RUN RUN RUN
「LONG BEACH TOWER、Cessna 11CLC――」
颯は無線で着陸許可を申請しながら、徐々に近づくロサンゼルスの街並みを見下した。
やがて、見慣れた滑走路の灰色のラインが近付く。
視線は遠くに、進行方向真っ直ぐ向けた。
颯は速度と角度を微調整しながら滑走路に侵入する。
機体はしばらくの間、地面すれすれを飛行して、速度が十分落ちたところでタイヤが静かに接地した。
颯はセスナをランウェイから移動させ、機体を停止させると、そこで一息をついた。
座席に寄り掛かりながら、この日のフライトを思い返す。
(――減点7、くらいか……)
完璧を目指したシミュレートも虚しく、最後には普通に運転することで手一杯だった。
着陸後、ラウンジに向かう途中で、同じくフライトを終えた貴広と遭遇した。
「うっす」「おう」
流石にここ最近は、出会った当初のような、無駄な衝突はしなくなった。
「ファーストソロ(初単独訓練)か?」
「うん。黒鳥は?」
「二回目のソロ。当分はこれが続きそうだな」
貴広は前日にファーストソロを行っていた。
スケジュールの都合上免許取得後に一度、足並みを揃える予定とはいえ、先に行かれた感は否めない。
「ちょっと、遅れをとったか……」
「そんなことはないけどな。実は、俺は高校の時に一回だけ、プロペラ機に乗ったことがあるんだ。それを考慮したら、俺と他の候補生に差はない」
「え、そうなの?」
颯はその理論の是非は置いといて、貴広が話した内容に驚いた。
「ちょっと、言い損ねた。海外のエアショーを見たといったよな。そのあと、選手の人が乗せてくれたんだ」
「へえ、なるほどな……」
颯は貴広が候補生の中でも現実的にパイロットを目指せていた理由が分かった気がした。
「で、それを考えると最速は北上だ」
確かに、雪兎も前日にソロフライトを終えている。
「丹治さんが言うには、丁寧で粗のない運転だから安心して指導できるらしい」
「そういう話、教官に聞いているんだ」
「競争相手なんだ。自分に足りないものなら補いたからな」
颯はその競争意識には、感心するのを通り越して冷たく感じてしまった。
「そんな、免許をとる段階からガツガツしなくてもいいんじゃないか」
「そうかもな……でも……」
貴広は少し迷った末にその先を口にした。颯相手にしては珍しく緊張している。
「矢浪は、北上と競争できるのか?」
「え?」
「いや、多分だけど、お前北上のこと好きだろ」
「…………」
颯は不意打ちに言葉を失った。顔が熱くなった直後、背筋が冷える。
「……もしかして、バレバレだった?」
そして、驚くあまり、好意を認めてしまった。
「どうだろうな。他の連中が気付いてるかは分からない。俺がそう感じただけだ」
「そうかー。まあ、普通に好きだよな。可愛いじゃん」
颯は軽い調子でごまかそうとした。まさか、入鹿や弥勒ならともかく、貴広がこの手の話を振ってくるとは思わなかった。
「まあな。でも、可愛いのはいいけど、問題はそういう相手と競争ができるかってことだ」
「……出来るとは思う」
颯は我ながら少し歯切れが悪いのが気になった。
「それならいいんだ。俺は仲間意識が強くなり過ぎて、最後の最後で辛くなるのは嫌だから、競争相手だという意識だけは失くさないようにしている」
貴広はそう言いながらも、その横顔は少しだけ迷っているように見えた。
ラウンジに着くと、弥勒と初奈が机にテキストを広げて勉強会を開いていた。
「颯くん。ファーストソロ、どうだった?」
弥勒は颯が近くに来ると、ペンをノートの上に置いた。
「無線で緊張したくらいかな。あとは、いつもよりくつろいで出来たよ」
「そっか。僕も明日だから、ATC(無線で使う言葉)の復習だけはしとかないとね」
「……二人とも英語得意でいいよね」
初奈は勉強を中断して、テキストの上にぐったりと突っ伏した。
「初奈だって、学科試験はパスしただろ?」
