第6話

 そうこうするうちに、一学期の終業式がやってきた。

 夏休み期間はサッカー部の合宿や練習試合などかなり忙しいらしく、佐野宅へのデリバリーも一旦休止、ということになった。

『とりあえず、美園さんとは最近まあまあちゃんとやれてるし。心配すんな』

『そっか、なら少し安心した。……でも、何か悩みとかきついとかあったら、絶対一人で抱えたりすんなよ』

『ん。ありがとな』


 なんだかんだで例の強引系不意打ち呼び出しでもまた来るんだろうと思っていたが、佐野からのLINEはふつりと来なくなった。

 一方俺は部活にも所属しておらず、特に学校に用事もなく、休みにわざわざつるむような友達もおらず。

 夏休み前までの怒涛のようなあれこれが、まるで夢だったかのような静かな日々が流れた。


『今度の土曜、○○公園で夏祭りあんじゃん。行かね?』

『おけ』

 8月半ば。ほどほどに仲の良いメンツの誘いに乗り、男子四人で近所の夏祭りにぶらぶらと出かけた。

 取り立てて目新しいイベントがあるわけでもないが、中心に盆踊りの櫓が立つ広場には屋台がいくつも立ち並び、たくさんの客で賑わっていた。

 それぞれにたこ焼きやフランクフルトなどを好みの屋台で買い求め、無造作に頬張りつつ華やかな祭りの賑わいを楽しむ。

 と、少し離れた屋台から出てくる見慣れた面影に、目が吸い寄せられた。


 佐野と、美園さんだ。

 長い髪を緩やかに結い上げ、白地にピンクの大輪の花が咲く艶やかな浴衣を着た美園さん。白のTシャツにこなれた色合いのワイドジーンズ、黒いゴツめのサンダルを履いた佐野。

 可愛らしい赤い金魚の入った小さなビニール袋を、佐野が美園さんに手渡している。

 自然に微笑み合う二人の姿は、誰がどう見ても仲睦まじい恋人同士だ。


「——……」

 不意に、胸から喉をぎゅうっと圧迫されるような奇妙な息苦しさに襲われた。


「うお、あれ佐野と美園さんじゃね?」

「ひえーー、美園さん浴衣じゃん……色っぽすぎるやべえ〜」

「一軍カップルの放つオーラはパネエなやっぱ」

 連んでいたメンバーが、小声で口々に言い合う。


 ——二人に気づかれる前に。早く。

 俺はわけもなく焦りながら方向転換を促した。

「な、別方向行かね? デートの邪魔すんのも悪いしさ」

「ん、そーだな」

「確かに。リア充のあとくっついてく意味ねえわー」

「かわいいかのじょいいなあ」


「はは、そーだな……」

 いろんな意味で、こういう屈託のない連中と連むのは気楽で楽しい。

 気楽で、何の悩みも痛みもなくて……。


 土曜の午後のことが、何故かいくつも脳に戻ってくる。

 ぶっきらぼうで、強引で。

 雑だけど、温かくて。

 散々振り回されながら、結局いつも一緒に笑って。

 背を抱きすくめられた時の、逞しい腕や胸。自分に注がれた、熱のこもった眼差し。

 肌が触れて、思わず自分を見失いかけたあの瞬間。


「葉山ー、何やってんだー迷子になんぞ」

 友の雑な呼び声に、ハッと我に返った。

「葉山と迷子ってなんか似合ってんな。かわいいw」

「あー悪い。一瞬頭バグってた」

「え、一瞬? 葉山のバグはいつもでしょ??」

「るせーな」

 ひゃはは、と笑い合いながら、俺たちは彼らとは逆方向の人混みへと歩き出した。







 夏休み最終日、夜10時。

 明日の学校の支度を一通り終えた自室の机に座り、俺はふうっと大きく息をひとつついてスマホを手に取った。


 佐野からのメッセージは、結局夏休みの間一度も来なかった。

 そして、あの祭りの日以降、俺の胸にはわけのわからない焦燥感が少しずつ積み重なった。


 佐野は、何事もなく美園さんとの夏休みを乗り切ったんだろうか?

 彼のことだ。きっと何事もなくクリアしたんだろう。その証拠に、祭りの日の二人の様子からは穏やかな気配しか感じられなかった。

 ならば、おかしな焦燥感など蓄積する必要ないじゃないか? 何をそんなにざわついてる? 


「——……」

 自分の中の問いに答えを出せず、頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。

 とにかく。夏の間、彼が本当に無事だったのかを確認しなければ。必要ならば、土曜のデリバリーを再開する必要がある。この偽装恋愛のコンプリートのためにも。

 一度置きかけたスマホを、ぐっと握り直す。

 変な緊張に汗ばむ指で、メッセージを打ち込んだ。


『ちょっと久しぶり。

 夏休みの間、特に問題なかったか? 

