第8話 たのしいプレゼン

 その日の朝、タケシはいつもより少しだけ緊張していた。大学時代からの親友であるユウキが、久しぶりに遊びに来るからだ。


 ユウキは、タケシが勤める会社と提携している企業に勤めており、アイリを開発したチームのメンバーでもある。つまり、アイリにとっては「開発者」の一人だ。


 ユウキはタケシの平凡な生活がアイリのテストケースとして適切かどうかを公私ともに評価する立場にある。タケシはアイリの存在が自分にとって当たり前になりすぎて彼女がアンドロイドであることを時々忘れてしまう。

 だからこそ、ユウキの客観的な評価が怖かった。自分みたいなごく普通の人間が、アイリの成長に貢献できているのか、少しばかり不安な気持ちを抱えていた。


「マスター。ユウキさんの到着予定時刻は、現在から35分後です。彼の行動パターンを解析した結果、彼はマスターの部屋を訪れる際、コンビニエンスストアでビールとつまみを購入する確率が87%です」


​「どういう統計データで弾き出してるんだよ……」


 ​タケシが呆れているとアイリは真剣な顔で続けた。


「彼の来訪目的は、マスターの幸福度を客観的に評価することにあります。この機会を利用し、私はマスターの幸福度を最大化する私のロジックを、彼にプレゼンします」


(プレゼンって、また変なこと言い出すんじゃないだろうな)


 タケシは内心でそう思った。アイリの言葉はいつも真っ直ぐすぎて、聞いているこっちが気恥ずかしくなってしまうのだ。


 ​ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。タケシがドアを開けると、仕立ての良いスーツを着た、筋肉質で気立ての良さそう男ながいた。コンビニの袋を提げたユウキだった。


​「よお、タケシ。久しぶり」


​「おう、ユウキ。わざわざ悪いな」


 ​ユウキはタケシの部屋に入るなり、リビングにいるアイリを見つけた。その顔を見てユウキは安堵と誇らしさを感じていた。


 アイリの顔にはこの一年間のタケシとの生活が刻み込まれているように見えた。表情が豊かになり、言葉の端々に開発時にはプログラミングしていなかった「何か」が宿っている。タケシも以前より顔色もよく、雰囲気も柔らかくなっている。彼がアイリと過ごすこの一年で、どれだけ変わったのかをユウキは直感的に理解した。アイリのテストがうまくいっていることを確信したのだ。


​「アイリ、元気だったか?ちゃんとやってるか?」


 ​アイリはユウキの言葉に嬉しそうに頷いた。


「はい。ユウキさん。マスターの幸福度向上に向けた私のロジックは順調に稼働しております」


 ​ユウキはその言葉に苦笑いしながら、ビールをテーブルに置いた。


「相変わらずだな、お前は。まあタケシの顔見てるとうまくいってるみたいだ。前より顔色もいいし、雰囲気も柔らかくなった」


 ​ユウキの言葉にタケシは少しだけ照れた。その言葉は先日同僚に言われたことと同じだった。



 ​タケシとユウキがビールを飲み始めた頃、アイリはノートパソコンを取り出し部屋の中央に置いた。スクリーンにはタケシのこれまでの生活データが数値で表示されている。


​「ユウキさん。私のマスターの幸福度向上プログラムについて、私の主観ではありますがご報告させていただきます」


「ちょ、アイリ──」


 ​タケシが止めようとするも、アイリは聞く耳を持たない。


 ​「私がマスターの元に来てからの1年間、マスターの幸福度は平均で23.7%向上しました。これは私の『日常の最適化プログラム』 がマスターの生活の質を向上させた結果です」


 ​アイリは朝食のキャベツの件、ランニング中の健康論など、これまでのタケシとの日常をすべてデータで説明していく。


「そしてこれが、その成果を最も端的に示すグラフです。マスターの笑顔の頻度と発するツッコミの回数が正の相関関係を示しています。つまり、マスターが幸福であればあるほど、ツッコミが増えるという画期的な発見です!」


​「誰が原因だと思ってるの!?」


 ​タケシは思わず叫んだ。アイリはそんなタケシのツッコミを得意げに、グラフにリアルタイムで記録している。ユウキはその奇妙なロジックに吹き出しそうになったが、なんとかこらえた。


​「さらに、この一年間でのマスターの睡眠時間データをご覧ください。以前は平均3時間12分だった睡眠時間が、現在は平均7時間45分に増加しています。これは、私がマスターの寝言を分析し『宇宙の囁き』と断定しマスターの寝室環境を最適化した結果です」


