第3話:氷の夜襲

吹雪は、ただの自然現象ではなかった。それは、魔族が操る呪いの嵐だった。通常の吹雪とは異なり、その風はまるで鋭利な刃物のように肌を切り裂き、空気はすべての音を吸収し、不気味な静寂を創り出していた。


ルガートは、その夜の空気が、いつもとは違うことを肌で感じ取っていた。空気の冷たさだけではない。どこか不協和音のような、奇妙な静けさが混じっている。ブリザードの唸り声が、まるで遠い場所で響く嘆きの声のように聞こえた。それは、かつて魔族の術士が用いた、心を乱すための魔術だと、ルガートは経験的に知っていた。


「将軍、外の巡回兵との連絡が途絶しました。伝令兵を送りましたが、戻ってきません」


伝令兵が、焦りを滲ませた声で報告する。ルガートは、その言葉を聞くや否や、すぐに副官のレンに指示を出した。


「全兵士に非常配備を告げろ。魔族が来る」


レンはルガートの言葉に一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐにその意味を理解した。そして、躊躇なく、伝令兵を走らせた。


ルガートは、自らも剣を手に取り、最も外壁に近い見張り台へと向かう。外の状況は、吹雪によってほとんど見えない。だが、彼は知っていた。魔族の精鋭、特に暗殺を得意とする部隊は、この吹雪の中を、音もなく移動する術を持っていることを。彼らは、氷を操り、石壁をすり抜け、砦の内部に直接侵入してくる。それは、ルガートにとって、長年の戦いで培った、決して外れることのない確信だった。


ギィン!


見張り台の扉を叩く、金属が擦れ合うような奇妙な音が響く。ルガートは、それが剣と剣がぶつかり合う音ではないことを瞬時に察した。それは、何かが氷を削り、石壁を引っかくような、嫌な響きだった。その音は、まるで無数の爪が、獲物の喉笛に迫るかのようだった。


ドォン!


次の瞬間、見張り台の扉が内側から吹き飛ばされ、魔族の暗殺者たちが姿を現した。彼らは漆黒の鎧を身につけ、その体はブリザードと一体化しているかのようだった。その目は、闇夜に光る蛍のように、冷たく光っている。


「副官!」


ルガートは叫ぶ。だが、すでに遅かった。暗殺者の一人が、レンの首筋に短剣を突き立てていた。レンは驚愕の表情のまま、その場に崩れ落ちる。


「レン!」


ルガートは叫び、剣を抜いた。その剣は、魔族の暗殺者たちに向かって、氷を砕くように振り下ろされた。


キィン! キィン! ドガァン!


ルガートの剣戟は、暗殺者たちの短剣をはじき、鎧を砕いた。だが、彼らは一人ではない。次々と現れる暗殺者たち。ルガートは、一人で複数の敵を相手に、冷静かつ正確に剣を振るう。


ザシュッ!


ルガートの剣が、一体の暗殺者の喉を切り裂く。だが、その直後、別の暗殺者が彼の背後から現れた。


グシャッ!


鈍い音が響き、ルガートの背中を、何かが深く抉った。痛みが、脳を焼く。だが、彼はその痛みに耐え、後ろに回り込んだ暗殺者の頭を、剣の柄で打ち砕いた。血の匂いが、凍てついた空気に広がっていく。それは、この戦場において、勝利の予兆ではなく、ただの絶望の香りだった。


「くそっ……」


ルガートは、深手を負いながらも、必死に剣を振るい続けた。彼の周りには、すでに複数の魔族の死体が転がっている。しかし、新たな敵が、次々と吹雪の中から現れる。彼らの数は、まるで無限であるかのようだった。


「将軍、ご無事ですか!」


レンが、傷ついた体を引きずりながら、ルガートの元へと駆け寄ってきた。彼はまだ生きていた。首筋の傷は浅かったが、それでも出血は止まらない。


「レン、砦の内側に侵入された。第二防衛線へ退避しろ。私が、ここで食い止める!」


ルガートは、傷ついた体で、再び敵に立ち向かう。だが、その眼前に立ちはだかったのは、一人の男だった。


彼は、他の暗殺者たちとは一線を画していた。その目は、獲物を狩る獣のようであり、その手には、不気味な光を放つ魔剣が握られている。その男の背後には、さらに数体の魔族が控えている。彼らは、ルガートを完全に包囲しようと、ゆっくりと歩を進めていた。


「北方の将軍か。名は聞いている。しかし、ここでお前も終わりだ」


男は、冷たい声でそう言い放った。ルガートは、その男が、魔族の精鋭の中でも、特に危険な存在であることを直感的に理解した。その男の魔力は、この吹雪を操る呪いの源泉であるかのようだった。


ガァァン!


ルガートの剣と、男の魔剣が激しくぶつかり合う。火花が散り、氷が砕け散る。


「くっ……!」


ルガートは、魔剣の重さと、男の圧倒的な力に、思わず膝をついた。その隙を突き、男はルガートに止めを刺そうと、魔剣を振り上げる。


その瞬間、ルガートの脳裏に、故郷の家族の顔が浮かんだ。それは、彼が守りたかった、ただ一つの光だった。


「王都は…落ちぬ…」


ルガートは、最後の力を振り絞り、男の攻撃をなんとかいなした。そして、叫んだ。


「レン! 逃げろ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る