六人の候補生 ②

 開始十分前になると、ドアが開いて背の高い中年女性――身体能力適性審査の会場にいた成塚勲子が入ってきた。

「おはよう。まだ、座ってていいわよ」

 勲子は弥勒や貴広が立ち上がろうとするのを、にこやかな笑顔で制した。

「チーフ、無事全員揃っています」

「待たせたわね。で、悪いけど、後が詰まってるから私たちの紹介を済ませるわよ」

 勲子はそう言うが早いか、演台の前で颯たちの方を向いた。

「本日は朝早くからお集まり頂き、ありがとうございます。わたくしは、プロジェクトリーダーの成塚勲子と言います。これから一年間よろしくお願いします」

 颯たちがバラバラに会釈を返すと、勲子は硬い表情を崩した。

「まあ、堅苦しい挨拶はこれくらいにするわね。続いて、スタッフを紹介するわ」

 勲子はまず中年の男性スタッフの方を向いた。

「まずは副リーダーの猪狩いかりじん。元は航空技術部の人間で、パイロットの資格も持ってます」

 男性スタッフ――猪狩任は、軽くを会釈した。

「あっ……」

 颯は任という名前といいスーツを着てもだらしなさが滲み出る姿を見て、『AIR ACE』で知り合った犬のアバターを思い出した。

「お、気付いた? そう、実は任君は『ジン』という名前で『AIR ACE』のゲームに参加してたわ。そこで、プレイヤーの素行や技量をチェックしてたってわけ」

「『ウルフ』と『ユキト』は、そういうわけで久しぶり」

 雪兎も思い当たることがあったのか、戸惑いながらも会釈を返した。

 『ジン』といえばトップランカーの一人だ。まさか、プロジェクト内部の人間が大会に参加してるとは思わなかった。

「それも選考通過者の振りして、俺たちと待ち合わせしたんだぜ。どう考えても、三十越えてるおっさんが来たからビビったわ」

 入鹿が苦笑いを浮かべて、弥勒や初奈が頷いた。

「それで四人と一緒に来たんですか。早く来て手伝ってくれれば良かったのに……」 

 遙香が非難するような目で任を見るが、当人は何故か得意げだ。

「いやぁ。あのときのこいつらの顔を見られただけで、一年近くもゲームしてた甲斐があったってもんだ」

「あんた、遅くなる用事ってそんなことだったんだ……」

 勲子もその態度に若干引き気味だが、軽く咳払いをしてから話を先に進めた。

「それは良くないけど、置いといて次。彼女は保倉遙香。若くて優秀なエンジニアです」

「よろしくお願いします!」

 遙香は元気一杯に言って頭を下げた。

「ピチピチの二十四歳です。男性諸君は彼女から座学を教えてもらえて良かったわね」

「ちょ、年まで言う必要ないですよね」

 遙香が抗議をするが勲子は、分かってないわねえ、と首を振るだけだった。

「以上三名が『パイロット育成プロジェクト』の正規メンバーとなります。少人数だから覚えやすいでしょ? あ、そんな不安そうな顔しないで。勿論、広報の人とか『TURBO』のスタッフさんも様子を見に来てくれるし、教官とか調理師さんとかお医者さんとかは別にいるから」

 候補生たちの露骨に不安がる顔を見て、勲子は慌てて注釈を入れた。

「――で、ここからはプロジェクトの内容についての話を。軽くだけど」

 勲子の顔つきが変わり、遙香が『パイロット育成プロジェクト』と書かれた冊子を配る。

「事前に配った書類に少し修正が加えられてるから、みんな一緒に確認してね」

 冊子にはプロジェクトの詳細なスケジュール表が乗っていた。

「訓練は大きく分けて三つの段階に分けられるわ。第一段階はパイロットの資格、正確には自家用操縦士免許の取得。第二段階はエアロバティックス(曲芸飛行)の練習。第三段階は来年のレースに向けた特訓。――まずは、第一段階の前半。今日から二週間は、うちの工場を研修施設として免許を取るために必要な座学の勉強をしてもらうわ」

 勲子は「気は早いけど」と前置きしたうえで更に今後のスケジュールを説明する。

「国内での研修を終えたら、第一段階の後半。ここからロサンゼルスの訓練施設に拠点を移すことになるわ。そこで教官のパイロットの元で訓練を受けて、大体二カ月くらい、六月の終わりまでに全員にパイロットの資格を取ってもらいます。あ、言い忘れたけど、試験は英語で受けるから苦手な人は英語の勉強も同時進行で行うことになるわ」

 颯は英語の勉強と聞いて、少しだけ気が重くなった。

「資格を取ったら第二段階。七月から九月はエアロバティックス(曲芸飛行)の練習。ここからが、ちょっときつくなってくるわ。九月末には模擬レースを通して試験を行います。申し訳ないけど、ここまでの訓練で適性がないと判断された人は脱落となります」

