第26話

ルーカスは優秀な人間でありながら、自分自身に満足したことは一度もなかった。


「期待通り、君は見事に試験を満点で突破したな。」


歓声が講堂中に響き渡り、絶え間ない拍手が波のように彼を包み込む。

だが、その喧騒の中で、ルーカスは静かに心の中で呟いた。


――あの試験、決して易しくはなかった。何が「期待通り」だ。俺が突破できたのは……ただの運だ。実際、どの問題も五分五分の賭けに過ぎない。


ぎこちない笑顔で拍手を受け止めながらも、ルーカスはただ――生き延びたことに安堵していた。

だが、その後はどうなる?


次から次へと積み重なる期待。

「ルーカスなら必ずやれる」「必ず相手に勝つ」――そう言われ続け、彼はその期待を裏切らぬよう、昼夜を問わず訓練に明け暮れた。


――もし一日でもサボって……そして負けたら?


その瞬間、皆の失望した目を思い浮かべただけで、背筋に不安という名の寒気が走った。


「最悪だ……この感覚は、本当に最悪だ。」


彼の成し遂げたことは、誰にでもできることではない。

だが、ルーカスの成功は、周囲からすれば当然の結果でしかなかった。

彼らは恐怖を見ず、ただ輝きだけを見ていた。


周囲の期待に押し潰されるように、彼は毎日さらに高い壁へと挑み続けた。

だが、ルーカスは知っていた――その感覚がどれほど酷いものかを。


――誰もいない場所へ行かせてくれ……努力も、失敗の恐れもいらない。森の中の小さな家、庭と広い湖だけあればいい。もう頑張らせないでくれ……もう十分だ……。


イヤホンから響くアコウの声が、その妄想を断ち切った。


「大丈夫か、ルーカス? ゾアが救援に向かってる。死ぬなよ。」


目の前の光景はぼやけていた。

ルーカスは古びた大聖堂の巨大な壁にもたれ、地面に座り込んでいる。

草を揺らす風が頬をかすめ、全身は血にまみれ、胸には深々と刻まれた四本の斬撃跡。額から血が流れ、両腕は力なく垂れ下がっていた。


全身を引き裂くような痛みの中、彼はかすれた声で呟く。


「俺は……負けたのか?」


アコウは淡々と答えた。


「ああ。君はクレイスに完全に敗れた。今ゾアが向かってる。もう無理するな。」


ルーカスは微かに笑った。

「そうか……負けちまったか。」


その瞬間、奇妙な感覚が全身を駆け抜けた。

――軽い。肩の荷がすべて落ちたような。人生で初めて、深く息ができたような。


草木が鮮やかに映え、頬を撫でる風がやけに優しい。痛みが薄れ、すべてが……美しい。

その光景とは対照的に、少し離れた場所からは武器がぶつかり合う衝撃音が響き渡っていた。

クレイスの能力によって召喚された魂が、一閃を放ち、蒼白い閃光で空気を切り裂く。

燃え上がる大鎌はゾアの服をかすめ、胸元に長い裂け目を残した。


ゾアは荒く息を吐き、全身に無数の傷を負っていた――すでにしばらく戦っているのは明らかだった。


「キングとあんたが同時に現れるなんて……どうして俺のところには、こんな化け物ばかり寄ってくるんだ?」

息を切らしながら、ゾアは顔をしかめる。


対するクレイスは動こうともせず、背中の剣すら鞘から抜いていない。

戦いの初めから、彼が動かしているのは召喚された魂だけだった。


「お前も強い部類だろう? Sランクなんだし」

クレイスは淡々と言い放つ。


確かにゾアの能力はSランクだが、実際に使えるのは数ある召喚武器のうちの剣だけ。

そのため、世間が思うほど強くはない。

破壊不可能な剣を扱える、それだけの存在だった。


――


この時、武器とエネルギーについての真実が少しずつ明らかになっていく。


例えば、シェン・ユエの竹筒は、もとはただの家にあった日用品に過ぎない。

では、なぜあれほどの力を持っているのか?


答えは「エネルギー」という概念にあった。

使用者は武器に自らのエネルギーを注ぎ込み、それを自分の体の一部のように変えることができる。

その時の武器の強さは、使用者のエネルギー値を反映する。

値が高ければ高いほど、武器は強力になる。

しかし、相手との力の差が大きすぎれば、破壊されることもある。


では、ゾアの能力による武器はどうか?


