第27話

「あたしは山中 百合。幽の元クラスメイトで、今は会社員をしているわ」


「はあ……」


 名刺を貰いながら、そんな微妙な反応を返してしまう。

 僕たちは今、お寺の近くにある喫茶店に来ていた。理由はよくわからない。突然、この山中さんという化野の元クラスメイトを名乗る人物に連れられたのだ。


「それで――」


 注文を済ませて自己紹介を終えた後、山中さんはずいっとその身を前のめりにさせて僕を睨む。


「幽は今どこにいるの?」


「それは、僕にもわかりません」


「なんで? 会ってたんでしょ?」


「……視えなくなったんです。でも、化野とはつい最近まで会ってました」


 こんな不透明な発言、信じろという方が無理な話だ。彼女はしばらく黙って、それからまたも口を開く。


「どうして何の関係もないあんたが、あの子と知り合えたのよ」


「僕の方が、ずっと訊きたいですよ。理由もきっかけも、何も知りませんし……」


 僕と化野はどこか似ていて、けれどどこまでも違うような気もする。生きていたという証を求めているのは一緒だ。ただそのプロセスというか、どのようにその証を残すのかという部分が異なる。

 彼女の趣味も僕とは違うし、そんな共通点の少ない僕たちが引き合わされた理由は謎のまま。

 僕が諦めたように首を横に振って見せると、山中さんは溜息を吐いて椅子にもたれかかった。


「……そうよね。そもそも幽霊なんて不可思議な存在がいる前提で話すのもおかしいし」


「まだ信じてくれないんですか?」


「あたしは信じてるけどね。でも、それはあたしの感情であって理屈じゃないから。事実を紐解くのに、感情は邪魔なだけよ」


 きっぱりとそう言い放つ山中さんに、僕は思わず驚いてしまった。感情的な一面しか見ていなかったから、そういう風に考えられるとは思わなかったのだ。


「……いま、失礼なこと考えていない?」


「いや、全然そんなことないですよ?」


 おまけに勘もいいらしい。僕が冷や汗を流しながら否定していると、店員がやってきて注文の品を机に置いて去っていった。

 山中さんは届いたカップを手に取って、コーヒーを一口啜った。


「あの、山中さんと化野は、どういう関係なんですか?」


「……さっきも言った通り、クラスメイトよ。なに? 信じてないわけ?」


「いえ、そうじゃなくて……。ただのクラスメイトなのに、随分と親しそうだなって、そう思っただけです」


 それほど親しくもないクラスメイトならわざわざお墓参りに来ないだろうし、何より化野の話題になると感情の起伏が激しくなったように感じた。

 ふとした質問だったけど、山中さんは面食らったように僕から視線を逃がして、それから肘をついて口に手を添えた。


「――ちよ」


「え?」


「だから、友達なの。小学生の時からの」


 友達。別に化野と仲が良いのは特別なことじゃないきがするけど、どうして気まずそうに目を逸らすのだろうか。

 沈黙がしばらく続く。店内には微かにメロディーが流れており、他の人の話し声や食器を鳴らす音が時折小さく鳴る。

 僕も届いたアイスココアで喉を潤したところで、ポツリと言葉が零れ落ちた。


「……あの子、体が弱いから、小学校に来る回数もまあまあ少なかったの。でも、だからって塞ぎこむんじゃなくて、皆とできる限り話そうと頑張ってた。あたしにはそれが眩しくて。……それから、よく話すようになったの」


