第6話

 声をかけてきたのは望月もちづきさんだった。


 望月さんはこの会社の総務部の人。

 歳はたぶん俺と同じくらいか、少し上。

 けれど妙に落ち着いていて、大人びた雰囲気がある人だ。


 俺を見かけるとよく声をかけてくれる。


 俺が密かに憧れている人。


「あ、望月さん……いえ、別に、大したことじゃ……」


「えー! 大したことなさそうには、見えなかったけど」


 ニコリと笑いながら、鋭いツッコミを入れる。


「いや、まぁ……、トラブルはいつものことなんで」


「ふーん……」


 俺が下を向くと、まるで追いかけるように、俺の顔を覗き込む。


 その仕草に思わず息をのむ。


「目の下クマがすごいし……。……彼女さんと喧嘩でもした?」


 なんでそんなこと……。


「違いますけど。……俺、彼女いないですし」


「ふーん……」


 なんか納得いってなさそう……。


「じゃあ、何?」


「へ?」


相馬そうまくんが、クマができるほど悩んでること」


 望月さんはどうしても俺の悩みを知りたいようだった。


「……そんなに、俺に興味あるんですか?」


 俺の言葉に一瞬真顔になった後、意地悪く微笑んだ。


「……そりゃあ……ねぇ……?」


 なんだ、この含みのある言い方は……!

 そんなこと言われたら、期待してしまいますよ!


「で、なんなの? 悩んでることって」


 俺の思っていることなど全く気にも留めていないようだ。


「……実は……仔猫拾ったんですよ。……昨夜」


「猫?」


 望月さんはキョトンとした顔で言う。


「なんか生まれたばかりなのか、すごく小さくて、雨に濡れて震えていたので、つい……」


「へぇ〜……優しいんだ、相馬くん」


 望月さんはふっと表情をやわらげた。

 その表情に胸が高揚する。


「仔猫ってどれくらいの大きさ? 歯は生えてる?」


「そうですね……手のひらサイズで、階段一段分もない感じで、触るのも怖いくらいでした。……歯は一応生えてそうでしたけど」


「ふーん。うちの“みぞれ”を拾ったときくらいかな?」


「みぞれ?」


「うん。ウチで飼ってる猫」


「望月さんも猫、飼ってるんですね?」


「三匹ね。“みぞれ”と、“こんぶ”と、“あんこ”。全部元野良」


「すご……」


「だから、今日一日中そわそわしてたんだ?」


「……バレてましたか」


「そりゃあ。相馬くんわかりやすいんだもん」


 望月さんもくすっと笑った。

 そんなこと初めて言われた。


「相馬くん、猫飼ったことあるの?」


「いえ、全然。動物も飼ったことなくて、どうしたらいいか……」


「それで赤ちゃん猫? 結構チャレンジャーだね」


「ですよね……。何食べさせていいのかわからなくて、ちょっと調べたら薄めた牛乳なら大丈夫ってあったんであげたんですけど、大丈夫でしたかね?」


 望月さんは一瞬だけ真剣な顔になると、すぐに小さく首を横に振った。


「うーん……薄めた牛乳、ね。よく言われるけど、実はあんまりおすすめできないかな」


「え、そうなんですか?」


「うん。人間用の牛乳は猫にとって消化しにくい成分が入ってて、お腹壊しちゃう子も多いの。特に赤ちゃん猫だと、体力も弱いし、下痢になったら一気に危ないから」


「マジか……やばい、帰ったら様子ちゃんと見ないと……」


「とりあえず今日帰ったら、うんちチェックね。ゆるくなってないか、色が変じゃないか」


「了解です……」


「帰りにペットショップ寄れるなら、『ミルク』って書いてある専用の猫用ミルク、粉ミルクタイプのがいいかな。お湯で溶かして、ぬるめにしてあげるの」


「なるほど……ほんと助かります……」


「ミルクはお皿から飲める感じ?」


「……飲んでましたけど、皿に足突っ込んだり、前のめりで顔びしゃびしゃにしてましたね。なんか飲むのに必死って言うか……」


「じゃあ、まだ哺乳瓶かな。人間の赤ちゃん用じゃなくて、ペット用のちっちゃいやつがあるから、サイズ合うの買っておいで」


「まじで猫マスター……ありがとうございます、ほんとに」


 俺が思わず頭を下げると、望月さんは少し照れくさそうに肩をすくめた。


「ふふっ。まあ、うちも最初は全部手探りだったしね。夜中にネットで“子猫 ミルク 量 何ml”とか検索しまくってたよ」


「それ、昨夜の俺です」


 二人して吹き出す。

 少しの間、何か温かい沈黙が流れた。


「じゃあさ、私も一緒に行こうか? ペットショップ。必要なもの一緒に見てあげる」


「えっ……いいんですか?」


「だって、ほっとけないでしょ? 猫も相馬くんも」


「え? 俺も……?」


 望月さんは、意味ありげに微笑んだ。


「……いや、ありがとうございます。助かります、ほんと」


 望月さんの言葉が、じわじわと心に染み渡ってくる。


「じゃ、定時でパッとあがっちゃお。上司に“猫のためです”って言えば文句言えないでしょ」


「いや、それで通るの望月さんだけですよ……」


「そっか……。じゃあ、頑張って早く仕事終わらせて! 新米パパくん」


 そう言って、望月さんはにこっと笑った。


 えっ、パパ……?


 自席に帰る望月さんの背中を、ぽかんと見送ってしまった。


 ……これって、もしや――デートってやつじゃない?


 いやいや、猫の買い物だし、あくまで困ってる俺のフォローだし……。

 でも、「ほっとけない」って言われたし、一緒に帰って、一緒にペットショップ行って……。

 それって、俺の中ではもう、ほぼデートなんだが。


 胸の奥が、じわっと熱くなる。


 こんな日がくるなんて、昨日の俺には想像もできなかった。

 ついにあのペアソファーが活躍する日も近い!?


 ユキ、もしかして――

 お前ってマジの天使? 恋のキューピッドってやつ?


 そんな喜びも束の間。


 だけど、ウチの猫、人間なんだよなー……。

 猫用哺乳瓶……ぜってぇアイツにはちっちゃいよな……。


 でも、本当のことなど言えるはずもなかった。

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