第2話 ある日の大学で
週明けの月曜日。
講義を終えて学内のカフェで課題をやっていると、視界の端に見覚えのある姿が映った。
(……美桜?)
黒いトートバッグを肩にかけ、注文カウンターでドリンクを受け取っている。
髪を後ろでひとつにまとめ、シンプルな白のブラウス。
昨日までの引っ越し作業の姿とはまた違い、少し大人びて見えた。
「……あれ? 桐谷くん?」
気づかれて、思わずパソコンの画面から顔を上げた。
「この大学だったのか?」
「うん。……って、言ってなかったっけ?」
「いや、聞いてない」
美桜は笑って、空いている席を探す。
ふと視線が合い、手で「ここいい?」と合図してきた。
向かいに座った彼女は、アイスラテをひと口飲んでから、小さくため息をついた。
「ここのカフェ、混んでるけど落ち着くんだよね。駅前より静かだし」
「そうだな。……でも、お前がここにいるのは意外だった」
「講義サボってるわけじゃないよ。空きコマだから」
その言葉に、少しだけ警戒心が和らぐ。
カフェの窓から見えるのは、まだ夏の名残を残したキャンパスの緑。
他愛もない会話をしながらも、俺はずっと10年前のことを意識してしまう。
「そういえば、昨日のカレー、美味かったよ。……意外と料理できるんだな」
「意外と、って何それ。小学生のときから作ってたよ」
「そうだっけ?」
「うん。あのとき……放課後、一緒に食べたじゃん。覚えてない?」
その言葉に、鮮やかな記憶が蘇る。
教室で机を並べて食べた、温かいカレーの匂い。
でも、その直後にあの日の告白が待っていたことも。
美桜はそんなことお構いなしに笑い、紙ナプキンで唇を拭った。
「また作ってあげよっか?」
「……まあ、気が向いたらな」
笑って答えたけれど、胸の奥では小さくざわめきが広がっていた。
偶然だと思っていた再会が、少しずつ必然に変わっていく――そんな予感がして。
午後の講義へ向かう途中、偶然また美桜を見かけた。
中庭のベンチに腰掛け、スマホを眺めている。
周囲には数人の学生グループが談笑しているが、その輪に彼女の姿はなかった。
(……一人、か)
別に珍しいことじゃない。
俺だって大学では、一人で過ごす時間の方が多い。
でも、美桜の表情は少し硬く見えた。
声をかけようか迷っていると、ふいに視線が合った。
彼女は一瞬驚いたあと、いつもの笑顔を作る。
「また会ったね、桐谷くん。……ストーカー?」
「いや、偶然だ」
冗談めかしたやりとりをしながらも、近くで見ると目の下にうっすらとクマがある。
昨日の引っ越し疲れだけではないような気がした。
「昼飯は?」
「食べたよ。コンビニで軽く」
「そっか」
短い沈黙。
美桜はポケットから飴を取り出して、俺にひとつ差し出した。
「ほら。甘いのでも食べて、午後の授業頑張って」
「……ありがとな」
飴玉を口に入れると、ほんのりレモンの味が広がった。
そのささやかな優しさに、少しだけ距離が縮まった気がする。
「……なんかあったのか?」
思わず口をついて出た言葉に、美桜は一瞬だけ動きを止めた。
「ううん。大丈夫。……桐谷くんこそ、元気そうで何より」
笑顔は、やっぱり少し作り物めいて見えた。
けれど、それ以上は聞けなかった。
チャイムが鳴り、俺たちはそれぞれの教室へ向かう。
歩きながら、ふと考える。
(……“偶然”は、本当に偶然なのか?)
そんな疑問が、また胸の奥に沈んでいった。
午後の講義が終わると、外はもう夕焼け色に染まり始めていた。
キャンパスの木々が赤く光り、蝉の声がまだ名残のように響いている。
「桐谷くん、今日はこのまま帰る?」
背後から声をかけられ、振り返ると美桜がいた。
手には購買の袋、そこから少しだけラムネ菓子の箱が覗いている。
「これ、好きだったよね? 小学生のとき」
「ああ……よく覚えてるな」
「だって、夏祭りのとき、いつも食べてたじゃん」
その一言で、脳裏にあの日の光景が蘇る。
境内の屋台の灯り、混ざり合うたこ焼きと綿あめの匂い。
手に持ったラムネを、俺が不器用に開けられなくて、美桜が笑いながら押してくれたこと。
「……覚えてるよ」
「私、あの時の浴衣、まだ実家にあるんだ。ちょっと派手なやつ」
美桜は少し懐かしそうに目を細めた。
その横顔を見ていると、10年分の時間が急に短く感じる。
「……今度、一緒に行く?」
気づけば、そう口にしていた。
「え?」
「夏祭り。今年もやるだろ」
美桜は数秒の沈黙のあと、ゆっくりとうなずいた。
「……うん。行こっか」
返事は軽い調子だったけれど、その声色にはわずかなためらいが混じっていた。
その夜、家に帰って机に向かったものの、勉強はほとんど手につかなかった。
代わりに、机の隅から古いアルバムを取り出す。
ページをめくると、浴衣姿の小学生の美桜が、笑顔でこちらを見ていた。
――あの夏の日のことを、今でも鮮明に覚えている。
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