第7話 若旦那

 帰り際、長屋の入り口にこっそりと結界を張っておいた。


 これで、中までは入って来れねぇだろう。

 強力な奴でなければ、だが。


「おう、帰ったぜ」


 木戸を開け声をかければ「おかえりなさい」とりんの笑顔が出迎えてくれた。


 こういうのも、悪くねぇな。


 照れくさくなって鼻の上をかいた。


「大丈夫でしたか?」 


 こちらへやってくると、銀星の身体をあちらこちら見回してくる。どうやら怪我の心配をしているようだ。


「何ともねぇよ」


 その言葉に、ぱあぁっと明るくなった。


「良かったです。危ないことをお願いしてごめんなさい」

「んなこた気にする必要ねぇ。俺はこの通りでかくて、本当は強いんだからな」


 胸を張ってそう言うと、りんがふふっと笑った。


「一先ず今日のところは怪しい人物には会わなかったよ。また、まめに回ってやるから安心しとけ」

「うん、ありがとう」

「あと、これ」


 ずいっと差し出した。


「上手い飯の礼だ」

「え! どうやってこれを?」


 手の中の桃色の餅を見て、喜びと戸惑いで瞳をくるくるさせているりんが愛らしくて、銀星の口元がまた緩みだす。


「どうやって稼いだか、聞きたいか?」


 好奇心いっぱいにうんうんと頷くりんに、事の顛末を語って聞かせた。

 驚いたり感心したり、目まぐるしく表情を変えていたりんが、急にしゅんとして頭を下げた。


「銀さん、昨夜はごめんなさい。酷いことを言って」

「ん? 酷いことって」

「図体は大きいのに、案外間が抜けているとか、ぼーっとしているとか。銀さん本当はスリを捕まえられるくらい素早いのに」

「はっはっは!」


 腹の底から笑い飛ばし、ぐっとりんに顔を寄せた。二人の瞳が重なり合う。


「そんなこと、気にするこたぁねぇよ。そんなことより、すげぇ面白い話だったろ」

「うん。面白いし……かっこよかった」

「そうか、そうか、かっこよかったか!」


 ご満悦の銀星。鼻を高くして変身が解けそうになるのを必死で堪えていた。


「さっさと食えよ」

「うん、一緒に食べよう」

「俺はいいよ。二つともおりんの分だから」

「でも……」


 しばらく逡巡していたが、白湯を二つ持って来て隣に腰を下ろした。


「じゃあ、半分こしよう」


 餅を覆う桜葉をぺりりっと剥がせば、辺りに桜の香りが溶け出した。すぅっと吸い込み幸せそうな笑みを浮かべるりんを見るだけで、銀星の胸もほんわか温かくなる。


 そんな彼をちらりと見やると、真剣な眼差しで餅に指をかけた。ふんわりもちっとした桃色の生地を慎重に慎重に左右に割けば、更に春の香りが濃くなった。


「いい香り」

「だな」


 肩寄せ合いしばし桜の木の下へ、さらさらと舞い落ちる花弁に思いを馳せた。


「はい、どうぞ。一緒に食べた方が美味しいから、ね」

「そ、そうだな」


 小さくなった餅を桜葉で巻き直してから、銀星の手の平へそっと乗せる。残りを自分の手に乗せて並べれば、大きさの違いが際立った。


「やっぱり、大きい手だね」

「そんなちっちゃい手で、あんな上手い飯作ってるんだな。すげぇな」


 何だかちょっと誇らしくて、胸がくすぐったくて、りんはぱくりと餅に齧り付いた。


「美味しい」

「そうか。良かった」


 銀星も口に放り込む。

 ぱりっとした桜葉の食感、続けてもっちりとした噛み応え。広がる香りに加わる甘みと塩味。


 いつもは感じられなかった売り物の味。

 りんの手が触れただけで息を吹き返したようだ。


 買ってきて良かったな……


 

 銀星が一緒に住み始めて三日。

 大家さんの口利きで日用座ひようざに登録できたので、少しは稼げるようになった。仕事の合間には長屋の周りを警邏する。

 そのおかげかどうかは分からぬが、あれ以来怪しい人物は現れていない。


 今日は出来上がった着物を納める日。呉服屋へ届けてくると言うりんを一人で行かせるのは心配だった。


「俺も行く」

「大通りを行くから大丈夫だよ」

「いや、行く」


 支度を整えていざゆこうとした時、木戸の外に訪ね人がやってきた。


「あら、大丸屋の誠一郎様だわ」

「大丸屋の誠一郎」

「そう、いつもお世話になっている呉服問屋の若旦那様よ。変ね、今から届けに行くのに」


 若旦那という言葉に、またもや銀星のこめかみがピキッっと鳴った。


 向こうからやって来るとはいい度胸だ。

 顔を拝んでやる!


 何故か喧嘩腰で木戸の向こうの人物を睨みつけた。


「えっ!?」


 おなご一人の元を訪れたはずが、目つきの悪い大男が現れ出たので、驚愕の表情を浮かべ息を呑む男。大店の若旦那らしく上質な着物を着こなし、商売慣れした柔らかな笑みと涼し気な目元を持つ男だった。


「若旦那様、むさくるしい我が家へわざわざお越しくださいまして、ありがとうございます」


 深々と頭を下げたりんを見て、ほっと安堵の息を吐いた。


「家を間違えたかと思ったよ」

「すみません。あの……仕上がった着物はこれからお届けにあがるところだったんですが、何か急ぎのことでもありましたか?」


「いや、なに、母上を亡くされて大層気落ちしているようだったから気になってね。お母上にも線香をあげさせてもらっていいかな」

「そんな、勿体ないお言葉、ありがとございます。母も喜びます」


 つんつんと背をつく銀星を振り返って、りんは「お線香をあげにきてくれたんだって」と囁いた。


 いや、そんな事は分かってるよ。


 銀星は憮然とした表情で頷いた。


 どう見たってこいつ、お前にほの字だろ。

 そんな奴をやすやすと家にあげて、全く、おりんは馬鹿がつくほどのお人好しだな。


 自分もそのお人好しのお陰で助けられたことは棚にあげて不貞腐れる。


 一方の誠一郎、警戒の一瞥を銀星に投げると、笑みに戻してりんの後に続いた。

 線香を手向けて静かに手を合わせる。


 思いのほか長く祈った後美しい所作で向き直り、りんに微笑みかけた。


「出来上がった品は私が持っていくよ」

「よろしいんですか。ありがとうございます」


 誠一郎は付いてきた手代を呼んで、荷物を預けた。


 なんでぃ、自分で持つ気もないくせに。


 心の中で悪態をつきながら、出入り口の横で待つ銀星。


「女手一つでは困る事もあるだろう。私を母上の代わりと思って、何でも頼ってくれていいからね」

「とんでもないことです。若旦那様には、こうしてお仕事をいただけるだけでも、本当にありがたいことです」


「気にすることは無いよ。お母上からも君のことは頼まれていたし」

「母さんが……」


 あっという間に膨れ上がる涙を必死で堪えた。


「ああ、すまない。かえって思い出させてしまったね」


 本気でりんを心配する眼差しに、銀星の心がぎしりと軋む。


 こいつ……本気なんだな。

 本気でおりんのことを大切に思っている。


 負けたくない、渡したくない、そんな強烈な感情が湧き上がる一方で、一抹の安堵も芽生えた。


 俺がいなくなっても、守ってくれる人がいるんだな。


 これなら憂いなく去れる……なんて、素直に思えたらいいんだが。


 胸が苦しくて仕方なかった。


 

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