第23話 三度会えたら

 銀星の胸から、再び血が流れ始めた。細く緩やかな流れではあるが、りんの手をみるみる赤く染めていく。


 私の霊力、上手く銀星さんに送れてない気がする……


 俄仕立にわかじたての花嫁は、霊力の流し方も自分の役割も良く分かっていなかった。頼みの綱のゆかり姫も意識が無い状態では、ただ手を当て祈ることしかできない。


 どうしたらいいのかしら。


 不意に思い出した―――


 幼い頃のこと、銀星が肩を腫らして現れた時があった。

 剣術の稽古で避け損なったのだと悔しそうに顔を顰めている。

 服の切れ目から赤黒く腫れた肌が見え隠れして、りんの方が泣きたくなった。

 だから、必死に唱えた。


『痛いの痛いの飛んでいけっ、痛いの痛いの飛んでいけっ』


『なんだそれ!?』


 ぽかんとした銀星。


『だって、銀星痛いでしょ。痛いの嫌でしょ』

『これくらい平気だよ』

『平気じゃないよ』

『まあ、おりんはそうだろうけど、俺は慣れてるから』


 その言葉に絶句したりんは、堪えきれなくなってわんわん泣き出した。

 ぎょっとした銀星。


『えっ! どうしたんだ、りん。お前もどこか痛いのか?』

『うん、ここが痛い……』


 手で押さえたのは自分の胸と銀星の胸。


『りん……』


 銀星の顔がくしゃりと歪んだ。両の目が光を増したが、零れ落ちることは無かった。食いしばった唇をゆっくりと緩めると、


『もう、痛いの飛んでったよ。りんの呪いまじないが効いたから』

『本当!?』

『ああ、本当さ』


 その言葉に、にぱぁっと笑みが弾けたりんを見て、銀星もにかっと笑った。


『ありがとな』 



 頭をわしゃわしゃと撫でてくれて、嬉しかったのよね。


 大人になって、すっかり大きくなった銀星の手。ぎゅっと両の手で包み込んで、あの時みたいに唱えてみる。


「痛いの痛いの飛んでいけっ」


 一瞬、血の流れが止まったように見えた。


 これ、効くのかな?


「痛いの痛いの飛んで」


 言いかけたところで事態が急変した。


 銀星の体が暴れ出した。びくりびくりと大きくしなり、その度あちこちから血が噴き出した。


 どうしよう!?


 頭が真っ白になったりんは、悲鳴も上げられずに震えるばかり。

 斬鉄たちが駆け寄り、必死で止血するも全く追いつかない勢いで赤く染まっていった。


 このままじゃ、銀星さんが死んじゃう。

 どうしたらいいの?


 半泣きのまま叫ぶ。


「嫌よ。銀星さん死んじゃ嫌っ」


 頭より先に身体が動いていた。

 

 ありったけ、私の全部を使って、銀星さんの傷口を覆って血を止めないと……

 足りない、足りない。

 間に合わない!


 ぎゅっと銀星に抱きついた。


 お願い! 止まって。


 がくがくと波打ち、ぶるぶると痙攣する銀星の身体に掴まっているだけでも至難の技だった。


 げほっげほっげほっ……


 おりんも一緒に朱を浴びる。

 悶えながら血を吐く姿に、幼い日の銀星の痩せ我慢が重なった。


 お願い。逃げて!

 逃げていいんだよ……

 我慢しなくていいの。


 泣きながら口づけた。


 ……甘い……

 

 この感覚、私知っているわ。

 いつ? どこで? 


 誰かと一緒に……味わった。

 

 甘くて、甘くて、狂おしいほど愛しい時間を過ごした記憶が―――


 おりん!


 柔らかな声がりんを包み込んだ。

 銀星の顔に、もう一人の面影が重なる。


 銀さん……


 とろりと熱持つ瞳が蘇る。


 おりん……


 この唇が、私を呼んだ。

 この唇が、私を撫でた。

 この唇が……私を慈しんでくれたんだわ。


 数多の記憶が一気に蘇ってきた。


 銀治と過ごしたかけがえのない時が、きらきらと光を放ち始める。


 そうだったのね。

 銀星さんは銀治さんで、私はどちらの銀さんも大好きだった。


 おりんの胸に、愛おしさが膨れ上がる。

 溢れても溢れても枯れることのない想い。


 その瞬間、意識がぐわっっと引っ張られた。銀星の身体に霊力もろとも飛び込んだ。




 真っ暗闇。

 気づけば辺りは漆黒に包まれていた。


 ここはどこかしら?


