第20話

「どう、する……?」

「キミも知っての通り蜘蛛は俊敏だ。とても逃げ切れるとは思えない」

「だよな……。とは言っても倒すとなると……」


 斧の刃と目の前の蜘蛛の大きさを見比べる。とても一撃や二撃で倒せそうにない。

 ルカの手がゆっくりと腰に携えた穂に伸びる。昨日、ヴィヴィから渡された物だ。一本抜き取り、蜘蛛を刺激しないよう慎重に斧の先端に取り付けた。


「それを使うのかい?」

「他に方法がないだろ」

「だが、爆破したら体液が飛び散る。キミは防護服を着ているとはいえ、無事に済む保障はない。それに腕の痺れはどうなんだい?」

「ん? 痺れ?」


 身に覚えのない心配をされて少し首を傾げる。ハルバードとなった武器を蜘蛛に向けながら、片方ずつ腕を振って見せた。


「なんともないけど?」

「……いや、それなら良いんだ」


 様子がおかしい彼女を不思議に思ったが、次の瞬間には話す暇さえなくなる。蜘蛛が二人を目掛けて突進してきたからだ。

 素早い動きではあるが、あらかじめ身構えていた二人はそれぞれ別方向に跳んでそれをかわした。

 振り返る勢いとともに斧の刃を蜘蛛の脚に振るう。半分までは刺さったが、切断するまでには至らなかった。刃を抜いて襲い掛かってきた別の脚を避ける。

 ルカが蜘蛛の注意を引いている隙に、ヴィヴィは距離を取って腰の小袋に手を入れた。だが、端正な顔がしかめ面に変わり、何も掴まず手を戻す。弓を持ち替えて矢筒から一本矢を取った。


「こっちに来い! ボクが目を射抜く!」

「――わかった!」


 指示された通り巨大な胴体と脚の隙間を素早く抜けてヴィヴィの方へ駆ける。蜘蛛も器用に方向転換をして獲物である少年を追う。

 ヴィヴィは右手で矢をつがえて弦を引き、両端の滑車が回した。的を蜘蛛の目に絞る。

 その構えにルカは違和感を覚えた。彼女の顔にいつもの自信を感じれない。

 蜘蛛が迫る。しかし、ヴィヴィは矢を放たず、それどころか弓を持つ手が震えていた。


「早く! 追いつかれる!」

「……くっ」


 ルカに鋭い爪先が襲い掛かる。後が無くなりヴィヴィは手から矢を離した。


「グギィ!」


 一直線に飛んだ矢は蜘蛛に突き刺さる。だが、刺さったのは大きな黒い目ではなく、そのわずか隣であった。蜘蛛は短く鳴いただけで、怯むことなく脚をルカに振り下ろす。


「ぐあっ!」

「ルカ!」


 背中に走った衝撃で前に転がって痛みに声が上がった。さらなる追撃がルカを襲う。血しぶきが飛び散るところであったが、鋭利な爪は地面を抉った。

 寸のところでヴィヴィが倒れたルカの首根っこを掴んで放り投げたのだ。低空飛行した少年の体はすぐに腹からドサっと着地した。


「いててっ……」


 防護マスクのズレを直し、すぐさま立ち上がって蜘蛛から距離を取る。手は空っぽになっており、蜘蛛の足元に斧の刃が地面に刺さっていた。倒れた際に落としたようだ。


「無事か!」


 駆けつけたヴィヴィが身を案じて声を掛けた。


「背中がヒリヒリする。どうなってる?」

「……防護服が破れてしまっているね。血は出ていないようだが……、すまない」


 蜘蛛の一撃はルカの防護服を斬り裂いた。ルカの体自体に大きな傷がないのは不幸中の幸いだろう。


「そっちは?」

「脚には当たっていない。ただ……」


 やはりヴィヴィの様子がおかしい。細い触手を射抜くほどの腕前を持つ彼女が、あんなに大きい的を外すのは不可解だ。


「どうした?」


 ルカが促すと、ヴィヴィは自身の胸の前に左手を持ってくる。その指は脱力したように曲がっていた。


「先ほどの家で殺した蜘蛛の体液が掛かってからあまり力が入らなくてね。動くのは動くが感覚がない」

「……だからか」


 今しがたまでの言動や、矢を外した理由が判明し納得する。

 肌が変色している様子はないが、痺れは毒によるものだと考えられるので気に掛かった。


「すまない、もっと早く言うべきだった」

「いや、とりあえずは目の前のこいつをなんとかしよう」


 何度も謝ることから、本当に申し訳なく思っているようだ。こんなに弱々しいヴィヴィを見るのはこの旅で初めてであった。

 あの爆発する鏃を使わなかったのも、ルカに被害が及ばない箇所に当てる自信がなかったためだろう。


「なんとかする道筋はできているのかい?」

「思い出したことがある。蜘蛛は持久力がない」


 その証拠と言わんばかりに、目の前の蜘蛛は二人を見ているが動きはない。


「もう一度疲れさせたところで背中に生えているきのこを切る。……囮を頼めるか?」

「それぐらいならやって見せるさ。任せておいてくれ」


 弓と矢筒を地面に落とし、ヴィヴィは鞘からナイフを抜く。

 そして、蜘蛛が動き出すよりも早く駆け出した。身を低くしてどんな攻撃でも対応できるようにする。

 向かってくる敵を察知して蜘蛛も動く。後体部にある脚で立ち上がって腹部を晒したかと思えば、その下方にある突起から白い糸を飛ばした。

 ヴィヴィは直線で飛んできたそれを身をよじりかわす。後方にいるルカの所まで飛んだが、彼も避けたようだ。

 蜘蛛は元の体勢に戻り、次の行動に移る。その体躯でヴィヴィに踊り掛かった。上顎を突き刺して毒を注ぎ込むつもりだ。

 だが、迫り来る巨体に彼女は動じなかった。地を蹴る足を止めずに前へ進む。

 そして、両者がぶつかり合う直前、ヴィヴィが勢いを落とすことなく蜘蛛の胴体の下を足から滑り抜けた。右手に持つナイフで腹に長い線を引く。


「――グギャギャ!」


 悲鳴に似た鳴き声を上げた蜘蛛は、八本の脚で着地するとその動きを止める。飛び跳ねたことによる疲労と、腹を斬られたことによる痛みのせいだ。


「受け取れ!」


 地面に刺さっていたハルバードを引き抜くと、蜘蛛の背中の上へと力強く投げた。それを、


「もう少しゆっくり投げろ!」


 ルカが文句を言いながらも回転して向かってきたその柄を掴む。そして、大きく踏み込んできのこの太い柄の右側から斧の刃を叩き込んだ。


「グギャァァァァァ!」


 弱点とも言えるきのこを攻撃され蜘蛛は激しく暴れる。


「おとなしく――、しやがれ!」


 柄の半分まで食い込んだ刃を抜き、一回転する勢いを乗せて今度は左側から斧の刃を振り抜く。続けざまの攻撃に巨大なきのこは切断され、蜘蛛の背中から地面に落ちた。

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