裏の裏
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。
「F警察署」
において、今から約3か月前に行方不明になった刑事がいた。
名前を、
「清水刑事」
というのだが、彼が行方不明になったのは、休暇を取っている時だった。
彼は一人暮らしだということもあって、プライベートでは、ほとんど彼が何をしているのか知っている人は少なかった。ただ、趣味として、
「釣りに行くのが好きだった」
という話から、捜索は、釣りに行きそうなところを中心に行われた。
捜査は、最初極秘裏に行われた。その理由は、
「何かの事件に巻き込まれたとすれば、へたに騒いで、犯人たちを刺激するのは危ない」
ということからであったが、3か月経っても、まったく消息がつかめないことから、公開捜査に踏み切った。
といっても、マスゴミに流すようなことはせず、警察署や、交番に、
「行方不明者を探している」
という程度のことを書いての、捜索ということであった。
だから、
「静かな捜索」
ということであったが、そのせいか、公開捜査といっても、情報は一切入ってこなかった。
警察署の方としても、
「このまま行方不明ということのままではまずい」
ということは分かっている。
「いくら警察内の同僚に何かがあったかも知れない」
ということであっても、警察がいくら、
「忘れてはいけない」
といっても、毎日、新しい事件がどんどん起こっているのだから、結果、
「いつしか、過去のこと」
と言われるようになっても、それは無理もないことであろう。
行方不明とされた清水刑事が、その頃扱っていた事件というのは、基本的には、一段落していた。
ちょうど、殺人事件を扱っていたのだが、その事件は、清水刑事の先輩で、
「推理の鋭さ」
という意味で定評のある、秋元刑事が鋭い推理を犯人に指摘したことで、
「観念しました」
とばかりに、素直に供述を始めた。
秋元刑事は、まず、物証を集めて、そこから考えられる状況証拠を組み立てる。しかし、そこで組み立てた状況証拠から推理するのだが、そこに少しでも矛盾があれば、今度は逆から考える。そして、
「裏表のどちらに矛盾がないか?」
と考えたとことで、矛盾のない方を、
「推理の結果」
として考えるのであった。
秋元刑事の考え方は、
「事件には裏と表が存在する。逆に言えば、裏と表しか存在しない」
ということになる。
「だから、必ず、裏か表に真実が潜んでいる」
という考え方なのだ。
実際に、その考え方で、様々な事件を解決してきた。
人によっては、
「秋元刑事は、勘で推理をする刑事だ」
と言われているが、実際にはそうではない。
緻密な計算の元に推理は組み立てるので、それを、
「勘だ」
という人は、秋元刑事の事件に対してのとっかかりの部分しか見ていないからだといえるだろう。
ただ、中途半端にしか秋元刑事を知らない人は、どうしても、そう感じてしまうのは無理もないことで、行方不明の清水刑事も最初は、
「なんだ? あんな刑事がいていいのだろうか?」
と思っていたが、一緒に捜査をしたりする中で、すっかり、傾倒してしまったということだったのだ。
まわりの人からは、
「秋元刑事に弟子ができた」
と言われるほどになっていたのだ。
そんな清水刑事が、行方不明になった。
ただ、
「行方不明と、失踪とは何が違うんだ?」
と考えることがあった。
これは、言葉のニュアンスと実際の使われ方とでは若干の違いがある。
「失踪者」
というと、どこか、仰々しい雰囲気があるが、実際には、
「事故や事件に巻き込まれた」
という部分を含んでいるとしても、そこは、少し軽い意味ということでとられられるだろう。
しかし、行方不明者というのは、
「事故や事件に巻き込まれた」
という可能性が高いという時に使われるもののようだ。
どちらも、
「どこにいるか分からず、安否不明」
ということに変わりはないといってもいいだろう。
警察内では、
「行方不明」
という言い方をしているのは、やはり、失踪者が警察官ということもあり、
「事故や事件に巻き込まれた」
というのが、大きいと思っているからだろう。
そういう意味で、捜査の初期から、
「清水刑事の関係した事件で、清水刑事を恨んでいる人間」
ということでピックアップが行われたが、もちろん、凶悪事件も中にはあり、それらの人々を調べてみたが、
「ほとんどは、まだ服役中」
ということで、
「完璧なアリバイ」
があったのだ。
だからといって、
「事故や事件に巻き込まれた」
という可能性がなくなったわけではない。
「事件に限らず、ましてや事故ともなると、いつ起こっても不思議がないものだ」
ということで、逆に、捜査が降り出しに戻った気がしたが、少なくとも、
「逆恨みによる犯行」
ということではなさそうなので、可能性としては、
「清水刑事が、自らの意思で姿をくらました」
といえるだろう。
もし、そうであれば、別の意味での不安が出てくるのだ。
それが、
「自殺をしたのではないか?」
ということになり、もし、自殺だということになれば、その動機は重要になってくる。
なんといっても、
「現職刑事の自殺」
ということは、
「過去の自分の関わった事件に関係があるのか?」
あるいは
「現在進行形の事件で何かあるのか?」
ということである。
どちらにしても、
「やはり、事件は裏表があるのではないか?」
ということで、皮肉にも、清水刑事が普段から信仰している考え方に当てはまるといえるのではないだろうぁ?