「読み書きはまだいいんだよ。――あれ暗記だったし。無線とかの会話が絶望的……」
「確かに、無線は普通の会話以上に聞き取り辛いときはあるな」
無線の音声はラジオなどとは比べ物にならないほど荒い。とはいえ、日本でも通信は英語が基本なので避けて通れる問題でもない。
「ゲームのとき聞き取りづらいって思ってたけど、あれでもまだマシだったんだね……」
『AIR ACE 』のフライトシミュレーションでも、当然そこら辺は再現されているのだが、固有名詞などは当然変わってくるのでその知識だけでは限界もある。
「でも、ATCの会話もパターンは決まってる。読み書きができるなら、会話だって絶対にできるようになるよ。現に、もう離陸までのパターンは大体覚えられたんだし」
弥勒のノートには空港内の移動から、離陸、着陸までの無線での会話のパターンがまとめられている。そのノートからして頭の良さが滲み出ていた。
「……うん、ありがとう。もう少し頑張る。せっかく、弥勒君が付き合ってくれてるから」
(ああ、難しいのそこからだよな……)
颯は心配そうに初奈を見たが、当人は意外と折れてなさそうだった。
丁寧に教える弥勒と、熱心に聞く初奈の姿を見ると不安も少し薄れた。
(あと、一カ月以上あるし。大丈夫そうか――)
颯は人の心配も程々に、自分自身の弱点について考え直すことにした。
飛行時間はすでに二十時間を経過している。
最初のうちは一日に一回、一時間に満たないフライトが多かった。だが、近頃では体調と天候次第では一日二回フライトすることも珍しくなくなり、操縦そのものに体が慣れてきている節があった。
飛行訓練と並行して、颯たちは勉強もしていた。
国内研修の際は触れる程度だった、初奈が苦戦しているATCの勉強、フライトを効率よく行うための実践向け講義、実地試験に向けた座学の復習などに時間を割いた。
(問題はまず、基礎体力だな……)
颯はその晩、自室で自分用のトレーニングメニューを考えようとしていた。
颯は浪人時代以降の引き篭もりがちな生活がたたって、フィジカルが他のメンバーに比べて劣っている部分があった。国内研修中から、表面上は必死にくらいついていたが、無理した分は自室に戻った後や、休日のスケジュールに影響した。
このままレースの訓練が本格化すれば、疲労の蓄積はもっと大きくなるだろう。
(少しは余裕のある今のうちに、他のメンバーとの差を埋める。いや。誰よりも早くレースに適したフィジカルを作る)
颯はまずは簡単なセットリストを作り、それを繰り返すことから始めることにした。
(まずは一日目だ。筋トレのメニューは走りながら考える)
颯は早速立ち上がり、履き潰されたスニーカーを履いた。
時間は限られている。出遅れているなら、前進しながらプランを練るしかない。
自主トレを始めてから半月ほどたったある日、颯は自身の成長を試すことにした。
基礎体力トレーニングとして、颯たちは毎日五キロのランニングが義務付けられている。大抵は朝に行い、できなければ昼休みに済ませる。室内のランニングマシーンも利用できるが、近くには公園があるため晴れているときは気分転換も兼ねて外に出ることが多い。
昼休み、颯は入鹿と雪兎と共に公園で走ることになった。
各々のペースでストレッチを行う中、颯は二人に向けて一つの提案をした。
「なあ、今日のトレーニングなんか賭けないか?」
「うーん、俺はパス」
入鹿は小さく欠伸をすると、緩いペースで公園を走り始めた。
「……私はしてもいいけど、何を賭けるの?」
雪兎は柔軟を中断して顔を上げる。
「勝負は公園を二周。一分遅れで俺がスタートして、勝ったほうが、今度寮の近くのカフェでケーキを奢ってもらう。悪くない条件だろ?」
颯は冷静にそう提案しているようで、内心は浮かれていた。
入鹿が離脱したことで、咄嗟に条件付きのデートを申し込むチャンスが出来た。
「……それじゃ、面白くないな」
雪兎は立ち上がると、顎に手を当てていかにも考えてる仕草をした。
