PHASE2
ロサンゼルスへ
四月十二日、成田空港行きの特急電車に乗ると、颯は荷物を抱えて座り携帯電話を見た。
弥勒『宿泊組はホテルからバスで出発、あと三十分で到着予定です』
弥勒からラインでメッセージが入っていた。
グループ名は『AIRACE』。初奈がそれぞれのアバターに似せてアイコンを作ってくれたおかげで、画面は各々が会話するだけで華やかになる。
雪兎『初奈はちゃんと起きてる?』
初奈『起きてるよー。生活リズムは研修のおかげで直ったから』
雪兎『ごめんごめん。この数日で元に戻ってないか心配したんだけどね……』
初奈が自作した怒った猫のスタンプに、雪兎が〝ミッフィー〟の謝罪スタンプを返した。
颯は微笑ましいやり取りを眺めてから、自分の現状を報告する。
颯『こっちは空港行きの急行電車に乗った。あと三十分くらいで着くよ』
送信した直後、別のグループからメッセージが届く。
相手は幼馴染の宇高莉緒だった。
颯は昨日、自分の中で勝手に区切りをつけたつもりだったが、当然相手からすれば関係ない話だった。
莉緒『今日出発だったよね。体に気をつけて』
結局約束は果たせなかったが、莉緒は颯がパイロット候補生になったことを喜んでくれていた。
まさか、スケジュールまで知って応援してくれるとは思ってもいなかった。
颯『ありがとう。でも、心配しないで』
颯『あっという間に頂点を取ってくる!』
莉緒『まだ研修じゃん。あんま無理すんな』
(大丈夫。無理はしてないよ)
颯はそう笑いながら、狼キャラクターの〝グッドラック〟スタンプを送った。
「それでは。これより、チーム『AIRACEプロジェクト』ロサンゼルスに出発します」
勲子は腕時計で時刻を確認、集まったメンバーを見渡してそう宣言した。
候補生たちはバラバラのテンションでそれに応じる。
「って――まだ、荷物も預けてないですけど。こんな感じでいいですか?」
勲子は振り向くと、取材班のカメラにはにかんだ笑みを向ける。
「OKです。続いて、出発前のインタビューお願いします」
勲子が取材を受けている間に、任の指示で颯たちは荷物を預けることになった。
「パスポートとビザは忘れてないな。今のうちに、貴重品と手荷物に入れておくように」
「はーい」
元気に返事をする入鹿だが、明らかに一人だけ荷物が多い。
青い派手なシャツは相変わらずだが、両手に目一杯膨らんだ鞄、背中にはリュックサックを背負い、脇にはキャリーバッグも置いてある。
「……入鹿くん。もうちょっと荷物減らせなかったの?」
「すいません。アパート出払って、私物を置く場所がなくて」
「そうか。川崎だけは一人暮らしだったんだな」
任が納得したように頷く。
確かに、住まない家に十カ月分の家賃を払うわけにはいかないだろう。
「はい。家具は売ったし、私物も大体は知り合いにあげたり、売ったりしたんですけど。どうしても持っておきたいものもあって。料金かかっちゃうかもなんですけど……」
「まあ、構わないぞ。どうせ、会社の負担だ」
「ありがとうございまーす!」
颯がそのバイタリティに改めて感心していると、当人が並んでいるときに耳打ちをしてきた。
「なんとか、配信機材とオーディオとゲーム機を捨てずに済んだぜ」
「……よかったな」
「オレは物に固執するタイプじゃないからな。必需品だけならこの半分もいらない」
(……言われてみれば、その方が入鹿らしいか)
今度は颯もちょっとだけ呆れた。しかも、任に対して嘘は言っていないから性質が悪い。
「わたし、海外旅行は初めてなんだよねー」
一方で初奈はすっかり観光気分で、ロサンゼルスの薄い旅行本をバッグに移し替えている。
「よかったね。私は二回目だけど、前は中学生のときだったからなぁ」
「雪兎ちゃんは行きたいお店とかチェックした? わたし的には――」
初奈は付箋のついたページを開けて、雪兎と共に観光プランを考え始めている。