それを考えると、
「今回の事件において、秋元刑事は、冷静ではいられないだろう」
ということは想像がつく。
普段から、
「自分の推理は冷静にならないと生まれない」
ということで、秋元刑事は、
「いつも冷静沈着だ」
ということであった。
今回も、見た目はポーカーフェイスだが、見ているかぎり、
「うちに秘めている感情が見え隠れしているか」
のようで、上司も、少し秋元刑事を気にしているようだった。
「勝手に暴走するような男ではないが、普段から、何を考えているか分からないところがあるので、こういう時は、目を離せない」
と思うのだった。
それでも、失踪から三か月が経ってくると、さすがに、清水刑事の失踪ばかりにかかってはいられない。いろいろな事件は、毎日のように発生しているので、刑事課はそれなりに忙しいのだった。
ただ、少なくとも、
「何かの事件にまきこまれた」
という意識が刑事課の中で強くなってきているからか、誰もが、緊張感をもって捜査に当たっているのであった、
清水刑事という人は、今年で35歳になっていたのだが、彼は、一つの事件を気にしているということを知っている人は、ごく一部だった。
秋元刑事もその一人で、だから、
「清水刑事は、何かの事件にまきこまれた可能性が高い」
ということで、捜索をしているのであった。
何も知らない刑事たちは、
「何もそんなに必死にならなくても」
と、思っていた、
さすがに、失踪から三か月が経ってしまうと、事件に関しての感覚には、温度差のようなものが現れてきた。
ただ一つ気になることとして、これは別に、
「清水刑事の失踪」
と無理やり結びつけるということは無理があるのだろうが、
「何か、起こっている事件に共通点がある」
という漠然とした意識を持っている刑事が一定数いるということであった。
それを口にする人は、そんなにいなかったのだが、それは、
「口にするほどの信憑性はなく、あくまでも、漠然とした感覚だ」
と思っているからで、しかも、
「誰も触れようとしない」
ということで、
「自分の思い過ごしかも知れない」
と、自分たちで気にしているくせに、その反面否定しようというのだ。
それこそ、
「プラスとマイナスを足すことで、限りなくゼロに近づいている」
という感覚であった。
「世の中って、何か、曖昧なものほど、本当は気にしないといけないものなのかも知れないな」
とお互いに感じていた。
「今年の事件の漠然とした共通点」
というのは、捕まった犯人たちが、口をそろえるかのように、
「別に、犯罪を犯す気はなかった」
ということであった。
さすがに最初にそれを聞いた刑事は、いら立ちから、
「だったら、犯罪なんてばかなことをしなければいいじゃないか」
と叫んでいたが、要するに、
「やった犯罪の割には、動機が薄い」
ということで、中には、
「動機というのは、あまりにも薄い」
と思えるほどで、
「どうして、そんな意識で人殺しなんか平気でできるんだ?」
という気持ちだった。
そのうちに、
「無意識のうちに殺していた」
という供述をする人も出てきた。
しかし、動機もはっきりしていて、物証もあるのだから、
「事件としては、これほどはっきりとしたことはない」
ということになる。
だから、犯人もおとなしく捕まったのだが、その取り調べにおいて、捕まった時の潔さというものが、まったくないといってもいいだろう。
そんな犯人が結構いたのだ。
だからといって、犯行は認めている。それは、あくまでも、
「動機がはっきりしている」
ということで、
「今更抗ったとしても同じことだ」
と思っているのだろう。
起訴されることに関して別に問題もなく、裁判においても、
「罪状認否」
というものをひっくり返そうという意思はまったくなかった。
弁護側のやり方として、
「自供したのは、警察から供されて:
ということで、そもそもの、起訴事実を否定しようとする弁護士もいる。
もちろん、弁護士というのは、
「依頼人の自由塗材あsンを守るのが仕事」
ということなので、それくらいのテクニックはするだろう。
しかし、検察側からすれば、
「刑事が正当な操作方法で調べてきたことをもとに起訴した」
ということであるから、
「勧善懲悪」
という気持ちが強く、
「犯人だ」
ということで思い込んでいる被告に対して、
「いかに罪の重さを認識させ、正当な罰を受けさせるか?」
ということが仕事である。
そういう意味では、
「弁護士も検察も、それぞれに、事件の真実というものを知りたい」
ということに変わりはない。
ただ。問題は、
「事実と真実の違い」
ということである。
時々、刑事ドラマやアニメなどで、
「真実は一つ」
などと言われていることがあるが、
「それは本当のことなのだろうか?」
真実というものを、事実と混同して考えると、
「真実は一つ」
だなどということになるのだろう。
「そもそも、真実というものは、たくさんある事実を結びつけたものだ」
ということであり、
「スタートとゴールが決まっていて、その途中の過程が分かっていないという場合に、事実という一つしかないものが並んでいるとして、その道筋も必ず一つしかないものだ」
ということがいえるだろうか?