 必要なら土曜のデリバリー再開するけど』


 メッセージに既読がつく。

 しばらくの間を開けて、返信が届いた。


『久しぶり。

 デリバリー、多分必要ないっぽい。

 実は、美園さんとなんだかんだでうまくやれててさ。

 彼女、これまでいろいろあった自分のダメなとこ、本気で反省したらしいんだよな。

 今の美園さんはびっくりするくらい理想の彼女でちょっと驚いてる』


「…………」


 コメントを読む。

 もう一度読むが、内容がちゃんと頭に入ってこない。

 そうこうするうちに、新たなメッセージが届いた。


『だから、マジで美園さんと付き合おうと思ってる。

 葉山、悪かった。

 クラスの男にいきなり告られるとかむちゃくちゃビビったよな。今思えばかなりやばかったなってちょっと笑える。

 俺の強引な要求にいつも付き合ってくれて、嬉しかった。

 ありがとな』



「——……はは」


 そっか。

 つまり、偽装恋愛が偽装じゃなくなった……ってことか。


 自分の焦燥感の正体が、やっとわかった。

 俺はきっと、どこかで予感していた。こうなるかもしれない、という未来を。


 むしろ、当然の流れだ。

 誰が見ても眩しいスーパー一軍が、こんな地味な陰キャに入れ込むのがどう考えてもおかしい。

 佐野と美園さん。これほどナチュラルなカップルはない。美園さんがすっかり改心したというなら、尚更。


『そっか。

 おめでとう。仲良くな』


 それだけを返信し、即座にスマホ画面を閉じてベッドへ放った。


 笑いたいのか。

 それとも、泣きたいのか。

 それは、何に対して?


 何が何だか、さっぱりわからなかった。







 新学期が始まり、三週間が経った。


 夏の風から少しずつ熱が抜け落ち、静かな秋風に変わっていく。

 今の自分の心の中も、何だかそれとよく似ている気がしていた。

 少しずつ、冷えて戻っていく。以前の自分に。


 あれだけ好きだった美園さんの笑みも、もはやいろいろな意味で色褪せてしまった。


 そして、佐野とも。

 彼と繋がる接点など、もうどこにも見つからない。


 直視できないレベルで眩しい一軍たちと自分の距離は、やはりこのくらい開いているのが平穏なのだと、ふとそんな気持ちに落ち着きつつある自分がいる。


 昼休み。今日も昼食を食べながらいつメンでくだらない話をダベる。

「なーこの動画見たー?」

「え、いや見てねーわ」

「このグループむちゃくちゃ可愛くね? 歌ヘタでアホっぽいけどそこがいいんよ」

「わかりみ」

「やべ、次の時間英単語テストあったよな」

「マジか!? どこだっけ、全然勉強してねー」

「俺奇跡的にやってきたわ。ノート見るか?」

「はあー神!」

 友達の言葉に、思わず胸の前で指を組み祈りを捧げる。

 と、不意に視線を感じ、俺はふっと顔を上げた。


 ——佐野と、視線が真っ直ぐにぶつかり合った。


「——……」


 その途端、全身の熱がブワリと一気に顔へ駆け登った。

 心拍がバカみたいに跳ね上がる。

 平静に戻ったはずの感情が、自分でも驚くほど乱れるのをどうにもできない。


 ふざけんな。葉山成分不要になったのはそっちだろ。

 理由のわからない怒りまでが込み上げる。

 突沸した激しい感情に任せ、ふいと視線を逸らした。


 その時の佐野がどんな顔をしたかは、俺は知らない。


「佐野くん、今日一緒に帰ろ」

 俯いた耳に、美園さんの甘い声が届く。

 佐野の返事はよく聞こえないが……きっと優しい微笑みを返しているんだろう。


 なんだよ、これ。

 火で炙った剣を胸に深々と差し込まれたような意味不明な苦痛に、俺は歯を食いしばった。





 自分の心身のこの静けさは、以前の自分に戻ったのではなく、明らかに何かが抜け落ちてしまった結果なのだと。

 そのことにだんだんと気づき始めた11月の初め、金曜の夜。

 夕食も風呂も終え、ぼんやりと自室の机でスマホを眺めていると、部屋のドアが雑にノックされた。

「にーちゃん入るよ」

 言い終わるか終わらないかのうちにガチャリとドアが開く。相変わらず返事を待つ気など1ミリもない妹だ。しかし何だかそんなことはもうどうでもよかった。


「なんだよ?」

 画面を見たまま、ぼんやりと答える。

 花梨はクッションにどさっと座るなり棘のある声を投げつけた。

「あのさ。

 にーちゃんって、思った以上に薄情者?」

「は? なんの話だよ急に」

「友達が苦しんでるのとか横目で見たまま黙ってるタイプかって聞いてんの」


 俺はガタリとスマホを机に置き、はあっと溜息をついた。

「だから、なんのことだよ? ちゃんと順序良く言えって! そうじゃなくてもクソだりーんだからさ!」

「佐野って人のことだよ」


「——……」


 俺は自分の表情が一気に色を変えていくのをどうにも抑えられなかった。



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