヤニヤと笑いながらページをめくる大冒険ほど、楽しいことはないだろう。



 さて、『タイムスリップ☆創造神』の話に戻そう。

 私の期待通り、いや、期待以上に面白い本だった。その日のうちに、第一巻を読み切ってしまったほどだ。

 バイブルと呼べるほどに、私はこの小説を気に入ってわけだが、一つだけ問題があった。

 作者が浄心佳子なのだ。

 私は、書き手には興味を持たないタイプの読書家だが、そんな私でも知っているくらい有名な作家だ。国語の教科書にも載っている。

 「幻の作家」なんて呼ばれているらしい。

 浄心佳子は不思議な作家だった。作品は最古のものだと八百年以上前から存在している。現代人ではさっぱり読めないような筆文字で書かれた、古典作品だ。

それから数百年の間隔を空けて、歴史上で何度も小説を生み出している。その作品数は百を超えるらしい。

 読書家の間では不老不死なのではないか、とか幽霊が書いているのではないか、とか好き勝手な都市伝説がささやかれている、と授業で聞いた気がする。

 本は読む専門の私にはそんなこと、どうでもよかった。作家には興味を持たないようにしている。

 有名な人が書いたものだから読む、なんて本の探し方をしていたら、素敵な物語と運命的な出会いをする機会を損失すると思うのだ。それよりも、表紙や背表紙から少ない情報をかぎ分けて、私好みの物語を選びたい。宝探しみたいで楽しいではないか。時には、あまり好みに合わない物語にも出会うが、それだって冒険だ。

 そういうわけなので、本来ならこのバイブルを誰が書こうが問題はなかった。無名の新人作家でも、幻の作家でも。続きが読めるなら誰でもいい。

 しかし今回に限っては、この型破りな作家がつくった小説であることが問題だった。


 ご丁寧なことに、本の最後に次巻の発売日の予告がしてあった。最終巻までの構成や発売日がすでに細かく決まっているらしい。そこの情報によると、次巻は2035年に出版すると書いてある。

 この物語は全五巻で構成されており、それを二十五年ごとに出版していく予定だそうだ。

第一巻の出版日が今から十五年前の、2010年10月21日。あと十年待てば、出版からちょうど二十五年が経ち、第二巻が出版されるわけだ。

 その頃、私は二十四歳。もう立派に社会人をしているだろうか。家族はいるのだろうか。想像ができないほど、未来の話である。待てる気がしない。


 そして第三巻の出版が2060年、第四巻が2085年、第五巻が2110年という具合だ。

普通の人が完結まで見届ける為には百年待つ必要がある。人生百年時代なんて聞いたことがあるが、それにしても無茶である。

 これはまるで、私にタイムスリップの能力を使えと言っているようなものではないか。タイムスリップをして、未来で出版される小説の続きを買いに行けばいい。私だけ一足先に物語の結末を見てしまうのは、ずるい気もするけれど。私は今この熱い気持ちのまま、続きを読みたいのである。


 そういうわけで私は、五年ぶりに、タイムスリップをすることになった。



---

 これはファンタジー小説ではない。私のエッセイである。

 忘れもしない。私が初めてタイムスリップをしたのは、疎開に行く前日だった。

 当時では貴重だった飴玉を、見知らぬ少年が瓶いっぱいにくれたのだ。

 その日の夜、私の町は空襲にあった。私の家も燃えた。幼かった私は、もらったばかりの飴玉をだめにするわけにはいかない、そんなことばかり考えていた。

 口いっぱいに飴玉を頬張った私に、奇跡が起こる。

 その時、タイムスリップが起きたのだ。

 私の体と魂は、明治に飛んだ。

 レンガづくりの街並みに馬車が行き交い、皆が初めて見るものに目を光らせていた。

 争いのないその場所が、楽園のように思えた。

 飴玉を舐め終えると、私の体は昭和に戻っていた。空襲は止んでいて、周りは焼け野原になっていた。

 疎開先でも、小規模な空襲が何度かあった。その度に私は飴玉を舐めて、平和な明治の世に逃げていたのだ。

 戦争が終わる頃、瓶いっぱいだった飴玉は無くなっていた。


浄心佳子、『タイムスリップ☆創造神 第一巻』、零九舎、2010年



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