真神リラと日暮ミナの6帖一間生活 ~悪の組織の女幹部と下っ端戦闘員が同棲したら~
猫森ぽろん
第1話 ただいまの魔法
日暮ミナは、ダイニングテーブルで雑誌を読んでいた。秒針がカチコチと時を刻む音が聞こえる。もうすぐ日付が変わる。電子レンジには、今夜のために作った肉じゃがが待機している。
「遅いなぁ、リラちゃん……」
ミナはそう呟き、スマホの画面をつけた。時刻は午前0時5分。
同居人の真神リラは秘密結社「黒牙」の幹部である。今日もまた、彼女は残業なのだろう。リラの仕事は多岐にわたり、作戦の立案から暗号解読、果ては組織の財務管理まで、その小さな体で膨大な業務をこなしている。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った瞬間、ミナは弾かれたように立ち上がった。
「おかえり!」
そう叫びながら扉を開けると、そこに立っていたのは、くたびれた様子の真神リラだった。
普段は冷徹な切れ者として組織を牛耳るリラだが、現在はその面影は無い。顔には疲労と寂しさが溢れかえって、涙までにじんでいた。黒を基調とした軍服風の制服は、ヨレヨレ。黒髪のショートヘアも乱れ、いつもの鋭い猫のような瞳は、今はドロンと垂れている。
「ただいま、ミナ……」
「もう……! こんな時間まで、お疲れ様。ごはん、できてるよ」
か細い声でそう言いながら、リラはミナの胸に顔をうずめた。
ミナは少し怒った声で返して、リラの小さな背中をそっと撫でた。リラはミナの胸元に顔を埋めたまま、小さくうなずいた。この瞬間だけは、彼女は組織の幹部ではなく、ただの甘えん坊な女の子なのだ。
玄関の扉を閉めると、ミナはリラの手を握って、そのまま引きずるようにリビングへと向かった。
「お風呂、先に入る?」
「うぅ……ミナと一緒に入りたい……」
「もう、わがままだなぁ。でも、いいよ。冷めちゃうから、ご飯が先かな」
ミナは微笑んで、リラの希望にそうっと寄り添う。
テーブルに温かい肉じゃがと、ほっかほかのご飯、さらに味噌汁を手際よく並べていく。リラは椅子に座ると、小さく息をついた。
「今日の会議、超長引いてさ……戦闘員がまったく使えなくて……」
リラはそう愚痴をこぼしながら、じゃが芋をかじった。口に入れた途端、彼女の表情がふわりと緩む。
「おいしい……ミナの作る肉じゃが、世界一だよ」
「大げさだなぁ」
ミナはそう言いながら、自分もご飯を食べ始める。彼女たちの会話は、ほとんどリラの愚痴と、それを優しく受け止めるミナの相槌だった。
「なんかさ、今日、すごい嫌なことがあって……」
リラは急に、涙を浮かべ始めた。
「どうしたの、リラちゃん?」
ミナが心配そうに尋ねると、リラはポロポロと涙をこぼし始めた。
「戦闘員たち、あたしが帰るの、待っててくれなかったんだもん……」
「え……?」
「あたし、もう幹部なんてやだ……ミナと二人で、ずっと家にいたい……」
リラはだだっ子のようにミナの膝に顔をうずめる。まるで子供のようである。ミナはそんなリラの頭を撫でながら、静かに話を聞いていた。
リラが語るのは、組織での不満、疲労。そして、ミナといつも一緒にいたい、会いたいと言う。仕事では冷徹な彼女だが、家に帰ればこんなにも脆く、そして可愛い。
高校時代、ミナは運動部のエースとして活躍していた。その頃のリラとは先輩後輩として、たまに挨拶していた程度の仲。当時のリラは、今とは違い、内気で大人しい子だった。まさか数年後、こんな形で再会するとは思ってもみなかった。ミナは今、この生活に心からの幸せを感じていた。
「もう大丈夫だよ、リラちゃん。私は、ここにいるから」
ミナがありったけの優しい声を出すと、リラの泣き声が少しずつ静かになっていく。
「ミナ……ごめんね、職場で、あんなに厳しく叱責したりして……」
リラは涙声で、そう謝罪した。職場では、リラはミナを「戦闘員」と呼び、一切の私情を挟まない。他の幹部や戦闘員たちの前では、厳格な上下関係を隠さない。だから、こうして家で二人きりになったとき、リラはいつも謝るのだ。
「いいんだよ、リラちゃん。それがお仕事なんだから」
ミナはそう言って、リラの頭を優しく撫でた。リラはミナの膝から顔を上げ、少し赤くなった目でミナを見つめた。
「将来……一緒に住もうね……」
リラはそう言って、ミナの手をぎゅっと握った。ミナは、その小さな手の温かさを感じながら、微笑んだ。
「もちろん。楽しみにしているよ」
そう答えると、リラは安心したように、またミナの胸に顔をうずめた。
真神リラの夢なのだ。愛する人と庭付き一戸建てで一緒に暮らしたい。
二人きりの六畳一間。
外ではもしかしたら、秘密結社とヒーローの戦いが繰り広げられているかもしれない。
だけど。
今この部屋の中だけは、穏やかで優しい時間が流れていて欲しい。
ミナの腕の中で、リラはすぅすぅと寝息を立て始めた。疲れた子供が母親の腕の中で眠りにつくように。そんなリラをそっと抱き上げ、布団に寝かせた。
明日は、また別の任務があるだろう。もしかしたら、また残業になるかもしれない。けれど、この時間が、この安らぎが、リラにとって明日を生きるための活力なのだと思っている。「ただいまの魔法」とミナは呼んでいる。
ミナはリラの額に軽い口づけをして、静かに布団を離れる。テーブルに戻ると、食べかけの肉じゃがが残っている。
「もう……結局、ご飯も残して寝ちゃったんだから」
そう言いながら、ミナはリラのために残しておいたお風呂の片付けを始めた。
遠い未来、庭付きの一戸建てで、リラと二人で暮らす日を夢見ながら。
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