第12話

 応接間のような立派な部屋で、二人はヤノシュと名乗った老人とランタンが置かれた机を挟んで座っていた。ルカは防護服を脱いで真剣な表情をし、胞子を落とすために水浴びをしたヴィヴィは湿り気が残る髪をいじくっている。


「なるほど、胞子の影響を受けないと……」

「そうだね」


 ルカとヴィヴィの話を聞いたヤノシュが考え込むように、元からある眉間のしわをさらに寄せた。ヴィヴィの物言いについて、ルカは口をつぐむ。


「博士の薬が出回っているってことですか……? それはとても良いことだけど……」


 老人が座る椅子の後ろに立っているグンタという男性が、首を傾げながら口にした。


「ふむ……、ヴィヴィさん、注射器などで薬を使ったことは?」

「いや、そんな覚えはないね。まあ、ルカと出会うより少し前からしか記憶はないけど」

「はっ? そんなこと初耳だけど……」

「言わなかったかい? まあ、そういうことだ」


 まさかこんなところで彼女の新情報を知るとは思ってもみなかったので、ルカはハトが豆鉄砲を食らったような表情を見せる。本人はいつも通り涼しい顔だ。

 常識がないところとかそのせいだろうか……。そう思うと、ルカはヴィヴィに同情をする。


「しかし、私の薬が出回っているとは考えにくい。先天性のものなのか……」

「あの……、先ほどから仰っている薬とは一体……?」


 ヴィヴィに詳しい話を訊くのは後回しにし、ルカはヤノシュに訊ねた。


「そうですね、説明が必要でした」


 そう言うと、老人は一呼吸置いてから語り始める。


「私は、昔からこの世界に蔓延るきのこについて研究していました。特に、動物だけでなく人間の脳にも寄生するきのこを。そして、もう一人の研究者と、まだ若かった助手とともに、その胞子に対する免疫力を高める薬を開発しました」


 そんなものが、とルカは驚いたが、黙って続きに耳を傾けた。


「その薬を使えば、もう胞子に怯えることはない。防護服もいらない。そのように人々の前で宣言しました。……が、それを信じてくれる人はいませんでした」


 ヤノシュはその時の情景を思い出して肩を落とす。

 ルカもその心中を察することはできたが、信用しなかった人々の気持ちも理解できた。

 太古から存在していると言われるきのこに、どうして今更人間が対抗できようか。

 ありのままを受け入れて生きていくしかない。

 そんな人々の声が聞こえてくるようだ。


「そうして、私たちは住む場所を追われ、隠れるためにこの暗い森で暮らし始めました。それが二十年ほど前の話です」

「そんな昔から……。それで、薬は本当に……?」


 信じないわけではないが、疑うようにルカが訊ねた。

 しかし、それもこの世界で生きてきたのならば仕方のないことだ、と老人は変わらず落ち着いた調子で答える。


「はい、効果は実証済みです。……お話しした通り、この地には私ともう一人の研究者と助手しかいませんでした。ある日、ルトゥタイを目指してここまで来たけども、胞子に侵されてしまった旅人を見つけたのです。私はすぐに薬を使い、その旅人を救いました。そうしたことが何度も何度も起こり、助かった旅人たちが感謝を示したいと私たちの世話をしてくれることになったのです。それが今や、ここで生まれた子供が何人もいるほどの集落となりました」


 懐かしむような表情をしていたヤノシュだが、段々とその表情が曇っていく。


「ただ、生物が進化するようにきのこも進化しています。当時は、公言した通り防護服を着なくても外を歩けるはずだったのです。私も研究を続けているので、今でもその薬を打てば一定の効果はあります。ですが、すべての胞子から身を守れなくなりました。現に、病院施設も兼ねているこの家に、胞子に侵された女の子がいます。発芽を遅らせるために眠りにつかせている状態で治療は進んでおらず……」


 老人のやるせなさが伝わってくる。

 ルカがどう声を掛けたものかと考えていると、玄関の戸が叩かれる音が鳴った。続いて、「こんにちはー」と少年らしい声が聞こえる。


「ああ、丁度その女の子の兄が来たようですね。毎日お見舞いに顔を出してくれるのですが、治療するためのきのこも探し回ってくれているのですよ」

「博士ー、ここー?」


 ガチャ、と部屋の扉が開かれた。

 顔を見せたのは声の通りの少年で、ルカよりも少し幼い顔立ちをしている。


「あー、いたいた。今日も見たことないきのこを持ってきたからこれを――、げっ!」


 その黒髪の少年は居合わせた客人を見て、とてもわかりやすく驚いた。


「キミは……」


 ルカが呟く。防護服は脱いでいるが、その背丈や体格、それと自分たちを見ての驚きようから森の中で出くわした人影だと察する。

 対する少年はヴィヴィを見て気づいた。防護服なしに出歩いている人物なぞ、一目見たら覚えてしまうからだ。


「おや、こちらのジュラとお知り合いで?」

「知り合いというか、森で迷っていたところ姿を見かけまして。追いかけてきたらこの集落に着いたんです」

「……悪かったよ、逃げたりして。でも、あんなところでそんな格好した人と会ったら……」


 ジュラと呼ばれた少年はヴィヴィをちらちらと見ながら謝罪した。

 防護服を着ていることが常識の世界に、暗い森の中で普段着の女性を見れば逃げてしまうのは仕方がないものだ。


「こちらこそ驚かせてすまなかった。でも、俺たちは道に迷っていたから助かったよ」

「そ、それは良かった……」


 なぜか照れくさそうにするジュラに、ルカは首を傾げる。その様子にヤノシュとグンタが愉快そうに笑う。


「ハッハッハ、ジュラは子供の中では年長者でしてな。ルカさんのような同年代で年上の方と触れ合う機会がないから恥ずかしいのでしょう」

「いつもお兄さん振っているのに、くくっ……、そういうところもあるんだなあ」

「――ちょっと、博士! グンタさん! 余計なことを言わないでくれよ! それに俺は振っているんじゃなくて実際に兄だ!」


 慌てふためくも、否定をしないということは図星らしい。深く暗い森にある家の一室に笑い声が響いて和やかな空気が流れる。


「まったく……。そんなことより早くノーラの所に行こう」

「うむ、そうだな。では、ルカさんたちはここでくつろいでいてください。私は先ほどお話したこの子の妹、ノーラの様子を見てきますので。戻ってきたらささやかながら食事をご用意します」

「では、お言葉に甘えてここで――」

「いや、ボクもついて行くよ」


 ルカの言葉を遮ってヴィヴィがハッキリと言った。


「何言ってるんだ。ぞろぞろついて行っても迷惑になるだろ」

「迷惑なんて掛けないよ。むしろ、役に立てるかもしれない」


 理解に苦しむことを言い出した彼女に、ルカは顔をしかめる。だが、彼女の顔は珍しく真剣そのものだ。


「迷惑なんてとんでもない。差し支えなければ、ぜひ見舞ってやってください」


 そう言うと、ヤノシュは立ち上がってノーラが眠る部屋へと向かう。それに皆がついて行ったので、ルカもやや遅れて部屋を出た。

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