 周囲の空気が少し重くなった気がした。

 けれど、全員がそれを覚悟してここにきていることは颯にも分かった。

「ここで問題がなかったら、さらにエアロバティックスの基礎練習を続ける。訓練の進捗次第では、十一月末にあるエアロバティックスの大会にも参加してもらう予定だわ。そして、第三段階。レースに向けての本格的な訓練が始まるわ」

 勲子はそこで一息を入れて、手元の冊子をめくった。

「そこから二月まではずっと訓練。三月には帰国してライセンスを国内のものに切り替え。そして、国内での操縦訓練。予定では来年の六月に日本で行われるエアレースの『特別レース』に参加ということになるわ」

 まとめると……。

 第一段階、三月から六月が免許取得。

 第二段階、七月から十一月が曲芸飛行の基礎練習。

 第三段階、十二月から六月までがレースに向けた本格的な訓練。というわけだ。

 分かってはいたが、とても現実的な習得速度とは思えない。

 いくら、『AIR ACE』による疑似的な訓練を千時間近く費やしているとしてもだ。

 「世知辛い話だけど。これだけ厳しい訓練をやり切っても、最終的に私たちがパイロットとしてのサポートを続けられるのは、レースで優勝した一人だけです」

 当然周知の事実だが、他の候補生たちと知り合ってから聞くと重みが違う。

「この企画に参加するにあたって、内定を辞退した人、大学を休学した人もいるわよね。そうじゃなくても、みんな若い時期の大事な一年を掛けてこの企画に臨んでいる。都合のいい話だけど、私は選考を外れたメンバーにも、この貴重な経験を生かしてそれぞれの人生を歩んで行って欲しいと思っています」

 勲子は真剣な表情で候補生たちを一人一人見つめた。

 それから、重い空気を壊すように両手を叩いて笑顔を浮かべた。

「――でも、今はまだ新しい仲間との出会いを大切にして、楽しみましょう。もう、書類はしまっちゃっていいわよ」

 颯は指示された通り冊子をしまいながら、もう終わりかと思った。

 勲子が話し始めてから5分ほどしか経っていない。

「それで、今日残りの時間、ここで何をするかといいますと。ぶっちゃけると、皆さんにお偉いさんたちの話を聞いてもらいます」

「おー、やっぱり、そういことかぁー」

 勲子の話を聞くなり、入鹿は面倒くさそうに椅子にもたれ掛かった。

(確かに、今の話だけならわざわざ本社でやる必要もないよな……)

 颯も気が抜ける一方で、急に体がだるくなった。

「皆、気持ちはわかるけど我慢してね。別に後でレポートの提出とかさせないから、聞き流しちゃっていいわよ」

 あんたも大概はっきり言うな。と颯は内心突っ込んだ。

「で、いろいろ言われると思うけど、あまり重荷に感じずにやって欲しいわけです。そうじゃなくても大変な訓練なのよ。だから、これから先、困ったことがあったらここにいる三人をいくらでも頼って欲しいわ」

 勲子は自信たっぷりに候補生たちを見渡した。

「私からは以上。プロジェクトの詳細については、明日以降に話すわ。これが終わって移動が済んだら、お偉いさん抜きで食事会。それまで、お互い頑張りましょう!」

 その数分後、勲子の言う通り、次々と会社の役員たちが現れた。

 名目上の『説明会』が始まると、彼らは代わる代わるに、パイロット候補生たちを激励していった。彼らの話から、会社における企画の評判が当初あまり良くなかったことや、それを勲子たちが懸命にプランを練り、スポンサーを集い、実現まで漕ぎつけたことが分かった。

 長い『説明会』が終わると、颯たちは役員たちに囲まれて、写真を撮ることになった。

 心が落ち着かず、周りの候補生たちの表情が自然と目に入る。

 貴広の表情は相変わらず硬いが堂々としていて、雪兎は隙がなく笑顔は事務的だ。弥勒は無理なく笑顔を浮かべ、初奈はマイペースにリラックスした感じ。入鹿は話の最中のときは退屈そうだったのに、撮影になった途端活き活きとし出した。