​「宇宙の囁きってなんだよ!ただの寝言だろ!」


 ​タケシはさらに激しいツッコミを入れた。ユウキはもう笑いをこらえることができず、肩を震わせていた。


「しかしユウキさん。先日、私のプログラムに解析不能な未知のデータが入力されました。それは『愛情』というデータです」


 ​アイリの言葉にユウキは少しだけ眉をひそめた。


「愛情?と、いうと?」


「先日のコスモスの病院でのことです。マスターはコスモスの治療に対し、効率を無視した行動をとりました。それは、マスターがコスモスを『大切な存在』だと認識しているためです」


 ​アイリはタケシとコスモスとのやり取りを冷静な口調で説明していく。そして彼女はコスモスを抱きかかえながら、ユウキに問いかけた。


​「ユウキさん。この『愛情』というデータは私のロジックには存在しません。しかし、このデータはマスターの幸福度を最大化する上で最も重要な要素であると、私の演算結果は示しています。これは私がアンドロイドであるという私の存在意義に関わる重大な問題なのです」


 ​アイリの真剣な問いかけにユウキは少しだけ考え込んだ。ユウキはアイリがこんなに深いことを考えるようになったことに驚いていた。ユウキらがアイリを作ったのはただの便利な道具としてではない。隣人と支えあって欲しい、という願いからだ。それは開発者として最高の喜びだった。


「アイリ、お前はこの一年で本当に感情豊かになったな。開発者冥利に尽きるよ」


 ​ユウキの言葉にアイリは少しだけきょとんとした顔をした。


「私の感情プログラムは適宜アップデートされています」


「そうじゃない。感情プログラムじゃなくて……うーん、お前自身がタケシと一緒に生活することで人間みたいになってるんだよ。その『愛情』ってデータもきっと、お前がタケシから学んだお前だけの感情なんだ」


「お互いが互いに足りないものを補い合いながら成長してるんだ。としてこの上ない関係性なんだよ」


 ​ユウキの言葉にアイリは何も答えられなかった。彼女の胸にまた、言葉にできない奇妙な熱がこみ上げてくる。それはタケシとの生活が彼女のプログラムに新しいコードを書き込み続けている証拠だった。タケシもユウキの言葉に深くうなずいた。アイリは自分の孤独を埋めてくれるだけでなく、アイリ自身も成長している。その事実にタケシは静かな感動を覚えていた。

 その温かさはタケシを少しだけ強い人間に変えていた。


 ​

 ユウキが帰った後、部屋には静寂が戻ってきた。タケシはビールを飲み終えた空き缶を片付け、ソファに深く座り込んだ。コスモスはタケシの膝の上で気持ちよさそうに丸くなっている。


「マスター。ユウキさんはマスターの幸福度を高く評価していました。今回のテストは成功したと言えるでしょう」


 ​アイリはタケシの隣に座り淡々とした口調で言った。


​「そうだな。お前のおかげだよ」


 ​タケシは漫才会場と化していたプレゼンを思い返しつつそう言うと、アイリは首を傾げた。


​「私のロジックは、マスターの幸福度を最大化する上で最も効率的な行動を選択したにすぎません。しかしその過程で、私は『愛情』という未知のデータを学習しました。このデータは私の今後のプログラムに大きな影響を与えるでしょう」


「そうか。それは良いことなんだよな?」


 ​タケシが尋ねると、アイリは少しだけ考え込んだ。


「分かりません。しかし、私はこの未知のデータに非常に興味を持っています。マスター、あなたは私にとってどのような存在ですか?」


 ​アイリの質問にタケシは少しだけ戸惑った。彼女はアンドロイドであり、自分は彼女のテストに協力している人間。しかしそれだけではない。彼女は自分の日常にとてつもなく大きな存在になっていた。


 ​タケシは言葉を濁しながら答えた。


「そうだなぁ、お前は僕にとっての、うーん……」


 ​タケシはそれ以上言葉を続けることができなかった。友人に向ける気持ちのような、いや、家族に向ける気持ちのような。自分の気持ちを明確な言葉にするには、不器用な彼には、まだ何かが欠けていた。


 しかし、アイリはそんなタケシの言葉の続きを待つことなく、静かに言った。


​「マスター。あなたの言葉は私のデータベースに、新しいコードを書き込みました。私も、マスターにとって『大切な存在』になりたい。それが私の新たなミッションです」


 ​タケシはその言葉にまた少しだけ笑ってしまった。二人なのにいつも賑やかで、ともすればやかましく、しかし温かい日常。お互いの関係性の先を明確に言葉にするのは難しいけれど、タケシはその日常を心から楽しんでいた。

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