第16話
俺が考え込み始めた、そのとき――
「ふにゃ」
ユキが突然、前足で俺の膝をチョイチョイと突いてきた。
「うお、びっくりした」
見ると、ユキは完全に“かまってモード”に突入していた。
ソファーの上でゴロンと転がり、くるんと体をひねって、尻尾をぱたぱた揺らしながら俺にじゃれついてくる。
「いや、だから俺は今真面目にだな……おい、それはやめっ、くすぐった……!」
ユキはおかまいなしに、俺の指にじゃれつき、シャツの裾をちょいちょいと引っ張ってきた。
「……もう、ほんとにお前は……」
猫でありながら、どこか人間らしいしぐさ。 俺はその可愛さに完全にペースを崩されていく。
「トリガー探しは、もうちょっとだけ後回しでいいか……」
俺は猫じゃらしを片手に、リビングを駆け回った。
シャッと振られた先に、ユキが俊敏に飛びかかる。
その瞳は真剣そのもの――まるで戦場を駆ける戦士のような気迫だ。
そういえば、ユキとこうやってゆっくり遊ぶのは、初めてだ。
仕事でずっと1人にさせちゃってたからな。
こうして一緒に遊んでみると、ユキがどれだけ嬉しそうにしているか、よく分かる。
「……かわいいな、お前」
言葉が漏れたのは、きっと仕方ない。
その幸せそうな姿を見ているだけで、なんだか胸の奥がポカポカと温かくなっていく。
「……はぁ、はぁ……」
気がつけば、息が上がっていたのは俺の方だった。
「お前、どれだけ元気なんだよ……」
「にゃあっ!」
「まだまだ遊べるよ!」と言わんばかりに、ユキは再び猫じゃらしに飛びついてくる。
「ちょ、タンマ! 一旦休憩な、休憩!」
俺が音を上げてソファーに座り込むと、ユキは不満そうに「にゃあ!」と言う。
「……まったく、お前ってやつは……」
俺がソファーから動かないと見ると、ぴょんと俺の膝の上に飛び乗ってきた。
頭をすりすりと擦りつけて甘えてくるユキ。
「よしよし」
俺はユキの体に手を伸ばし、体を撫でる。
しばらくそうしていたかと思うと、くるんと丸まって、ユキの呼吸が一定のリズムを刻み始めた。
気づくと寝息を立てていた。
「寝るの早っ!」
なんだこのオンオフの切り替えの早さ。
でも、その寝顔は、なんだか見てるだけで癒される。
……その瞬間だった。
「……え?」
俺の膝の上に乗っていたその身体が、突然ずしりと重くなった。
感触が――変わっていく。
撫でていた毛が、ふわりと消える。
骨格が、身体が、スライドするように伸び、どんどん大きくなっていく。
その変化は、夢の中のようでありながら、恐ろしいほど現実的で――
「……ゴクッ」
生唾を飲み込む俺の目の前で、信じられない光景が広がっていた。
膝の上に、ユキが――人間の姿で、静かに眠っていた。
「こんなこと、現実に……あるかよ……」
猫が人間になる――
そんなおとぎ話みたいな日常が、今、俺の現実になっている。
外に出たら、ユキは猫に戻る。
けれど、ソファーで眠れば――また人間の姿になる。
「……なるほど、そういうことか」
点と点が線でつながった瞬間だった。
これはユキの力なのか?
それとも、このソファーの力なのか?
俺はしばらく呆然としていた。
どんな仕組みかわからないが、この奇妙な「人間⇄猫」現象が明らかになったことで、できることが増えていった。
まず一つ目。
昼間、俺が仕事の時にはユキをペットホテルに預けることができるようになった。
ユキを1人で留守番させなくて良くなったことは、俺の心に余裕を生んだ。
「相馬くん、最近調子良さそうだね?」
職場で、ふいに声をかけられる。振り向けば、そこには――
「はい。望月さんが紹介してくださったペットホテル、すごく良くて。ユキも毎日楽しそうで……おかげで、安心して仕事に集中できるようになりました」
俺がそう答えると、望月さんは満足げに微笑んだ。
「でしょ? あそこのスタッフ、猫の扱いすごく上手いのよ。私もたまに預けてるんだ。それでさ、この前“遊ぼう”って言ってた件だけど……今度の日曜はどう?」
「もちろん、いいですね。ユキも喜ぶと思います」
「そうだといいんだけど」
俺の胸の奥が、ポンと弾けるように温かくなる。
俺にとって最大の懸念事項だったのは、望月さんにユキの秘密がバレること。
でも、“外に出ると猫に戻る”と言う現象は、外ではユキの正体がバレることはないということ。
2つ目は、安心して望月さんに近づくことができるようになった。
次第に会社での会話は増え、ユキを介して、プライベートでも、会う頻度が高くなっていった。
望月さんがどう思っているかは正直わからない。
でも、俺にとっては、それはもう、デートと呼んでも差し支えないくらい、近しい関係になっていった。
会社が終わると、ユキを迎えに行き、ユキとともに帰宅する。
家では、共にご飯を食べ、甘えてきたり、戯れ合ったり、気まぐれに拗ねたり――そんなユキとの静かな時間を過ごす。
「よし、ユキ、そろそろ寝るか」
俺はユキをソファーに寝かせて就寝する。
しかし、朝、目覚めると、ユキはいつも隣で寝ていた。
「またこっちに来たのか。お前はほんと甘えん坊だな」
口ではそう言いながらも、顔が綻ぶのを止められない。
求められている、必要とされている、そんな気持ちをユキは与えてくれた。
可愛い寝顔を見ていると、俺の心は満たされた。
俺がふわふわの髪を撫でると、ユキはゆっくりと目を開ける。
眠そうな目をこすりながら、俺にぴったりとくっついてくる。
「おはよう……ユキ」
「……にゃ……」
服を着せて、ご飯を食べさせて、ユキをペットホテルに預けて出社する。
そんな毎日。
ちょっと不思議で、どこか心地いい。 この生活を、俺は――気に入っていた。
全てが順調に進んでいた。
でも、そんな幸せな生活は、長くは続かなかった。
ユキはすくすくと成長していった。
猫のスピードで。
ふと気づけば、足取りも、毛並みも、少しずつ大人びていく。
そしてそれに呼応するように、人間のユキもまた、日々成長していった。
“猫は成長スピードも早いし、1分1秒が大事なんだよ”
望月さんの言葉を実感する。
その成長スピードはまるで、時の流れを早送りしているような感覚で、俺はついていけなかった。
俺の心は次第に陰りを帯びていった。
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