第25話 墓参り

 銀星の傷が癒え、里の様子も落ち着いた頃、雷傅がりんの父である徳川清光の墓へと連れて行ってくれた。


「父の遺骨は天狗の里で供養してくださっていたんですね」

「勝手なことをして申し訳ない。だがあの時は、清光殿をそのままにすることはできなかった」


 銀星と同じ金の瞳が、当時を思い苦渋に満ちる。その様子に、りんは雷傅の後悔がどれほど深く、当時の状況が如何に厳しかったかを感じ取った。


 その上で、出来うる限りの配慮をしてくれた優しさに胸が温かくなった。


「申し訳ないなんて、寧ろ感謝しております。雷……義父上様が父を引き取ってくださらなかったら、きっと死してなお不名誉な屈辱が与えられていたと思います。本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げたりんに雷傅がほっと安堵の表情を浮かべた。


 銀星と共に、墓に手を合わせる。

 御影石の墓石には、『命を賭けて護りし者』とだけ刻まれていた。


 命を賭けて護ってくれたのよね。

 私のことを……


 思いが溢れぶわりと涙がこぼれ落ちた。

 

「お父さん……お父さん……ありがとう」


 泣き崩れるりんを、銀星が支える。

 後ろで紫姫も、そっと涙を拭っていた。


 感情の波が収まったところで、りんがぽつりと呟いた。


「母さんも一緒にしてあげたい」

「お、それいいな。な、親父殿、かまわないよな」


 素早く銀星が掬い上げ、雷傅に繋げる。


「ああ、勿論だ。おけい殿も喜ぶだろう」



 帰りの道すがら。

 りんと銀星、雷傅と紫姫がそれぞれ肩を並べて歩いていた。

 つい数日前には大きな戦闘が迫っていた事など、微塵も感じさせないくらい、穏やかで清らかな空気。


 冬枯れの木々は寒さに身を硬くしていても、陽の光に照らされて、密かに春の息吹を育てている。


「あ、南天の実がこんなに色付いて、綺麗」


 無邪気な声をあげるりんを、後ろから見つめる雷傅の眼差しが丸みを帯び、口元が緩んでいく。


 義父上と呼ばれたことが余程嬉しかったのでしょうと、並び歩く紫姫は心の内でくすりと笑いながら見ていた。



 夜の内にこっそりと、籠に揺られて空の旅に出た。物見ものみの隙間から時折銀星が顔を見せる。


「おりん、寒くねぇか」

「私は大丈夫。それより、銀さんと籠を担ぐ皆さんの方が寒いでしょう」

「なぁに、天狗一族は丈夫な作りをしているからな。これくらい朝飯前だって」

「うふふ、そうみたいだね」

 

 銀星の言葉通り、夜明けよりだいぶ前にりんの長屋へと帰り着いていた。静かに部屋に戻り火を灯せば、狭くて貧しくても、懐かしい我が家の匂いがする。

 

「みんなびっくりするかな」

「そりゃ、おりんが突然居なくなって突然帰ってきたとなりゃ、驚くだろうさ」

「どうしよう」

「そのための土産袖の下だからな」


 銀星が指さした先には、里の温泉水で作った饅頭を詰めた折詰。


「俺の親が病で、慌てて夫婦の挨拶に行ったと言えば深くは問われねぇよ」

「だといいんだけど」


 姦し女房連中を侮ってはいけないと、りんは伝えるべき口上を反芻していた。


「明るくなるまでには、まだ間がある。少し休まねぇか」


 そそくさとせんべい布団をひいて寝転んだ銀星が、ぽんぽんと胸元の布団を叩く。

 もじもじと恥じらいながら収まったりんを見て、ついつい顔がふやけた。


 初いやつ……


 その余裕が一気に吹き飛ばされた。


「銀さん、あったかい」


 ぴとりと胸に手を当てられ、むにゅむにゅすりすりと頬や頭を擦り付けられる。


「お、おいっ」


 無自覚に煽りやがって。


 慌てて身を引き覗き込めば、すやすやと安らかな寝息をたてていた。


「くっ……」


 その寝顔が愛しくて、邪魔したくなくて。


「そりゃ、疲れたろうな」


 鬼との大立ち回りに慣れない里での生活、夜を徹しての旅。

 母親と過ごした我が家は、彼女にとって何処よりも安らげる場のはず。


 起こさないように布団を引き上げ、しばらく眺めてから……銀星も夢の中へ身を委ねた。



「おりーん、ぼてふり来てるぞー」


 どんどんと木戸が叩かれ、元気な子ども達の声がした。

 びっくりして飛び起きたりんと銀星は、しばらくぼうっと辺りを見回してから、昨夜のことを思い出した。


 そうだったわ、長屋へ帰って来たんだった。


 慌てて身支度を整えて外に出れば、子ども達の勝ち誇った声。


「ほら、やっぱり帰って来ていただろ」

「おりん、早くしねぇとぼてふり行っちまうぞ」


「みんな、教えてくれてありがとう」


 後ろから顔を出した銀星を見て、歓声が大きくなる。


「「「あ、銀ちゃんもいる!」」」


 一斉に遊びの誘いが入った。


「おう、いいぜ。朝飯食ったらな」


 饅頭を配りながら理由わけを話して歩く。

 井戸端の女房連中からは、「水臭いよ」と叱られ、「大変だったね」と労われ、「おかえり」と抱きしめられた。


 これでお別れとは言い出せず、皆の温かさに涙が零れそうになった。


「そう言えば、大丸屋の若旦那が心配して訪ねてきたよ。早目に顔出しといた方がいいよ」


 ぎくりとしたのは銀星の方。


 やべぇ、どう言い訳するか……


 別に騙すつもりは無かったし、当時は本気でおりんを預けたいと必死だっただけ。それでも、こうなってしまった。申し訳無いとは思うものの、謝るのもまた何かが違う気がする。


 わしゃわしゃと納豆ご飯をかきこみながら考えた。


「銀さん、なんか心ここにあらずって感じだけど、どうしたの?」


 目聡めざとくりんに見破られてしまう。


「あー、若旦那に礼を言わねぇとな」

「そう言えば、銀さんが若旦那様に私のことを頼んでくれていたんだよね。ありがとう」

「だ、誰から聞いたんだよ」

「若旦那様」


 あんの野郎、どこまでいいやつなんだよ!


 後ろめたさが倍増した。


 しじみ汁を手に取れば、馥郁ふくいくたる磯の香りが鼻腔に広がる。

 湯気の向こうで微笑むりんを見て和む心。身のしまった貝の味に舌鼓みを打てば、今が至福の時と確信した。


 若旦那……おりんをられて辛いだろう。

 俺なら耐えられねぇけど……あいつはきっと、おりんの前では何でも無いような顔をするんだろうな。


 目の前のおりんは、若旦那の気持ち恋心にこれっぽっちも気づいてねぇし。


 大店という看板を背負い己の心に蓋し続けている男に、心の底からの憐れみと尊敬の念を抱いたのだった。

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