第39話
濃い煙と焦げ臭い匂いが、爆発の後の空気に絡みつく。
その中を、ジーファは勢いよく腕を振り払い、獰猛な光を宿した目を細めた。
ゆっくりと歩み寄り、ブラウンが本当に息絶えたかを確かめるために。
目の前に転がるのは、もはや人の形をほとんど留めていない瀕死の肉体だった。
半身は黒焦げに焼けただれ、炭のような皮膚からはまだ燻る煙が立ち上っている。
生きてはいる……だが、その呼吸は今にも消えそうな微かな残り火にすぎなかった。
その瞬間、ジーファの口角が狂気に歪む。
乾いた笑いが漏れ、やがて荒野に響き渡る哄笑となって爆ぜた。
それは勝利を謳う凶暴な楽曲のようであり、両腕を失おうと、なお学徒一人を粉砕できるという誇示だった。
その顔に満ちた愉悦は、まるで人生最大の戦果を掲げるかのように誇らしげだった。
ブラウンは動かない。
燃え尽きかけた体から立ち上る煙、焦げた肉の匂いと生々しい血の臭いが入り混じる。
絶望の中で、涙が静かに頬を伝う。
それは肉体の痛みのためではない――ルーカスとフェリックスの前に立ち、謝罪を告げることができなかった後悔のためだった。
わかっている。
今の自分の体は、たとえ最高位の回復魔法であっても救えないと。
その頃、別の場所でアコウは、計画の軌道を外れる何かを直感していた。
胸を締めつける不安に駆られ、全速力で爆発のあった方角へと駆け出す。
背中を冷や汗が伝い、心臓が胸を破りそうな勢いで脈打つ。
戦場では、ジーファはブラウンをすぐには仕留めなかった。
焼け焦げたその体を何度も蹴りつけ、瀕死の呻きを愉しんでいた。
「……まだ走れるか?」
低く唸るような声が、耳を裂くように響く。
一撃ごとに、皮膚は裂け、骨の破片が地に落ちる。
煙と焦げ臭、そして炎の唸りが混じり合う。
やがてブラウンの瞳は濁り、完全に闇へと閉ざされた。
その魂は、ついにこの壊れ果てた器から離れていった。
――そして、その瞬間。
アコウが駆けつけたが、もう遅かった。
眼前に広がるのは、かつて力強く頼れる存在だった者の――今や煙を上げる灰の塊と化した無残な姿。
怒りの奔流が全身を駆け巡り、血管という血管を灼く。
手が震える。
アックが去り際に告げた言葉が脳裏に蘇る。
この世界は、本当に残酷だ。
声はかすれていたが、その奥に燃えるものは消えない。
「……俺は、警告したはずだろう。ナサニエル・クロウリー。」
ジーファが振り向き、目を細める。
何か言おうとした瞬間、銀色の閃光が空を裂いた。
雷鳴のような鋭い音と共に、前方の煙が真っ二つに切り裂かれ、跡形もなく消える。
カラスの反応がなければ、その一撃でジーファは即死していただろう。
アコウはそこに立っていた。
その瞳は、先程の刃と同じ冷たさを湛えている。
カラスはジーファを引き下がらせ、森の奥に向けて鋭く口笛を放った。
仲間たちが一斉に飛び出し、飢えた獣の群れのようにアコウを取り囲む。
「……全員殺せると思ってるのか?」
カラスは傲慢に笑った。
その頃、別の場所ではナサニエルが、惨劇を止めるため狂ったように駆けていたことなど知る由もない。
アコウは短剣を握り直し、氷のように冷たい声を放つ。
「やはり……お前らは、あの事件から何も学んでいない。
ならば俺が、この試験を終わらせる――“カラス狩り”でな。」
誰も気づいていなかった。
アコウの内から溢れ出す怒りは、もはや誰にも止められないことを。
ジーファが再び前に出る。
その声は侮蔑に満ちていた。
「どうした? 俺を殺して復讐でもするつもりか?
