第3話 竜王国潜入作戦

 竜王国。かつて栄華を誇った王都は、亜人種との紛争によって疲弊し、その活気は失われていた。灰色がかった石畳の道には水たまりができ、空には常に鉛色の雲が立ち込めている。竜の伝承を模した寒色系の装飾が街のいたるところに見られるが、それもまた、この国の冷え切った雰囲気を助長しているかのようだった。そんな退廃的な街の一角に、二人の人間らしき姿があった。一人は漆黒の髪を持つ、気品ある美女。もう一人は、どこか影のある、知的な印象の女性。

 ナーベラルとソリュシャン。彼女たちは、アインズ様の命令を受け、この国に潜入していた。

 「まったく、このような汚らわしい場所で、汚らわしい人間どものふりをしなければならないとは……」

 ナーベラルは、不快感を隠そうともせず、周囲を睨みつける。彼女の美しい顔が、憎悪で歪む。

 「おやおや、ナーベラル様。あまり露骨にされては、私たちの正体がバレてしまいますよ?」

 ソリュシャンは、楽しげにそう言いながら、ナーベラルの肩に手を置く。「わたくしたちは、今やただの『旅の商人』。ここは笑ってくださいまし」

 ナーベラルは心底嫌そうな表情で、一瞬だけ営業用のぎこちない笑顔を見せた。腰には安物の商人用短剣、背には薄汚れた革袋――ナーベラルはその質感に耐え難い嫌悪を覚えた。行商の通行許可証を衛兵に突き出すと、兵士は眠たげな目でそれを一瞥し、無造作に返した。「……人間は愚かで弱い存在。それを知っているはずなのに、なぜ我々はこのような行動をとらなければならないのか、理解に苦しみます」

 ナーベラルの言葉に、ソリュシャンはくすくすと笑う。

 「それこそが、アインズ様の御思慮というものでしょう。人間どもが最も嫌悪するのは、自分たちを騙す存在。しかし、私たちは人間どものふりをして、彼らを欺き、利用し、そして滅ぼす。これほどまでに、愉悦に満ちた命令はありませんわ」

 ソリュシャンの言葉に、ナーベラルはわずかに表情を和らげる。彼女の思考は、アインズ様の命令の奥深さを理解し始めていた。

 《人間を騙し、利用することで、彼らの不信を煽る……。この任務は、単なる殲滅ではない、知的な破壊工作なのだ》

 彼女たちの潜入は、すでに数週間が経過していた。その間に、二人は反乱分子の拠点を特定し、その指導者の動向を探っていた。反乱分子は、竜王国の王族に不満を持つ貴族や、亜人種との融和を望む平民たちで構成されていた。彼らは、王都の地下にある秘密の通路を使い、密かに連絡を取り合っていた。


 ある夜、二人はその秘密の通路に侵入する。薄暗い通路には、湿気とカビの匂いが充満し、二人の足音が不気味なほどに反響する。鉛色の空気に満ちた、息苦しい空間だった。

 「ソリュシャン、あの男が指導者ですね」

 ナーベラルの指差す先にいたのは、いかにも貴族といった風貌の男だった。彼は、部下たちに熱弁を振るっていた。

 「我々は、この腐敗した国を変えなければならない! そのためには、犠牲も厭わない!」

 彼の言葉に、部下たちは熱狂的に応じる。

 ソリュシャンは、その光景を冷めた目で見ていた。

 「……愚かな者たち。自分たちが利用されていることすら気づいていない」

 彼女は、音もなく男に近づき、その首にナイフを突きつける。

 「静かに……そうすれば、痛みは少しだけですよ」

 カチリ、と硬質な音を立て、男の首筋にナイフの切っ先が当たる。男は、何が起きたのか理解できないまま、絶命した。その光景を目の当たりにした部下たちは、恐怖に震え上がり、一斉に逃げ出す。

 「ナーベラル様、残党の処理をお願いします」

 ソリュシャンの言葉に、ナーベラルはにやりと笑う。

 「承知いたしました。この不快な任務を、一刻も早く終わらせましょう」

 彼女は、雷撃魔法を放つ。閃光が闇を裂き、視界が白に塗り潰される。瞬きの間に、鼻腔を焦げた肉の匂いが満たし、遅れて鈍い破裂音が響く。残党たちは一瞬で塵芥に変えられる。

 「これで、竜王国の内乱はさらに加速するでしょう」

 ソリュシャンの言葉に、ナーベラルは満足そうに頷く。

 「アインズ様の御為ならば、この程度の任務、造作もありません」

 彼女たちは、任務を終え、再び闇の中へと消えていった。ソリュシャンは、血の海に横たわる死体の一体を指先でそっと撫でながら、愉悦に満ちた表情を浮かべた。「……ああ、素晴らしい。この痕跡も、やがて腐敗を早める養分となるのですね」


 数日後。ナザリックの玉座の間で、ナーベラルとソリュシャンからの報告を受けたアインズは、玉座から立ち上がり、窓の外の月を見つめていた。

 玉座の前で、二人は完璧な姿勢で跪く。背筋を伸ばし、頭を垂れ、その視線は床の一点に固定されていた。

 「陛下、任務完了のご報告に参りました」

 ナーベラルの声は、厳かな玉座の間に響き渡る。

 アインズは静かに語る。

 「ご苦労であった。この竜王国の瓦解は、いずれ起こるであろう他の国々の内乱に対する、一つの実験台に過ぎない。君たちの報告は、今後の私の統治に大いに役立つだろう」

 《うむ、言葉は完璧だ。いや、完璧なはずだ。いや、計算通りだ。……多分。七割は結果オーライでなんとかなる、そういうことにしよう。……いや、もちろん全て計算のうちだ。……のはずだ》

 その瞳の奥には、竜王国の崩壊が、世界全体を支配するための大きな戦略の一部であることを示す冷徹な光が宿っていた。


 その頃、竜王国の王都では、街の酒場で市民がひそひそと噂話をしていた。

 「聞いたか? 反乱分子の貴族が、一夜にして全員消えたらしいぞ」

 「ああ。何でも、王家が裏で手を回したとか……」

 「これで、ますます王族への不信感が募るな。次は、いつ誰が消されるか……」

 小さな火種は、すでに燃え広がっていた。


 玉座に戻ったアインズは、冷徹な声で告げる。

 「デミウルゴス、……次はあの国だ。準備を進めよ」

 アインズの視線の先、机の上には、帝国と王国、そしてこれから支配下に置くことになるであろう、いくつかの国々の地図が広げられていた。

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