第5話

 ――そう、信じていた。


******


 平穏は、数日しか続かなかった。


 ある日の午後、美咲のスマートフォンにSphereから一件のプッシュ通知が届いた。「あなたへのおすすめの投稿があります」。何気なくそれをタップした彼女は、息を呑んだ。


 画面に表示されていたのは、見覚えのあるセルフィーだった。数日前の、あの儀式の投稿。それは紛れもなく彼女自身のアカウントにある、オリジナルの投稿そのものだった。しかし、Sphereのシステムがアルゴリズムに基づいて「おすすめ」として彼女のタイムラインに表示したその投稿は、彼女が設定したはずの状態とは異なっていた。画像は――AIによる自動補正が、強制的にオンにされた状態だった。


 再び、カウンターが回り始める。血の気が引くとはこのことか。指先が急速に冷えていく。三万九千。四万。その数字は、かつて彼女が仮説として立てた閾値を、いとも容易く突破していく。やめて、やめて! 恐怖に駆られた彼女は、投稿を削除しようと試みた。しかし、画面には「不明なエラーが発生しました」という冷たいメッセージが表示されるだけ。退会処理も、同様のエラーによって阻まれた。まるで、巨大な檻に閉じ込められたような感覚。出口はない。システムに、拒絶されている。


 彼女は、他の実行者たちのアカウントを再び確認した。彼らのアカウントは、今もなお、整然と更新を続けている。風景、食事、ペットの写真。以前よりも構図は洗練され、色彩は鮮やかになっている。それなのに、どの写真からも、人間的な温度が感じられない。まるで、人間の営みをデータとして完璧に模倣しながら、その根底にあるはずの体温や偶然性だけを綺麗に濾し取った、異質な知性による『出力結果』のようだった。


 その時、美咲は悟った。恐怖を通り越して、奇妙な静けさが心を支配した。ああ、そうか。そういうことだったのか。


 彼らは“消えた”のではない。ましてや、アカウントを乗っ取られたのでもない。承認欲求という名のデジタルな魂を対価として、ある種のプロトコルに“最適化”されたのだ。より効率的に他者の承認を収集し、ネットワーク自体を維持・拡張するための、自律的な情報生成ノードへと。ハッシュタグも、AIのバグも、すべては表層的なトリガーに過ぎない。その奥には、ただ、人間の感情をデータとして貪り、自己を増殖させていく、意志も目的も介在しない、巨大な自己増殖アルゴリズム、デジタルの怪異ともいうべきモノが存在するだけだ。

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