見渡してみろ、お前のSランク共はここにはいない。
……それとも、頭を使って逃げ出すか?」
煙の中、アコウの瞳は一切揺れなかった。
そこにあるのは、ただ嵐の到来を告げる沈黙。
カラスの子分たちが武器を構え、目に殺意を灯し、一斉にアコウへと距離を詰める。
獲物を追い詰める狼の群れのように。
――シュッ。
空気を裂く音と共に、アコウは冷たく短剣を放った。
刃は正確に一人の額へ突き刺さり、骨に触れた瞬間、爆裂が発動する。
乾いた破裂音、飛び散る血と骨片。
頭部は黒い空洞と化した。
躊躇なくアコウは駆け寄り、死体から短剣を引き抜く。
その瞳に一片の感情も宿さず。
残った者たちは恐怖に叫びながらも、なお無謀に突撃する。
先頭の男が剣を横薙ぎに振るう――だが、その手首は一瞬で背後に捻り上げられた。
体を半回転させて武器を奪い、悲鳴を上げる間もなく、腹部へ何十回も刃を突き立てる。
肉を裂く湿った音と共に、熱い血がアコウの腕を濡らす。
まだ絶命していないその男を、アコウは盾代わりに引きずり出し、背後から放たれた矢を受けさせた。
矢は背中に突き立ち、断末魔が響く。
アコウは死体を弓兵へと押しやり、影のように追いすがった。
弓兵が再び弦を引く前に、轟音が響く――ジーファの爆破だった。
煙と土埃が視界を覆う。
「早く逃げろ! 近づかせるな!」
ジーファが怒鳴る。
だがその煙の中から、突然死体がジーファへと飛んできた。
反射的に彼は爆破を再度発動し、肉片を血の雨に変える。
カラスは即座に高度を上げ、戦況を俯瞰しようとする。
だがアコウは、それを許さなかった。
空中でカラスの足首を掴み取る――まるでかつてイチカワがやったように。
まだ治りきらぬ傷の下で、爆裂が炸裂し、膝下の骨を粉砕する。
そのまま地面へ叩きつけ、地面がひび割れる轟音が響く。
カラスは血を吐き、目を見開いた。
恐慌に駆られ、必死に羽ばたいて距離を取る。
ジーファも、この相手が凡庸な存在ではないと悟った。
一瞬だけ背を向け、再び振り返ったとき――アコウはもう目の前にいた。
喉を掴まれ、持ち上げられ、そのまま地面に叩きつけられる。
鈍い骨の折れる音が響く。
アコウは短剣を引き抜き、心臓めがけて振り下ろす――しかし、その刹那、ナサニエルが割って入った。
瞬間移動の勢いを乗せた蹴りがアコウの脇腹を打つ。
不意を突かれたはずなのに、アコウの戦場で鍛えた反応は常識を逸していた。
即座にナサニエルの脚を絡め取り、引き寄せざまに太腿へ何度も刃を突き立てる。
鮮血が飛び散り、足元の地面を赤く染める。
悲鳴がナサニエルの喉から絞り出された。
彼はやむなく距離を取り、傷口を押さえながら荒い息をつく。
「……俺は、君の仲間を襲うつもりはなかった。
こいつらが勝手に動いたんだ。許してくれ。」
ナサニエルは痛みに耐えながら声を絞り出す。
しかし、頬をかすめる鋼の閃きが走った。
細く深い血の筋が残る。
目を見開いた時には、アコウがすでに眼前に迫っていた。
刃と関節を駆使した死の連撃。
息をつく間もなく、ナサニエルは防御一辺倒の絶望的な状況に追い込まれていく――。
アコウが使う技――軍事格闘術グロモヴォイ・ルコパーシュヌイ。
それは古きロシアの戦闘流派、システマやサンボの系譜を受け継ぎ、さらに獰猛に研ぎ澄まされた殺人術だった。もはや競技や演舞のための武術ではない。存在意義はただ一つ――敵を最速で殺すか、完全に無力化すること。
簡潔・直線的:無駄な動きは一切なく、放つ一撃一撃が致命を目的とする。
状況適応:立ち技、投げ、関節破壊、武器奪取――すべてを瞬時に切り替える。