ということであった。
というのは、
「真実が一つしかない」
というのであれば、
「事実を積み重ねていくだけで、そこから見えてくるものが真実でしかない」
ということで、何も、裁判で、
「真実の究明など必要はない」
ということだ。
だから、へたをすると、
「情状酌量」
などという考えはありえないということになり、
「裁判というのは、すべてが簡略され、今の簡易裁判のように、簡単に量刑が決まる」
ということになるであろう。
それを考えると、
「殺人事件」
というものも、
「窃盗」
という事件も、すべて、その罪状だけで刑罰も決まってしまい、法律にある、
「いくら以上の罰金、または、何年以上の懲役」
などということもなくなり、以上という言葉がいえることになるだろう。
そして、情状酌量がないということで、
「執行猶予」
というのもなくなるかも知れない。
実際に、
「執行猶予中に犯罪を犯す」
という人もいるわけなので、中には今でも、
「執行猶予などない方がいい」
と考える人もいて不思議のないことである。
中には、
「罪を逃れたい」
という一心で、弁護士にまで嘘をついて、結局、
「弁護のしようがない」
ということで、弁護士を降りられるということだってあるのだ。
弁護士は、必ず、
「真実を話してください」
と最初にいうはずだ。
それに従って動けばいいものを、
「少しでも刑を逃れたい」
という思いがあることで、一番大切な信頼関係がなくなってしまうということで、
「弁護士とすれば、これほど嫌な気分になることはない」
ということである。
検察側も、それなりに、自信をもって犯人を起訴した。少なくとも、
「公判を維持できない」
ということであれば、
「起訴に値しない」
ということから、期限が来るか、その前に、
「証拠不自由分」
ということで、その場は釈放しなければいけなくなる。
しかし、真実が分かったわけではないので、警察の捜査は引き続き行われるが、そのために、事件はどんどん長期化してしまうことだろう。
裁判に入れば、
「判決までに、何年もかかる」
ということは少なくもなく、
「今回の事件も、きっと長引く」
と理解しなければいけない。
弁護士側の作戦として、時と場合によっては、
「裁判を長引かせる」
ということもありえないわけではないからだ。
それだけ、
「法廷テクニックを駆使して、依頼人の財産と自由を守る」
ということに徹しているのが、弁護士だということである。
しかし、
「真実は一つしかない」
ということがもし、証明されれば、それこそ、
「いかなる犯罪も、簡易裁判で終わる」
という時代が来るかも知れない。
実際に、小説などで、
「近未来」
の話などがあった時、よく、時代の変革の例として、
「裁判は簡素化され、起訴されたから判決が出るまで、最長でも一か月」
という時代が来るということが言われていた。
それだけ、昔から、
「裁判には、金と時間が掛かる」
ということで、さらには、
「当事者の精神的な苦痛がずっと続く」
ということで、問題視されていたのではないだろうか?
それを考えると、
「簡易裁判というものも、仕方がない」
ということで、近未来の話の例として、言われるということもありなのだろうと思うのであった。
実際に、犯罪捜査というものが、
「税金を使ってのことだ」
ということも事実だ。
確かに、真実を見つけるためには、できるだけ克明に調べ、裁判を顕著に進めていくのが当たり前だというのだろうが、実際に、時間や金を掛けて、
「どこまで真実に近づけたのか?」
と考えると。
「簡易裁判かもやむなし」
と考える人も少なくはないだろう。
実は、この、
「簡易裁判という考え方」
というのは、行方不明の清水刑事も頭の中にあった。
彼が、秋元刑事のような、
「勘に頼る推理」
というものを推奨するのも、この、
「簡易裁判」
というものを実現できる世界を作りたいという考え方が根底にあった。
「簡易裁判を行うためには、いろいろな部署のレベルアップが必要であり、それは警察も例外ではない」
ということだ。
そのためには、
「推理を組み立てるための、刑事の勘というものが養われることで、犯人逮捕までのスピードと、実際に物証を見つけるうえでも、目の付け所が分かってくる」
ということで、
「刑事としてのレベルアップにつながる」
と思っている。
「刑事にレベルアップがなければ、捜査員はそれこそ、AIやロボットにとって代わられ、刑事という仕事がなくなってしまう」
ということになる。
簡易裁判などということに関しては、興味をもって見ているが、
「捜査まで、機械的に、血の通わないロボットやAIにされてしまうというのは、相当に抵抗がある」
ということになるのだ。。
「そうなってしまえば、世も末だ」
と考えるのだった。
実際に、
「真実は一つ」
などということを、刑事ドラマやアニメなどで言っているのは、あくまでも、
「決め台詞」
ということで、
「それ以上でも、それ以下でもない」
ということなのだろうが、実際にそれを真剣に考えている方は、
「たまったものではない」
と思っているに違いない。
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