「はは、気が早いね。颯君はどこか行きたいところある?」
「俺は――ハリウッドかな」
弥勒の質問に颯は迷うまでもなく答えた。
「ていうか、ハリウッドがロサンゼルスにあるって、今回調べて初めて知った……」
「あー、それは何となく分かる。海外の観光名所とか名前は聞くのに、場所はよく分からなかったりするよね。僕はハリウッドもいいけど、グリフィス天文台って場所……夜景が綺麗らしくて、コックピットから見られれば最高だと思う。――二人はどう?」
「俺はユニバーサルスタジオ。日本のも行ったことないから」
「地味なところなら、リトル・トウキョーとかごちゃついてて面白そうだぜ」
同時に休みが取れるのはおそらく免許取得以降になるので、本当に気が早い話だが、会話は盛り上がった。
各々が荷物を預け終えると、勲子が入れ替わりにやって来た。
「みんなにも、出国前にインタビューしたいらしいわ。行っておいで」
「お、そういうことならオレが一番乗りだ」
空いた時間を使って空港の様子を撮影をしていた入鹿は、すぐにスマホをしまうと取材陣の方へ向かった。
「私も行かなきゃかな。何を言えばいいやら……」
雪兎がカメラを見て憂鬱そうにこめかみを押さえた。
「精一杯楽しんできます! とか」
「世界レベルのパイロットになってきます! とか」
「……二人ともスラスラ出てきて羨ましい」
羨ましいという割に、雪兎が初奈と颯に送る視線は冷ややかだ。
「俺は一応考えてある。北上も、どんなコメントでも言っておいた方がいいと思うぞ」
「へえ、黒鳥が考えてるのは意外だな」
貴広はインタビューに臆した様子はない。東京大会の様子から苦手だと思っていた。
「別に好きではないけどな。でも、今後パイロットとしてスポンサーを得るには、こういう仕事もこなさなきゃいけなくなる」
「……うん、そうかもね」
雪兎は貴広に頷くと、気合を入れ直すように小さく深呼吸をした。
颯も貴広の言葉に感心しなかったわけじゃないが、それを素直に認めるのはやっぱり癪に障った。
取材班に見送られて、颯たちはロサンゼルス行きの旅客機に乗った。
席は全員エコノミークラスで、場所は別れていた。勲子と任は別々の席に孤立、雪兎他女子三人は窓際に一列、颯たち四人は中央に固められていた。長旅になることを考慮して男女を分けたのだろう。
颯は練習機のマニュアルを読んだり、機内上映を見たりして過ごした。
気付くと消灯時間になり、配られた薄い毛布を被るとシートを少しだけ倒して眠りにつく。
――……暗闇の中で、颯はかつて通っていた高校にいた。
クラスメイトたちはスーツを着て近況を報告しあっている。颯は気付かれないようにその場を去ろうとしたが、クラスメイトの一人がそれに気付いた。
「矢浪は国立の大学受かったんだっけ?」
「いや実は、大学は落ちてもう諦めてて……」
颯は曖昧な笑みを浮かべたが、クラスメイトたちは気まずそうな顔をする。
「でも、実は今、パイロットになろうとしてるんだ。募集の凄い倍率を通ったんだ」
クラスメイトたちは安心したような、感心したような顔をする。
「なあ、もう操縦できるのか?」
けれど、場面は校庭に移り、どうしてかそこには赤いエッジが用意されている。
「いや、実はまだ……」
颯は抵抗するが、周囲に流されてコックピットに座ってしまう。
手順を思い出そうとする。ゲームで何百回とやった操作だ。現実でも出来ないはずがない。
「俺だって、ただ遊んでたわけじゃないんだ」
颯は焦って手順を最初からやり直したが、エンジンすらかからない。
「お前なんかに出来るわけないだろ」
外を見ると、浪人生時代のバイト先の従業員が、クラスメイトたちに混ざって立っていた。
「こいつの無能は病気だ。口ばっかりで何もできやしない」
クラスメイトたちはその中傷に顔をしかめたが、颯の姿を見ると何も言い返せない。