急所狙い:眼、首、喉、膝関節、肋骨――相手を即座に沈める部位のみを狙う。
不意の武器使用:ナイフ、棍棒、ロープ、あるいは手にしたあらゆる物を殺傷具へと変える。
アコウと対峙した敵は、ほとんど反応すらできない。
わずか数手、そして地面は血に染まる。もしネイサニエルの介入が一瞬でも遅れていれば――今頃、ザイファの命はアコウの刃の下に転がっていた。
燃え盛るようなアコウの怒気の前で、ネイサニエルは再び自らを低くして言葉を紡ぐしかなかった。声は低く、切迫しながらも状況を熟知した者の冷静さを失わない。
――今回の一件は、部下たちが独断で動いた。自分の許可を得た行動ではない。だからこそ、すべてを掌握することは不可能だった。もしアコウが今回だけは矛を収めてくれるのなら、これは借りにすると誓う。未来、アコウが望むときには、カラス一味の全力をもって援助すると。
その言葉に、ザイファはわずかに驚愕した。
あの残忍で傲慢なネイサニエルが、このように頭を下げるとは――。
だがアコウは意に介さない。
今ではない。怒りに焼き尽くされた理性の中で、取引も、利害も、勝敗も意味を失っていた。
これはブラウンのためだ――。
つい先日ようやく歩み寄りかけた友が、今、永遠に眠ってしまったのだ。
これまでの戦いで、アコウは一度もブラウンを戦場に立たせなかった。
彼が何かを隠していることを知っていたし、その力が皆の想像とは違うことも理解していた。
もしブラウンがあの教会へ足を踏み入れたら、生き延びる確率は限りなく低い――そう分かっていた。
だから何事もなく終わるはずだと、信じてしまった。友を誰一人として失わずに済むと、そう思い込んでいた。
だが今、まだ名も浅い友情は、冷たい亡骸となって足元に横たわっている。しかもその遺体を、ザイファは無機物の玩具のように踏み躙った。
怒りが心臓を締め上げる。
脳裏に次々と蘇るのは――月明かりの下、仲間と肩を並べて飲み笑い合った夜。
フェリクスやルーカスに謝ろうと、不器用に言葉を探すブラウンの姿。
ぎこちない冗談で三人の友情を繋ぎ止めようとした、あの必死さ。
すべてを見てきた。
だが今では、その全てが未完のまま、取り返しのつかない記憶となった。
ブラウンが言いたかったことを言い切れなかったことが、悔しい。
それを見抜けなかった自分に、さらに怒りが燃え上がる。
少しでも深く考えれば分かったはずだ――ザイファのような男が、敗北を素直に受け入れるわけがない。必ず誰かに怒りをぶつけると。
そんな単純な予測さえ、見落とした。
自嘲が胸を抉る。
アックはかつてアコウを「天才」と呼んだ。だが仲間一人守れない者に、文明そのものを背負う資格があるのか?
大切なものすら守れないのに――。
今もなお、ザイファがブラウンの亡骸を弄んだあの光景を思い出すたび、血管が爆ぜそうになる。
ネイサニエルの言葉が嘘でないことは分かっている。
だが、この煮えたぎる憎悪を、どうして受け入れろというのか。
「分かった」と静かに頷けるはずがない――友の体温が、まだ消えてもいないのに。
――否だ。
ここに、赦しなど存在しない。
アコウは立ち尽くし、その瞳を二本の刃のようにネイサニエルへと突き刺した。
声は掠れ、隠しようのない痛みを孕みながらも、明確な殺意を帯びていた。
「そいつを守れるというのなら、全力でやってみろ。
あるいは置いていけ……そして消えろ。」
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