「ビバリーヒルズの方に、『マグノアリ・ベーカリー』って店があるんだけど。私、そこのカップケーキが食べたいって思ってたんだ」
「ビバリーヒルズって、少し遠いな……」
「だから、休日を使って買ってくる。そっちの方が賭ける価値あるでしょ」
(しかも、どっちが勝ってもデートにならない……)
雪兎は颯の失意も知らずに、挑発的な笑みを浮かべる。
「――それと、ハンデなんていらないから」
「……分かった。後悔すんなよ」
元より賭けはおまけだったのだが、勝負心に火が付いてしまった。
颯は準備運動を終わらせ、雪兎と共に道の継ぎ目に靴のつま先を合わせる。
「じゃあ、行くぞ」
颯の合図とともに両者が走り始める。
ペース配分を考えて力を抑える颯を横目に、雪兎はまるで短距離走を走るような勢いで飛ばし、ぐんぐん引き離していく。
「まじか」
颯は慌てて速度を上げ、何とか雪兎の隣に並んだ。
「――飛ばし過ぎじゃないか?」
「いつものが本気だと思われてたなら、心外だな」
雪兎は涼しい顔をして更にペースを上げ、颯に背中を見せつける。
(……これは、甘く見てたな)
颯は何とか離されないように一定の距離を保ちながら、雪兎のペースが落ちないか隙を見計らった。
雪兎は中高六年間運動部。大学ではスポーツは軽く趣味でする程度と言っていた。運動能力があるのはここ数カ月で知ってたが、こんなに差があるとは思わなかった。
周囲の人々の視線を集めながら、颯は息を切らせながら懸命に食らいつく。
(くっそ。この二週間だけじゃなくて、『AIR ACE』の選考を通ってからは、たまにトレーニングしてたのにな……。全然足りないか――)
遂に距離が縮まらないまま、一周目が終わる。
颯が悔しそうに雪兎の背中を見つめる。
すると、何故か先程よりもその距離が縮まっていることに気付く。
(……ん?)
颯は汗を拭い、足音を殺して僅かにペースを上げた。
距離は更に縮まり、僅か2メートルほどになる。雪兎のペースは間違いなく落ちている。
「……っ」
雪兎はチラリと振り返り、颯が近付いているのに気付くと慌ててペースを上げた。
そのときの顔が、かなり苦しそうだったのを颯は見逃がさなかった。
(最初から、意外と無理してたのか――)
涼しい顔は演技だと分かり、颯は精神的な気力が戻るのを感じた。
「ほんとっ、負けず嫌いだな!」
颯は潰れるのを覚悟でペースを上げて雪兎の前に出る。
雪兎の表情はやはり苦悶に歪んでいて、けれど、颯に抜かれると歯を食いしばって余力を振り絞った。
「――お前には、言われたくないっ!」
雪兎は颯を追いこす瞬間に、声を枯らして言い返す。
二人のペースは徐々に上がり、残り二キロは残っているのに、ほとんど全力疾走に近い速度でのデッドヒートが始まった。
(やばい……)
息も切れ切れ、視界が狭まるが、それでも速度は落とさない。
雪兎も粘り強く、見るからにバテてるのに一歩でも颯の先に行こうとする。
犬の散歩をしている地元の住人が思わず道を空ける。
颯が曲がり角を先に抜けると、ゴール付近にある時計が見えた。
「ああっ――」
雪兎は颯の気が緩んだ一瞬を見逃がさずに、ラストスパートを仕掛けた。
「っ――!」
残り百メートル。口に広がる血の味を飲み込み、耳元の鼓動を掻き消すように地面を必死で蹴り返す。
気付くと、颯は雪兎とほぼ同時にスタートの継ぎ目を越えていた。
(それなら、もう一周――)
颯はそう言おうとしたが、もう足は動かずに、地面に倒れ込んだ。
「はあっ……はあっ……」
雪兎も近くに仰向けに倒れて息を荒げている。
白い顔が見たことないくらい汗が垂れて赤くなっている。
「……はっ、デート代でも賭けたのか?」
遅れて帰ってきた入鹿が、通行人たちに混ざって、颯たちのことを見下した。周囲にも伝わるように、丁寧に英語でそんな軽口まで叩く。
颯は否定したかったが、まるで声を出せる気がしなかった。
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