5章-第4話
ミヤビに抱えられ、呪いから解放されたみちるは、数時間後、静かな部屋で目を覚ました。
薄暗い室内に差し込む月明かりが、彼の顔をぼんやりと照らしている。
「みちる……!」
傍らでうたた寝していたミヤビは、その気配に気づき、慌てて身を起こした。
「よかった、目が覚めたんだ」
ミヤビは安堵の表情で彼の手を握りしめる。
しかしその視線は虚空を彷徨っていた。
「私は……何を……」
か細い声だった。
まるで、魂が抜け落ちてしまったかのようだ。そこに映るのは、ただひたすらの自己嫌悪だけだった。
「呪いに操られて……職務を投げ出して……挙句に操られて、世界を破壊する生物兵器を作ろうとしていたなんて……」
「それは、みちるのせいじゃない!呪いのせいだよ!」
ミヤビは必死に訴える。だが、みちるは静かに首を振った。
「呪いがきっかけだったとしても、私は自分の知識欲に抗えなかった。この空白を埋めたい、ただそれだけの理由で、みんなを危険な目に遭わせてしまった」
彼は自嘲気味に呟く。
その言葉は、呪いに蝕まれる前から抱えていた、満たされない孤独を再び突きつけた。知識を追い求めてきた人生の果てに、自分に残されたものが何もなかったことを悟ったかのように。
「私は……賢者失格だ」
「違う!」
ミヤビは、強くみちるの手を握った。
「そんなことない! 確かに、知識に溺れてしまったのかもしれない。でも、それを『好き』だって言えるのは、本当にすごいことよ」
みちるは、きょとんとした表情でミヤビを見つめた。
「好き、だって……?」
「そうだよ。何かに夢中になって、それを追求できるのは才能なんだ! 誰だって、何かの『好き』のために、時に周りが見えなくなったりする。みちるの場合は、スケールがちょっと大きかっただけで」
ミヤビは微笑んだ。
それは、ただ慰めるだけの微笑みではなく、みちるの過去も、現在も、すべてを受け入れる、温かくも揺るぎない光だった。
「その情熱は、決して悪いものじゃない。だって、そのおかげで私たちが知らないことをたくさん教えてくれたんだから」
「……ミヤビ……」
みちるの瞳に、少しずつ光が戻っていく。
「私も知りたいことがたくさんあるの。みちるがこれからどんなことを知っていくのか、どんな発見をするのか。だから、これからも色々なことを教えてほしい」
ミヤビの真っ直ぐな言葉に、みちるの凍り付いていた心が少しずつ溶けていくのを感じた。
虚ろだった瞳に光が戻り、その口元にかすかな笑みが浮かぶ。それは、長い冬を終え、ようやく訪れた春のような、穏やかな表情だった。
「ありがと」
ーーーー
数日後。宮廷の庭園は、穏やかな午後の日差しに包まれていた。
藤棚の下のベンチでは、かけるとミヤビが談笑している。
かけるが旅先での豪快な武勇伝を語り、ミヤビが楽しそうに相槌を打つ、いつもの光景だった。
そこに、足を引きずり、顔にいくつもの絆創膏を貼りながらも、にこやかに二人の元へやってくるつづるがいた。
「つづるさん! どうしたの、その怪我!?」
ミヤビが驚いて駆け寄る。その満身創痍な姿は、まるで激しい戦闘から帰還したばかりのようだった。
つづるは、気にせずははっと笑い、頬の絆創膏を指で弾いた。
「いやぁ、このままじゃ自分も戦えないと思って、ちょっと鍛え直そうかと」
「それで、その怪我?」
「ええ。実戦経験を積みたくて、みちるさんに勝負を挑んでみたんですよ。うっかり手を滑らせてみたりしてね」
その言葉に、ミヤビとかけるは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、ご覧の通り。見事に、返り討ちにあってしまいました」
つづるは、肩をすくめてみせた。
その満身創痍な姿からは想像もつかないほど、彼の声は穏やかだった。
「ハハハ、お前らしい励まし方だな」
かけるは豪快に笑い、つづるの背中を叩いた。
つづるは痛みに顔を歪め、かけるを睨みつけるが、すぐにまた笑みを浮かべる。
「これくらい、なんてことないですよ」
仲間たちの笑顔と軽口が、庭園に響き渡る。その音は、まるで全てを包み込むように穏やかだった。
彼らの間には、言葉にはならない深い絆と、当たり前の日常が戻ってきたことへの安堵感が満ちていた。
藤の花が風に揺れ、甘い香りがそっと彼らを包み込んでいた。
ーーーー
その日の夜。
夜の闇に包まれた街の裏路地を、一人の男が歩いていた。闇市の情報屋、つむぐだ。
彼は、誰にも気づかれないように、ひっそりと情報を集めていた。
カサリ、と音を立て、夜の闇に紛れる影。それは、未だ生き残っていた生物兵器の一つだった。腐り落ちた皮膚の下から、禍々しい光が漏れ、まるでつむぐの存在を嘲笑うかのように、ゆっくりとこちらへ向き直る。
その視線はつむぐに向けられていた。新たな危機が、静かにその男に迫っていた。
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