破壊できない。

どれほどの力の差があっても、その武器は決して壊れない。

ゾアの意識が消えた時にのみ、武器は消滅する。

ただし、与える威力は、ゾアが注ぎ込むエネルギー値に依存する。


――


場面は豪奢な部屋へと移る。

貴族たちが大きなスクリーンで戦いを観戦していた。


ある男が怒りのあまりワイングラスを叩き割った。


「ふざけるな! あのルーカスとかいうガキは、レオポルト・フォン・シュタインとイゾルデ・フォン・シュタインの息子じゃないか!」


レオポルトとイゾルデ――どちらも名の知れた大貴族だ。


「かつては相当な才覚があったと聞いたが、今じゃCランクにすら負けるのか? 一族の恥さらしだな」


宴の主催者が、失望を隠さずに口を開いた。


別の貴族がぼそりとつぶやく。


「俺の金をあれだけ注ぎ込んだのに……負けだと? Sランクだと? まやかしじゃないか」


主催者は肩をすくめた。


「あいつは俺たちのようにぬくぬくと暮らすのを嫌い、その学園に行って命を張る道を選んだ。おそらくは、無能ゆえに親に追い出されたんだろうよ」


――戦場が揺れた。


ゾアは全力で一撃をクレイスへと叩き込む。

雷鳴のような速さで剣が突き進む――しかし、まだ足りない。


白鎧の騎士の魂がその一撃を受け止め、大鎌を振るい、容赦なくゾアを吹き飛ばした。


だが、ゾアは止まらない。


地面に着くや否や、バネのように跳ね起き、再び剣を振り上げて突進する。

刃は稲妻のように空を裂いた。


金属の激突音が辺り一帯に響き渡る。

ゾアと白鎧の騎士の死闘が始まった。

上空から見下ろせば、蒼白い火花が宙に描く線は幻想的でありながら、息を呑むほど苛烈だった。


ゾアはただ闇雲に斬っているわけではない。

長年の鍛錬で身につけた全てを駆使していた。


――ハーフソーディング(握刃術)。


左手で刃の中央を握り、槍のように扱って相手の鎧の隙間を正確に狙う。


その突きが的中し、騎士は苦痛に唸りながら後退する。

そして、下から上への弧を描くように大鎌を振り上げた。

蒼白い炎が空を裂き、まばゆい閃光となる。


ゾアは冷静に一歩下がって回避し、嵐のような連撃で反撃した。


やがて騎士の防御が崩れ始める。

だが――轟音と共に咆哮が響き、周囲の草花を吹き飛ばす突風が巻き起こった。

ゾアは思わず目を閉じる。


目を開けた時、白い影はもう目の前にあった。


――ザシュッ!


大鎌がゾアの胸を裂く。完全には避けきれず、血が溢れた。

ゾアは歯を食いしばって痛みに耐える。


地面を転がりながらも立ち上がるが、騎士の姿はもうそこになかった。


いや――背後にいた。


横薙ぎの一撃。ゾアは振り返って受け止めるが、その衝撃はあまりにも強く、再び吹き飛ばされる。


次の瞬間、騎士の武器が大鎌から剣と盾へと変化した。


ゾアの目が見開かれる。


「……そんなことまで、できるのか?」


考える暇もなく、騎士は猛攻を仕掛ける。

一撃ごとに凄まじい衝撃が走り、ゾアの腕が震える。


ゾアは渾身の突きを放つが、その瞬間――騎士の反撃。


――リポスト(瞬間反撃)。


攻撃を受けた直後、相手の隙――首を狙う。


刃がゾアの喉元に迫る――だが、止まった。


ゾアは凍りついたように動けず、心臓が破裂しそうな鼓動を感じる。

二歩、三歩と後退し、顔は蒼白だった。


遠くから全てを見ていたクレイスが声を上げる。


「今回は見逃してやる。このままじゃ退屈すぎる。次は……本気を見せてもらおうか」


挑発的な言葉に、ゾアは剣を握りしめ、怒りを滲ませた。

だが、心の奥で認めざるを得ない――この相手は、本当に強い。


飛びかかろうとしたその時、冷たい手が肩に置かれた。


――ルーカス。


彼はゾアの肩を掴み、そのまま強く押し飛ばす。

ゾアは訳も分からぬまま、大木に叩きつけられた。


咳き込みながら顔を上げたゾアの視線の先――戦場の中央に立つルーカスの瞳が、別人のように鋭く光っていた。


――空が暗く染まる。


黒雲が渦を巻き、稲光が走る。


ルーカスの表情から恐怖は消え、狂気じみた笑みが浮かぶ。


「思いっきりやろうじゃないか! もう怖くない……だって、今の俺は負けても文句を言われないんだから!」


ゾアは言葉を失い、その場に立ち尽くす。


突如、上空に巨大な影が現れた。


厚い雲の裂け目から――雷竜が翼を広げ、雷鳴と共に咆哮を上げる。


「な……なんだと?!」

クレイスが目を見開く。


ルーカスは腕を伸ばし、地上を指差す。

次の瞬間、雷竜は天地を震わせる咆哮を放ち、稲妻の矢となって落下した。


その速度は肉眼で捉えられず、空間が波打つ。

全身を覆う雷光が空を焼き、死を刻む軌跡を残す。


白鎧の騎士は即座に盾を構え、黄金の光を纏い、奥義――パーフェクトガードを展開。


だが、それも一瞬だった。


雷竜が盾に触れた瞬間、大地は砕け、天地を揺るがす爆音が轟く。

炎の柱が立ち昇り、紅蓮の竜巻を形成。

稲光が空気を引き裂き、火の滝のように降り注いだ。


森の一角が一瞬で消え去る。


木々、岩、草花――すべてが粉砕され、黒焦げのクレーターが残った。


爆音の後、死の静寂が訪れる。

空気は灼熱と焦げた匂いに包まれた。


遠くからアコウが静かに見つめていた。

風が外套を揺らす中、彼の声は冷たく鋭く響く。


「本当の力を……見せてもらおうじゃないか、ルーカス」

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