 僕はただ黙って、紡がれ続けるそれを受け取る。聞きたいことは幾らでもあったけど、できる限り、化野のことに触れていたかった。


「それで、星を観るのが好きだって言ってたから、色々な場所を探したの。よく見えて、できるだけ近い場所で。彼女の体調が良い時には、一緒に行ったりもしたわ」


 ぶっきらぼうに並べているけど、確かにその声には感情が宿っている。寂しそうで、憂いているようで、心の内を押し殺したように山中さんは続ける。


「でも、そうするべきじゃなかった。あたしが教えたせいで、あの子は、一人で星を観に行っちゃったの。……突然体調が悪くなったらしくて、そのままもう、会えなくなった」


 伏せた瞳が何を語っているのか、僕からは見えない。共感することはできるけど、それが正しいモノかどうか判別できなかった。

 それに、今話すべきは感情に寄るものではない方がいいのかもしれない。

 化野が話してくれたこと、それから連れて行ってくれた場所。山中さんの話しぶりから、化野が最後に選んだであろうその場所に、僕は心当たりがあった。


「……あの、その場所ってもしかして天嵐山ですか?」


「――っ!? どうして、あんたがそれを……」


 やっぱり、と。そう思うと同時に、少し心苦しさを覚えた。

 これは、化野と彼女との思い出だ。僕なんかが土足で踏み込んでいい場所じゃない。

 でもそれ以上に、化野と過ごしたそのことを、嫌なものにしてほしくなかった。


「化野に教えてもらいました。とても大切な場所だと、そう聞いてます」


「……そんなわけないでしょ。あたしが教えなかったら、あの子はきっともっと、長く生きられたんだから……」


 自分が天嵐山で星が観えることを教えなければ、化野が一人でそこに行くこともなかった。体調が急変しても、一人辛く苦しむことはなかった。彼女は、そう後悔しているようだった。落ち込む顔が、何よりもそれを物語っている。


「……化野は、そうは思ってません」


「あんたに何がわかるのよ」


「――僕じゃありません」


 星が瞬く一夜の夢の中。寂しそうに、嬉しそうに、語っていた彼女のことを思い出して、紡がれた思いを確かに掴んで、声に出す。


「化野が言ってたんです。今でも教えてくれたこと、二人だけの秘密だって、そう言ってくれたことが、何よりも嬉しかったって」


 山中さんの顔色が、変わる。半ば絶望していた表情に、俄かに色が付いた。

 僕も、はにかむ化野の姿を瞼に映す。幾つもの記憶の上に立つ彼女の想いを、僕には繋ぐ責任がある。でも、義務感でやっているわけじゃない。

 これは、僕の意志。他人事じゃなくて、きちんと彼女が過ごしたことを残す。

 それが、化野のためにできることなはずだから。


「……大切な場所だって、そう言ってました。だから、そんなこと、言わないでください――」


 声が、思わず止まる。

 向かう視線の先。山中さんの目元。光を十分に吸い込めるほどの大きな瞳から、溢れ出した一滴。

 それが彼女の頬を伝って、落ちていったのを、見てしまったから。


「……っ。ごめん、何か変なスイッチ入っちゃって……」


「いえ……」


 取り出したハンカチで涙を拭って、そうして落ち着いた様子で息を深く吐き出した。


「……卑怯よね。いなくなってから、そんなこと言うんだもの」


 その声からは、棘のようなものが消えていた。すっかり穏やかな日差しを連想させる声音は、やがて僕へと向けられた。


「ありがとうね。それと、ごめんね。キツくあたってた」


「……山中さんは、悪くないと思います。逆の立場だったら、苛立つ理由もわかりますから」


 化野が視える、という人物が他に出てきたとしたら、僕も戸惑うし冷静ではいられなくなってしまうだろう。

 いや、本当にそうなのか?

 山中さんの気持ちはわかるし、理解できるけど。でも僕は僕自身で、そうなっていることに疑問を抱く。

 僕と化野の繋がりはたった一つだけ。お互いに存在を認識し合える、というただそれだけのもの。過ごした時間も短くて、この夏のほんの一部に過ぎない。

 にもかかわらず、山中さんと同様に怒れると、そう自分が錯覚してしまっていることに違和感を覚えてしまっていた。


「どうしたの?」


「いえ……」


 顔に出てしまっていたのか、山中さんが不思議そうに尋ねてくる。相談するような内容でもないからすぐにはぐらかすと、彼女はふうんと興味もなさそうな相槌を寄越した。


「それにしても、白鳥君は随分と幽のこと気に入っているのね」


「気に入っているなんて、大げさですよ」


 そこまで化野のことを想っているわけではない。曖昧な感情を抱いていることに変わりはないけど、それは多分に、幽霊であるという要素を彼女が持っているからで。よくある男女の甘酸っぱいそれではない。

 そうかぶりを振るものの、山中さんはじとりとこちらを睨め付けてきた。


「自分の気持ちに嘘を吐くのは良くないわよ」


「嘘じゃありませんって」


「それじゃどうして、あの場所にいたわけ? あの子の、お墓の前にさ」


「それは……」


 即答できない。

 何を求めて僕は化野を探していたんだ?

