秘密──初〇〇
第10話
朝。俺たちは対峙していた。
仕事に行かなければならない俺と、行かせたくないユキ。
今、戦いのゴングが鳴る。
ユキは俺が着ていくはずだったワイシャツの上で丸くなる。
「ユキ、どいてくれないか? 仕事に行かなきゃいけないんだ」
ユキは聞こえないフリをして知らん顔。
丸くなったまま寝たフリをする。
俺が少しでも動こうとすると、「シャー」と威嚇してくる。
無理もない。
昨日、俺が会社に行った後、寂しくて大変なことになっていたのだから。
だが、俺も負けるわけにはいかない。
この家の家計を支えているのは俺だ。
俺は昨日買った猫じゃらしでユキの気を引く。
「ほら、ユキ、猫じゃらしだぞ」
ユキの目の前で猫じゃらしを小刻みに振っていると、ユキの目はキラキラ光る。
必死に耐えようとはするものの、本能には逆らえず、その目はまさに獲物を狙うハンターそのもの。
その動きを追い、狙いを定め飛び掛かる。
ふっ。チョロいな。
猫じゃらしを追いかけ、シャツがガラ空きになった瞬間、俺はそれを羽織った。
「……く……にゃ……」
悔しがるユキ。
ユキは次にスラックスに飛び乗ろうとする。
「させるか!」
俺は寸前のところでスラックスを手に取った。そして急いで足を通す。
だがユキは諦めず、その足に飛びかかってくる。
「……くっ……邪魔するな、ユキ」
「にゃー」
スラックスを履こうとする俺とそれをさせまいとするユキの攻防戦が繰り広げられる。
***
「で、朝からそんなに疲れてるの?」
「は……はい……」
俺の情けない返事に、望月さんは口元を隠すようにクスクスッと笑った。
「仔猫相手に、相馬くんって面白いことしてるね」
「はい……。仔猫って言っても、ウチのは人間なんで」
「え?」
「あ、いえ、なんでも……」
俺は慌てて口を押さえた。
「でも、すごいね! 拾って3日目にしてそんなに懐かれているなんて」
望月さんは、そんな俺の様子に気づくことなく、目を丸くして感心していた。
「え? そうですか?」
「うん。押し入れやソファーの下に隠れて出てこない子も多いよ。仔猫と言っても、人間になれるのは結構時間かかるものだよ」
キラキラと輝く瞳で語る望月さんの言葉は、俺の胸にじんわりと染み渡る。
「懐かれるのは嬉しいんですけど、こう毎日引き止められるのは、胸が苦しいと言いますか……」
「まぁ、大きくなるにつれて落ち着いてはくると思うけど。もし、会社にいる間、見る人がいないなら、ペットシッターとか頼めば?」
「ペットシッター……?」
「そう。ベビーシッターのペット版みたいな。いない間に世話してくれる人。それか、ペットホテルに預けるとか。まだ仔猫だし、その方がいいよ」
「ペットシッターか……」
でもユキ、見た目は人間だからな。やるならベビーシッターか? でも中身猫だし……。
そう思っていると望月さんが顔を覗き込んでくる。
「
「別に、そう言うわけでは……。」
「本当に? なんか娘を独り占めしたいパパの顔してるけど」
望月さんの言葉に、俺は思わずたじろいだ。
「な、何を言ってるんですか!?」
顔が熱くなるのを感じる。しかし、望月さんは構わずニヤニヤと笑いながら続ける。
「だって、そう見えるよ? 『うちの子は俺が守る!』みたいな顔してるもん」
「そんなわけないじゃないですか! ユキは、ただの……」
「そんなに赤くならなくてもいいのに。別に飼い主さんが親バカなんて、よくあることだよ」
望月さんは「ふふっ」と笑う。
「相馬くんをそんなに骨抜きにしちゃうほど、可愛いユキちゃん、見てみたいのにな」
その言葉に俺の息が詰まる。
昨日写真を送らなかったことを、遠回しに指摘されているように感じる。
「いや、昨日はあの後、ユキが暴れて、写真撮れなかったので」
必死の言い訳だった。
「別にいいよ、そんなに誤魔化さなくても。……ユキちゃんを見るなら、別の方法があるから」
そう言うと望月さんは不適な笑みを浮かべる。
「さて、ここで問題です。猫を拾ったら、まずやらなければならないことは、なんでしょう?」
いきなりクイズを出された。
「え?」
戸惑う俺。
「ぶー。時間切れ。正解は、健康チェックとワクチン接種です。野良猫は様々な病原体と接触している可能性が高いから、これは必須だよ!」
望月さんはビシッと指を立てる。
「で、健康チェックをするには、どこに行くのが一番いいと思う?」
「えっと……病院、ですか?」
俺の答えに、望月さんはにっこりと笑う。
「正解! じゃあ、その病院に、ユキちゃんを連れて行かなきゃいけないよね?」
「そう、ですね」
「でも、相馬くんキャリーバッグ持ってないでしょ? それに、意外とあれに入れるの大変だったりするわけ。だから……」
望月さんは笑顔で言う。
「私が手伝ってあげる!」
俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
「も、望月さんが、俺ん家に!?」
「そ。丁度ウチの子達も、健康診断連れて行かなきゃなって思ってたとこだし」
「いや、でも……」
「ってことで、今週の土曜日空けといてね!」
俺の狼狽える様子など、目に入っていないかのように、どんどん話を進めていく。
「え!? 今週って、明後日じゃないですか?」
「だってもし病気持ってたらどうするの? 猫は成長スピードも早いし、1分1秒が大事なんだよ」
望月さんは詰め寄ってくる。
ち、近いですよ……! 望月さん。
その迫力に俺は何も言えなかった。
「じゃ、そういうことだから、よろしくね!」
望月さんは自分の席に帰っていく。
俺はしばらく呆然としていた。
──望月さんが家に来る? 俺の?
望月さんの言葉は、俺の心臓を高鳴らせる。
まるで夢のようた。
そんな世界線が俺にあるなんて……!
俺は胸を熱くさせる。
しかし、ユキを見られてはこの関係が終わってしまう……!
「今まで猫って言ってたのに、人間じゃない! 嘘つき!」
そう言って家を飛び出す望月さんの姿が目に浮かぶ。
期限は2日。
どうする? 俺。
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