仕事人間すぎる先輩(女)を落としたい後輩女子の話

音名メロイ

第1話

「私は結婚しないって言ってますよね!?」


午後4時。

終業まであと2時間。長いなぁ……と思っていたら、部長のデスクから叫び声が飛んできた。


「柳くん、君ねぇ。そんなこと言っても、女性はみんな結婚して退職していくんだから。昇進は考えられないんだよ」


渋い顔で説教しているのは、大野部長(52)。

そして声を荒げているのは営業部の柳さん(31)。


「私は結果を出しています! 結婚で退職するつもりもありません! なぜ昇進していただけないのですか!?」


——この50代のおっさんに常識は通用しないな、と思う。

眠気覚ましにこの口喧嘩は見応えあるなぁ、なんて私は自分のデスクで傍観していた。


私はサクッと結婚してテキトーに人生を過ごしたい女だ。

でも、男尊女卑が強いこの部長はあまり好きじゃないから、柳さんを心の中で応援していた。


「結婚して退職する、そこらへんの女と一緒にしないでください!」


しびれを切らした柳さんはそう叫び、部長のデスクから去っていった。


……「そこらへんの女」ねぇ。

応援していたけど、前言撤回。

柳さんのこと、ちょっと好きになれそうにないかも。



※※※



口喧嘩後の空気が重くて、私はロッカーに向かっていた。

さっきの出来事は見世物としては面白かったけど、柳さんが去った後の事務所の空気は最悪。


仕事をそこそこの労力でこなしたい私からすると、柳さんは少し力が入りすぎている。

私が24歳で柳さんは31歳だから、年齢的な考え方の差かもしれないけど。


ロッカーを開けると——いた。

柳さんが。


「田中さん……」


「……」


私の名前を呼ばれても、気まずい。

柳さんは俯きながら言った。


「すみませんでした。騒がしかったですよね?」


その姿がちょっと可笑しくて、私は笑って返した。


「いえいえ、心の中で『ガンバレー』って応援してましたよぉ」


媚びを売るのは得意だ。

でも今日は、ほんの少し、ほんの少しだけ魔が差して、つい言ってしまった。


「でも、私は結婚願望ありますよ。それが普通なんじゃないですか?」


——いつもの私なら、こんな喧嘩を売るような真似はしない。


「田中さん、普通って何でしょうね。私は女性が好きなんですよ。だから結婚はしないと決めていて……」


「え」


突然のカミングアウトに、手が止まった。


「田中さんの言う“普通”の中に私も入れてほしいです」


……それって、どういうこと?



※※※



何でこうなったのか分からないけど、今は柳さんと居酒屋にいる。

私の“普通”は、私に気がありそうな男となんとなく飲むこと。

だから私の普通はこれです、って柳さんに言おうと思っただけ。

だけど柳さんは——


「田中さんはよく会社の電話を取ってくださいますよね」


「え? まあ、譲り合うのも面倒なので」


「この前の課長の案件の時も……」


……なんだこの人、居酒屋まで来て仕事の話しかしない。

私の普通じゃないってば!


「ねえ柳さん、恋バナしましょうよぉ!」


「え? 私は仕事の話の方が好きです」


こいつ、仕事人間すぎ!

あんなカミングアウトをしておきながら私に興味がなさすぎて、逆に気を引きたくなってきた。


「もっと私に興味持ってくださいよぉ!」


「私は田中さんのこと、好きですよ」


「え!? それって……」


ドキッとした。そうそう、この流れ——


「特に見積書が早くて正確だし、とても助かっています」


……やっぱり仕事の話かよ!


この時、私は誓ったのだ。

この仕事人間を私に振り向かせてやる、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る