 化野を探して、見つけたとして、そこから何を望んでいる?

 自分に問いかけてみても、答えなんてあるわけもなくて、返ってくるのは沈黙ばかり。黙ってしまうと、わざとらしく溜息を吐く音が耳に届いた。


「せっかく視てくれた相手が白鳥君みたいな人だと、あの子も大変ね……」


「……どういう意味ですか?」


「そのままの意味よ。幽も苦労してるなあって」


 遠くを眺めるように、ぼんやりとそう呟く彼女が示す言葉の内容を、僕は噛み砕けない。いや、忌避していたのかもしれない。

 彼女がどう思っているのかばかりに気を取られていて、自分がどう思っているのか、考えることをしていなかった。あるいは、したくなかったんだ。


「化野は、ただ自分のことを見つけてほしかっただけですよ」


 この期に及んでそんなことを言う。僕が化野の何を知っているんだと、心の内から叱責が飛んでくる。そして外からも同様の指摘が来ると身構えていた。

 化野のことを何も知らないくせにと、反論もできない言葉の矢が届く、はずだった。


「普通、そんなに親しくもない異性相手に自分の大切なこと、話さないと思うわよ」


 けど、山中さんが放った声は、子どもに諭すような、そんな落ち着いたものだった。またも僕は、沈黙に頼ってしまう。一秒が長く感じて、意識が薄く引き伸ばされているような感覚に陥る。

 麻痺している僕の思考に、彼女の声がさらに入り混じる。


「まあ後は本人同士で話すことね。あたしが口出すようなことじゃないわ。……特に、あの子のことについては」


 山中さんは瞳を閉じて、息を吐いた。


「あの子のこと、任せたわよ」


 そうして再び開かれた、鋭い視線に貫かれて僕の脳はさらに燻る。


「……僕なんかで、良いんでしょうか」


 つい、そんな言葉が出てしまっていた。逃げるために吐いたものではない。ただ漠然と、喉から競り上がってきたわだかまりが、形になっただけ。

 それを一瞥してから、彼女はコーヒーを飲み干した。


「誰もが舞台に立てるわけじゃないの。そこに行ける人は一握りで、望んでも同じ場所で、同じ視線で会話できるわけじゃない」


 カップが音を立ててソーサーに置かれる。それほど勢いが強いわけではなかったけど、そこには彼女から滲むもどかしさが顕れていた。


「あんた、自分が贅沢な悩みをしてることを自覚しなさいよね」


 苛立たしげにそう言い放った彼女は伝票を持って立ち上がる。僕もそれに続こうとしたけど、どうにも体を動かそうと思えない。


「じゃあね。あたし、先に出るから。会計は気にしないでいいわよ」


「……あの――」


 立ち去ろうとするその姿に、声を掛けた。何かを訊きたくてそうしたわけじゃない。ただ、ここで何も掴めないで終わってしまうと、必ず後悔する。

 そう思って立ち上がり、振り返る山中さんと目を合わせた。


「山中さんは、なんで視えるようになったんだと思いますか?」


「……知らないわよ。幽霊なんて、専門外だし。波長が合ったんじゃないの?」


「……そう、ですよね」


 答えらしい答えを期待していたわけではなかった。予想していた返事が返ってきて、僕は顔を俯かせる。


「わからないけど、でも視えた事実はあるんでしょ。そこに理由は必要?」


「……理由、はいりません。ただ、それが知れれば、もう一回彼女と話せると思って……」


「そんなに難しく考える必要なんてない気もするけど。幽も、そこまで回りくどい子じゃないんだし。そう思って過ごした方が、多分あんたにとって都合がいいわよ」


 山中さんの言葉は冷たいようで、けれどどこか優しく触れようとしているように感じる。気のせいかもしれなかったけど、向けられるその瞳にもどこか憐憫が含まれている気がした。


「それじゃあね。今日は、話せて良かったわ」


 喫茶店に紛れる山中さんの声。僕はそれに反応らしい反応も返せなくて。

 僕はただ彼女の言葉を反芻させて、それでも飲み込めないままに、その場で立ち尽くすことしかできなかった。

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