 今までの人生で感じたことがないほどの悪意、邪気がぞわぞわと肌を這い上がる。


「銀さん」 


 小さくその名を呼んでみるも、応える声は無し。


 怖くて心細くて、りんは思わず紅島瑪瑙の玉簪を握り締めた。


 銀さんがくれた玉簪。


 あの時のりんは、この世で一番の幸せ者だった。

 並んで歩いた江戸の町、共に食した寿司の味。その一つ一つが、りんにとっては宝物。

 思い出すだけで、胸がほわりと温かくなる。


 あっ、そういうことね。


 りんは独り言て微笑んだ。


 私は光を持っている。銀さんがくれた光を灯していけば、怖くなんかないわ。


 ふうぅっと息を鎮めると、真っ直ぐに前を向いた。と言っても、どっちが上か下かも分からないが、良く目を凝らせば微かな残滓が視えてきた。


 これを辿っていけば、きっと銀さんに会えるはず。


 玉簪に祈った。


 次の瞬間、目の前に炎が迫っていた。

 轟々ぱちぱちと音を立て渦巻く真ん中に、銀星と鬼が抱き締めあっている。


 火の粉は、りんの心にも火を付けた。


『銀さん!』

 

 嫌よ。銀さんを取られたくない。


 めらめらと燃え上がる嫉妬の炎が、りんを焼き尽くしていく。

 簪の向きを変え握りしめると、一気に二人の間へと飛び込んだ。


 あんたになんか、銀さんを渡さないっ。

 

 目指すは鬼の心の臓。

 花嫁衣装も、彼の者の肉体もすり抜けて、その目に捉えたのはどくどくと波打つ肉塊。


 容赦なく簪の柄を振り下ろす。


 ふるふるっ


 鬼の心臓が震えていた。それは何処か既視感のある動きだった。


 これって……私と同じ。


 銀さんを見上げた時、銀さんに抱きしめられた時、どきどきと高鳴る鼓動。


 好き―――


 そっか。この鬼は心の底から銀さんが好きなんだ。


 ふと我に帰れば、自分の顔の方が般若と化していたことに気づく。

 振り上げた簪を下ろした。


「おりん! 何故ここに? いや、それよりここは危険だ。帰れっ」


 炎を緩めた銀星が、目を見開きりんを見る。さっと腕を掴むと鬼の視界から己が背へ隠した。


「ううん、帰らない」

「駄目だ。お前を失いたくねぇんだ」

「私だって、銀さんを死なせたくない」

「銀さんって……もしかして俺のこと」

「記憶、ぜーんぶ戻ったよ」


 朗らかな笑みを見せると、りんは銀星の前へと躍り出た。


 わなわなと震える鬼に真正面から向き合う。


「鬼さん、あなた、銀さんが好きなのね」

「なっ!?」


 極みの鬼が憤怒の表情でりんの心臓を突き刺した。


「おりん!」


 銀星の悲鳴を背に、りんは極みの鬼へ微笑みかける。


「効かないわよ。あなたの攻撃なんて、私には意味ないの。だって、私は光を持っているから」

「おのれっ」


 首を締めてきた鬼の懐へ敢えて入り込むと、指先を心の臓へと伸ばした。


「ぎゃあっ!?」


 驚き、後退る鬼に張り付いて、脈打つ臓器をぐっと握りしめた。


 どくんどくん


 激しい鼓動が指先を伝う。


「ふっ……ははははは」 


 鬼が不気味な笑いを響かせた。


「潰せっ。そのまま我が心の臓を潰せばよい」

「ううん、そんなことしないわ」

「何故だ」

「だって、そんなことしても意味ないから」


 そう言いながら、りんは鋭い眼差しを放った。


「あなたより、私の方が嫉妬深いの。銀さんは絶対渡さない。あなたのお陰で、報われない恋の辛さは嫌というほど味わったから……」


 江戸で銀治と過ごした日々を思い出す。

 幸せで楽しい想いと同じだけの、不安で苦しい片恋と別れの悲しみが詰まっていた。


 ぽろりと零れたりんの涙を見て、鬼が一瞬たじろいだ。


「あなたも泣いていいんだよ」


 壊れ物を扱うように大切に、鬼の心臓を両手で抱き締めた。

 りんから光が溢れ出す。


「お前はいったい何を」


 その言葉は途中で切れた。


 どくどく どくんどくん

 とくとくとく とくとく……


 暴れまくっていた心臓が、少しずつ静かに、穏やかになっていく。


 いつの間にか鬼の身体も小さくなって、まだ角も生えきらぬ幼子が、しくしくと泣いていた。


「頑張ったね」


 りんの言葉に頷くと、淡く淡くなって……


 空へ溶けて消えていった。


 

 

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