第9話 玉簪

 並んでみて気づいた。りんは銀星の肩にも満たない背丈だということを。


 吹けば飛ぶくらい、細っこくて小さいんだな。

 それなのに、見知らぬ俺を助けてくれた。勇気があって、芯の強い女だ!


 一緒に歩くのが嬉しくて、こそばゆくて。

 人混みの中ではぐれないように、密かに腕を伸ばし守りながら歩く。


 すれ違いざまにりんを見つめる野郎の目は、気迫で撃退しておいた。


「銀さん、見てみて」 


 食料品や日用品、酒や装飾品。

 立ち並ぶ屋台を覗きながらゆっくりと進む。商売上手な連中が、旦那、御内儀さんと呼んで色々勧めてくるのも気分が良かった。


 懐具合を考えれば散財はできない。

 けれど銀星には、どうしても贈りたい物があった。

 

「なあ、おりん。どれがいい?」

「……銀さん、これって」


 簪屋の前で足を止め、りんに尋ねた。


 簪を贈ること。

 それは夫婦の契を結んだ証。


 うるうると輝き出した瞳から、今にも雫が零れ落ちそうなりん。


「いいの?」

「俺が、おりんにあげたいんだ」


 その言葉に、ぽろりと頬を伝い落ちた。


 どこにも行かないって。

 ずっと私のそばにいてくれるって、銀さんが思い定めてくれたのかはわからない。

 不安で拗ねた私をあやすためにくれるだけかもしれない。


 それでも、嬉しい―――


「銀さん、選んで。銀さんが選んでくれたのがいい」

「そうか」


 女物の流行り廃れはわからないから、ただひたすらに。りんを想いりんを守りたいと願いながら選ぶ。

 心の琴線に触れた品を手に取れば、りんの眼差しに熱が宿るのを感じた。


 紅縞瑪瑙べにじまめのう玉簪たまかんざし

 古くから夫婦や恋人達の絆を深め、良くない縁から守ってくれると言われている。


「流石ですね。お目が高い」


 店主の世辞は受け流し、りんに問う。


「どうかな?」

「素敵……」


 胸がいっぱいな様子に、愛おしい気持ちが隠せなくなる。さっさと支払いを済ませて、りんの髪へ差し入れた。


「どう? 似合う?」

「よく似合ってるよ」


 花びらが綻ぶように柔らかに広がる笑みが美しかった。


 嬉しそうに何度も簪に手をやりながら歩くりんを見ているだけで、銀星の心も弾む。


「ねぇ、銀さん。ここまで来て江戸前の寿司を食べないのは勿体ないと思うの」

「寿司か。確かに」

「顔見知りのお店があるから、行こう」

「おう、わかった」



 背が高い銀星の着流し姿は、江戸の往来で頭一つ抜きんでて見栄え良く、ほのかに色気も漏れ出ていた。


 道行く女たちの視線が注がれる度、誇らしく思う心と自分だけが彼の魅力を知っていたいという欲が、おりんの内面でせめぎ合う。


 でも今は、私の旦那様。

 たとえ夫婦のふりだとしても、横を歩けるのは私だけ。


 そう思うとちょっぴり、優越感に浸ることができた。


 そんな小さな喜びだけでも十分幸せだったのに、思いがけず簪の贈り物まで。


 踊りだしてしまいたいくらい嬉しい!


 ついつい簪に手が伸びる。

 忍び笑いが漏れ出さぬよう、きゅっと唇を噛み締めた。



 母親が体調を崩す前は、たまに一緒に屋台の寿司を食べに来ていた。寝込んでからも時々、滋養をつけて欲しくて穴子や卵を買って帰った。

 

 そんな馴染みの店主の店は、今日も盛況だった。


「おりんちゃんじゃねぇか。その後おっかさんはどうでい?」

「伊之助おじさん……先日亡くなったの」

「そいつは、残念だったね」

「うん」

「でも、旦那がいりゃ寂しさも乗り越えられるよ」


 りんの後ろにぴたりと張り付いている銀星を見て安心したように笑った。


「まけとくよ」


 そう言ってくるりと丸いいか巻きをつけてくれた。


 笹の葉の上には、手の平と同じくらいの大きさの紅色のしゃり。それを覆い隠すほどの煮穴子、酢じめのコハダ、漬けまぐろに卵焼きと干瓢巻き。


「思っていたよりでかいな」

「そうなの。だから私はいつもこの二つ」


 りんの笹の葉には穴子と卵焼き。母親が好きだった味だ。そこにおまけのいか巻きが添えられていた。


 屋台横に置かれた縁台に座って、往来を眺めながら食べる。


「なぁ、おりん。一つ頼みがあるんだが」

「なあに?」

「俺の寿司に呪いまじないを掛けてくれないか。美味しくなれって」


 りんの膝に笹の葉を載せ握らせてから、照れくさそうに頼み事をしてみる。心得たとばかりに、りんがその手に思いを込めてくれた。

 真剣に寿司を見つめる様子が可愛くて、ついくすりと笑ってしまった。


「もう、何を笑ってるの?」

「可愛いと思って」

「なっ!?」


 ぼっと燃え上がった頬を押さえようとして、思わず笹の葉を手放す。転げそうになったところを銀星が掬い上げた。


 気づけば、触れそうなほど近くにあった。

 銀星の息遣い、おりんの唇。


「「あっ」」


 小さく叫んで飛び退く。

 気まずげに目を彷徨わせた二人。


「さ、さっさと食おうぜ」

「う、うん」


 互いの笹の葉へ手を伸ばした。

 がりで手を清めてから、大きなしゃりを握り込む。大きな口に目一杯詰め込んだ。


「……んん……んめぇ」


 さっぱりとした酢の酸味が、口の中を爽やかに満たす。柔らかさと歯ごたえ、どちらの食感も味わえるコハダの身が酢飯によく馴染んでいた。


 やっぱり、おりんの霊力は本物だ!


 江戸前名物を味わえて大満足だった。


 続けて頬張った煮穴子はほろほろと優しい味。分厚い卵焼きの弾力に、甘じょっぱい漬けまぐろの斬新さ。海苔で巻かれた干瓢巻きは食べやすく胃にも優しい。


「銀さん、半分こしよう」


 りんが差し出したいか巻きは、よく煮込まれて程よい噛みごたえ。赤酢飯との相性も最高だった。


「ふぅ、食った、食った」

「ふふふ、気に入ったみたいで良かった」


 屋台の隙間から見上げれば、暮れゆく淡い空の色。


「冷えてくる前に帰るか」

「そうだね」


 伊之助に礼を言い、並んで歩き出した。


 冬の初めの陽の光は殊更に短い。

 楽しい時の終わりをひしひしと感じて、未練が増す。


 このまま、ずっと一緒に歩いて居られたらいいのに……


 二人の心にまた、同じ言葉が溢れていた。



 


 


 



 


 


 



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