第17話
禍憑の体が大きくのけぞった。
赤い瞳が蓮を捕らえた瞬間、その表情がわずかに歪む。
――また、あいつか。
そう言わんばかりの憎悪と警戒の色が混じった視線。
次の瞬間、禍憑は鋭く地を蹴り、背を向けて走り出した。
重い足音と共に、闇の中へその巨体が遠ざかっていく。
「逃がすか!」
蓮は歯を食いしばり、剣を握り直して全力で追いかけた。
だが、限界まで酷使した体は思うように動かない。
呼吸は荒れ、視界が揺れる。
あと少し、あと一歩――そう思った瞬間、足がもつれかけた。
諦めの影が胸をかすめた、その時。
鋭い足音と共に、蓮の横を影が駆け抜ける。
上司だった。
無駄のない動きで禍憑に迫ると、大上段から剣を振り下ろす。
斬撃が空気を裂き、禍憑の動きが止まった。
その隙に、背後から一匹の狐が飛びかかる。
銀色の牙が禍憑の胸に突き刺さり――硬質な音と共に何かを噛み砕いた。
禍憑の体が一瞬で灰に変わり、風に溶けて消える。
蓮はその光景を呆然と見ていた。
狐は上司の足元に戻り、何事もなかったかのように姿を霞ませる。
上司は剣を下ろし、低く呟いた。
「……おかしい」
振り返った顔には、戦いの緊張とは別の険しさがあった。
「これほど強い禍憑が、Cランクで現れたことは一度もない」
その言葉の直後、遠くから多数の足音が近づいてきた。
黒い制服の男たちが一斉に現れ、手際よく戦場を制圧していく。
負傷したハンターたちは次々と担架に乗せられ、蓮も腕を取られて引き上げられた。
意識が遠のく中、遠ざかる上司の姿だけが、霞んだ視界に残った。
次に目を開けた時、蓮は真っ白な天井を見上げていた。
鼻をくすぐる消毒液の匂い、静かに鳴る機械音。
自分が病院にいると気づくのに時間はかからなかった。
体を起こすと、隣のベッドで男が眠っていた。
同じ戦場で共に戦った、あの男だ。
カチャ、と扉が開く音がして、上司が入ってきた。
「調子はどうだ」
「……だいぶ良くなりました」
蓮の返事を聞くと、上司はふっと安堵の息を吐き、椅子に腰を下ろす。
その表情は戦場で見せた険しさとは違い、わずかに柔らかい。
蓮は迷った末、切り出した。
「……あの、狐のことを聞きたいんです」
上司の瞳が一瞬だけ鋭く光る。
「まだお前には早い」
その言葉は短く、余地を与えない。
すると、隣のベッドの男がうめき声をあげ、ゆっくりと目を開けた。
上司はその様子を見て「ちょうどいい」と呟く。
「二人に見せたいものがある」
そう言って、黒い封筒を机の上に置き、中から二枚の紙を取り出す。
――手配書だった。
一枚目には蓮の顔写真と名前、そして大きく書かれた金額。
懸賞金は五十万。
もう一枚には男の顔と、三百万の数字。
どちらも禍憑の標的として記されている。
「さっき殺した禍憑が持っていたものだ」
上司は視線を二人に向け、言葉を続けた。
「これから、禍憑もお前たちを優先的に狙うだろう」
病室の空気が一気に重くなる。
窓の外で、夏の蝉がけたたましく鳴いていた。
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