 颯はシャッターの光を浴びながら、自分がこうして立っていることが、なぜだか場違いに思えた。



 説明会が終わり、颯たちは会社の小型バスに乗って『国内研修』を行う愛知県を目指した。

 長い時間を掛け、目的地である『藤咲重工』の工場に到着する。

 颯たちはそこで学生ビザの申請など、海外留学や訓練に必要な各種手続きを進めた。

 全てが終わる頃には日はとっくに暮れていて、食事会が始まる頃にはすでに午後八時を回っていた。

「――乾杯!」

 ステーキ屋の一角で、スタッフと候補生たちは残った体力を振り絞るように杯を掲げた。

「さあ、飲みなさい。食べなさい」

「チーフが奮発するのはおそらくこれが最初で最後だ。良く味わっておけ」

 颯たちはその言葉に甘えて、各々好き放題注文をした。

「交流会ってことだし。それじゃ、軽く自己紹介してもらおうか。朝はドタバタしてて、まだお互いのことをよく知らないだろう」

 任が十分程で泥酔した勲子に代わり、場を取り仕切る。

 颯は遂に来たか、と軽く身構えた。胃の奥がきゅっとしまるようだった。

 これまでは上手く避けて来たが、流石に一年間一緒に過ごす以上、どこかで越えなければならない壁だ。

「まあ自己紹介といっても、就職先の新歓じゃないんだ。この企画とか、エアレースに対する思いとか、意気込みを語ってくれればいい。気楽にな」

 任は朗らかに笑ったが、颯は油断せずに周囲の空気に気を配った。

「じゃあ、年齢順ってことで。まずは川崎くんから」

「へーい」

 入鹿はやる気のない返事をして立ち上がると、何故か全員に向けて両手の平を見せた。

 くるりと手の甲に返して両手を交差させると、右手の平を見せる。

 すると、さっきは持ってなかった小さなイルカの人形が手の平の上に乗っている。

それを二回三回と、繰り返すたびにイルカが増える。イルカはすぐに手の平から飽和し、最後には袖口に仕込まれたそれらが一斉に零れ落ちる。

(一体、このネタのに同じフィギュア何個買ったんだ……?)

 手品としてのカタルシスなどあったものではなく、颯はどうでもいい疑問を浮かべた。

 一方で、遙香は素直に驚いて、ぱちぱちと拍手をする。

「『ドルフィンTV』の川崎入鹿です。この企画に参加したのはパイロットの資格が欲しいのと、動画のネタになるのと、一年間の生活費が浮くからです。以上」

 薄々感じてはいたが、こいつはすごい奴だな。と颯は感心した。

(きっと、今言った動機も何一つ嘘じゃない)

 安定した人生とか、そういうのは最初から視野に入れていないことが、その態度からも分かった。

 ここまで堂々としていられる度胸には少なからず憧れる。

 入鹿の次は、弥勒、入鹿とは正反対に姿勢を真っ直ぐに伸ばしている。

「古門弥勒です。今月に大学を卒業しました。今回の企画に参加したのは、若いうちに自分の可能性を試しておきたいという思いと、単純な好奇心です」

 弥勒も堂々としているという意味では、入鹿に引けを取っていない。

 同年代の三人は席順で雪兎、貴広、颯の順番になった。

「北上雪兎です。エアレースのパイロットになりたいという気持ちは以前からあったけど、諦めていました。企画に参加したのは、友達が企画を勧めてくれたのと、エアレースにマノン・アストル選手が参戦したことが理由です」

 マノン・アストルという名前を聞いて、颯を含む何人かが反応した。

 マノンは去年エアレースの『チャレンジャーズカップ』に参戦した初の女性パイロットで、全仏エアロバティックスのチャンピオンにも選ばれた経歴を持つ実力者だ。

「マノンの活躍は印象的だったな」

 貴広は昨年のレースを思い出すようにそう呟くと、雪兎に代わって席を立った。

「黒鳥貴広。フライトを初めて見たのは中学生の時、海外で開かれたエアロバティックスのショーです。俺のそれからの目標はパイロットになること一つでした」

 貴広の声は静かだったが、そこには並々ならぬ執念が感じ取れた。

「親を納得させるために大学に行きながら、免許を取るために貯金をしてきましが、この企画の存在を知ってプランを切り替えました。――エアロバティックスの世界では、誰にも負けるつもりはありません」

 飾らない、あまりにも真っ直ぐな言葉にその場の全員が一瞬面食らって固まった。

「はっ、言うじゃん」

 少し遅れて、入鹿がその宣戦布告ともとれる発言に答える。

「…………」

 颯は自分でもまずいと思いながらも、貴広が座る前に立ち上がってしまった。

 無難に終わらせるつもりが、変なスイッチが入ってしまった。

「矢浪颯です――」

 無難に済ませろという、心の声を颯は無視した。

 ここで怯んでいるようでは、どのみちパイロットになんてなれない。

「高校を卒業してからは、パイロットの資格を取るためにトレーニングと、アルバイトで資金集めをしてきました。『AIR ACE』の企画が渡りに船だったのは、黒鳥くんと一緒です」

 颯は真っ直ぐに貴広を見据えて微笑み、貴広の言葉を真似た。

「俺もこの世界で一番を目指しています」

「……そうか。負けてられないな」

 貴広は真正面からそれを受け止めると、静かにため息をついてその場に座った。

「お前ら、凄いな……」

 任は小声で感心しながらも、愉しそうに笑っている。

 颯が座ってからも場には変な空気が残った。

「あのー。この流れで恐縮ですが、初奈いきまーす」

「あ、ああ? に、初奈ちゃんいいぞー」

 一瞬寝落ちしていた勲子が目を覚まし、初奈を煽り立てた。

「針貝初奈です。デザイン系の専門学校に通っていました。課題とゲームとの両立が大変だったけど、なんか選考通過したんでプロジェクトに参加しました」

 有り難いことに状況を知らない勲子が率先して拍手をしたことで、周りも便乗して盛り上がり、何とかこの自己紹介を締めることが出来た。

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