「違う! 待ってくれ。俺はこのときのために――」
颯は読んだばかりのマニュアルを思い出した。
そうだ。キーを回すんだ。イグニッションスイッチをスタートに回す。
スターターが起動し、プロペラが音を立てて回転する。
機体はいつの間にか、赤いエッジから訓練用のセスナに変わっている。
(――よし、行ける。いきなりレース機体は無理でも、練習機ならいける)
だが、颯はそこで気付いた。
飛ぼうにも滑走路がない。飛行するために助走する距離が足りない。
「仕事に対する考え方が甘いんだよ。誰がその失敗の尻拭いをすると思ってんだ。そんなんだから、大学にも行けないんだよ」
「……うるさい、うるせえ」
颯は雑音を振り切るために、無理を承知でフライトを決行した。
(俺は本気なんだ。黙ってくれ)
颯の目には涙が浮かび、操縦桿をひたすら強く握った。
そのとき、操縦桿を握る右手を上から誰かの手が握る。
颯はその冷たく柔らかい感触に、心の緊張が解けるのが分かった。
「……大丈夫?」
目を開けると、涙で滲んだ視界に白い手が見える。
隣を見ると、本来入鹿が座っているはずの席には何故か雪兎が座っていた。
「あ、ごめん」
雪兎は慌てて颯の右手から手を離した。
「いや、いいんだ。正直悪い夢を見てたから。ていうか、ごめん。相当うるさかっただろ……」
颯は辺りがまだ暗いことに気付いた。それから、どこまで言葉に出してしまったのか気になった。最初からということはないだろうが、もし聞かれていたとしたら最悪だ。
「ううん。うるせー、って一回言ってたくらいだよ。周りの人も気付いてないと思う」
「そうか。良かった」
「でも、苦しそうだった。どんな夢だったの? 私に言えることなら聞くよ」
雪兎は真っ直ぐに颯の目を見つめた。
「実はフライト失敗した夢を見たんだ」
颯は軽く笑って、即興で当たり障りのないシナリオを作る。
「周りが止めるのに、バーティカルターンなんかに挑戦してさ……」
しかし、雪兎の真剣に聞く表情を見て、嘘をつくのを止めた。
「――でさ。昔の同級生が失望して、昔のバイト先の上司とかが馬鹿にしてくるんだよ。俺は必至で挽回しようとしたんだけど、上手く行かなくて――」
颯は言い終わる前から、雪兎に弱みを見せたことを後悔していた。
「これからだって言うのに、どうして今更こんな夢見るんだろうな」
出国前、物事がようやくいい方向に動き始めていたと感じられたのに、この夢に全てをぶち壊された気分だった。
「私もよく見るよ。そういう夢――」
雪兎は笑っていたが、そこには苦い後悔が滲んでいた。
「私、スキーやってたって言ったでしょ。高校の時は本気でインターハイ目指してたんだ。でも、試合当日は焦ってミスして結局は予選落ち。あの日の、足掻けば足掻くほど深みに嵌っていく感覚……思い出したくないな」
颯は雪兎の声を聞いているうちに、悪夢で高鳴っていた鼓動が落ち着いていくのを感じた。
「眠ってるときは心が無防備なんだろうね。気が付いたら涙が出てる」
「普段は乗り越えたつもりで、忘れてられるのにな」
「そう、そんな感じ」
颯は小声で会話をしながら、機内の照明がゆっくりと点き始めるのを見た。
「そう言えば、雪兎はどうしてここにいるんだ?」
「入鹿が遙香と話したいから席変われって。初奈は寝てたから、読書してた私が変わった」
「そういうことか。納得」
入鹿は何だかんだ、まだ遙香のことがまだ気になってるらしかった。単純に隣の颯が寝てたから話し相手が欲しかったのかもしれないが。
「じゃあ、そろそろ戻るね」
「ああ。……ありがとう。おかげで今度は気持ち良く寝れそうだよ」
「どうも」
雪兎は白い頬を紅潮させてそう返すと、少し離れた自分の席へと戻っていった。
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